切り裂きジャック
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ホワイトチャペル殺人事件の11件の殺人の内、エマ・エリザベス・スミスマーサ・タブラムが被害者となった最初の2件はカノニカル・ファイブには含まれていない[18]

スミスは1888年4月3日午前1時半頃、ホワイトチャペルのオズボーン・ストリートで強盗に遭い、性的暴行を受けた。彼女は顔を殴打され、耳に切り傷を負った[19]。また、膣に鈍器が挿入され腹膜が破裂していた。翌日、腹膜炎によりロンドンの病院で死亡した[20]。スミスは2、3人の男性に襲われたと証言し、そのうちの一人は10代だったと述べている[21]。マスメディアは、後に起こる殺人事件とこの事件を結び付けて報道したが[22]、ほとんどのライターはスミスの事件は切り裂きジャック事件とは無関係であり、一般的なイーストエンドのギャングによるものだとみなしている[14][23][24]

タブラムのケースは、1888年8月7日、ホワイトチャペルのジョージ・ヤードの階段の踊り場で殺害されていた[25]。彼女は、喉、肺、心臓、肝臓、脾臓、胃、腹部に39もの刺し傷があり、さらに胸と膣もナイフによる刺し傷があった[26]。これらの傷はすべてペンナイフとみられる刃物でつけられており、1つの例外を除いてすべて右利きの者による犯行であった[25]。また、性的暴行を受けた痕はなかった[27]

この殺人の残虐性と明白な動機の欠如、また場所と日時は、後の切り裂きジャックによる犯行に近く、警察はこの事件をジャックによる犯行と結び付けた[28]。しかし、タブラムは何度も刺されてはいたが、喉や腹部に対する切り傷は無かったという点で、後の事件とは異なっていた。多くの専門家はこの傷のパターンの違いから、この殺人を切り裂きジャックによる犯行とは見なしていない[29]
カノニカル・ファイブ

切り裂きジャックの犠牲者として挙げられる5人(カノニカル・ファイブ)は、メアリー・アン・ニコルズアニー・チャップマンエリザベス・ストライドキャサリン・エドウッズメアリー・ジェーン・ケリーである[30]

1888年8月31日の金曜日の午前3時40分頃、ホワイトチャペルのバックズ・ロウ(現在のダーワード・ストリート)でメアリー・アン・ニコルズの遺体が発見された。生きているニコルズが最後に目撃されたのは、遺体発見の約1時間前で、ホワイトチャペル・ロード方面に歩いている彼女を、スピタルフィールズのスロール・ストリートにある共同下宿で寝泊まりしていたエミリー・ホランド夫人が目撃したというものであった[31]。被害者の喉は2つの深い切り傷で切断されており、そのうちの1つは椎骨までの組織を完全に切断していた[32]。膣には2回の刺し傷が見られ[33]、下腹部には深くザラザラした傷で一部が裂けており、腸がはみ出していた[34]。腹部の両側にも同じナイフによっていくつかの切り込みが入っていた。これらの傷はいずれも下向きに突き刺すようにして負わされていた[35]ハンバリー・ストリート(英語版)29番地。アニー・チャップマンと彼女を殺した犯人が、彼女の遺体が発見された庭に向かって歩いていったドアは、物件標識の数字の下にある。

それから約1週間後の9月8日の土曜日の午前6時頃、スピタルフィールズのハンバリー・ストリート29番地の裏庭の出入り口の階段付近で、アニー・チャップマンの遺体が発見された。ニコルズの場合と同様に喉は2つの深い切創があった[36]。腹部は完全に切り開かれており、胃の一部が左肩の上に置かれ、また切除された皮膚と肉の一部と小腸は右肩の上に置かれていた[37]。チャップマンの検死では、子宮、膀胱、膣の一部[38]が切除されていることがわかった[39]

チャップマンの死因審問では、エリザベス・ロングが、午前5時半頃[40]にチャップマンが茶色の鹿撃ち帽と暗い色のオーバーコートを着た黒髪の男と一緒にハンバリー・ストリート29番地の外に立っているのを見たと証言した[41]。エリザベスによれば、男はチャップマンに「どう?(Will you?)」と聞き、彼女が「いいわ(Yes)」と答えていたという[42]

エリザベス・ストライドとキャサリン・エドウッズは、9月29日の土曜から30日の日曜にかけて殺害された。ストライドの遺体は、30日の午前1時頃、ワイトチャペルのバーナー・ストリート(現在のヘンリック・ストリート)の外れにあるダットフィールズ・ヤードで発見された[43]。首に6インチの切り傷があり、死因は左頸動脈と気管の切断で、そのまま切創は右顎の下で止まっていた[44]。彼女の身体にはそれ以外の損傷がなかったため、これがジャックによるものなのか、または犯行途中で中断したのかは不明である[45]。後に29日の深夜にバーナー・ストリートの近くでストライドが男と一緒にいるのを見たという複数の目撃証言が警察に寄せられたが[46]、それぞれの証言は異なっていた。ある者は連れの男は色白であったと言い、またある者は色黒だったと言い、別の者はみすぼらしい服を着ていたと言い、しかし、身なりが良かったという証言もあった[47]マイター・スクエア(英語版)で発見されたキャサリン・エドウッズの当時の警察による遺体図。

エドウッズの遺体は、ストライドの遺体発見の45分後にシティのマイター・スクエア(英語版)で発見された。彼女の喉は切り裂かれ、腹部には深く長いギザギザの裂傷が見られ、腸は彼女の右肩にかけられていた。左の腎臓と子宮の大部分が取り除かれていた上、彼女の顔は鼻の切除、頬の切創、さらにそれぞれのまぶたが4分の1インチと5分の1インチにそれぞれ切り裂かれ、醜い相貌となっていた[48] 。頬には三角形の切り込みがあり、その頂点はエドウッズの目を指していた[49]。また、その後の調査の中で、彼女の衣服の中から右耳の耳介と耳たぶの一部が発見された[50]。検死した検死医は、これらの切断について「少なくとも5分はかかったとみられる」と見解を述べた[51]

ジョセフ・ラウェンデ(英語版)という地元のタバコのセールスマンは、殺人事件があったとみられる直前に2人の友人と共に広場を通りかかった際、みすぼらしい外見の白髪の男と一緒にいる、エドウッズと思われる女性を目撃したと証言している[52]。しかし、ラウェンデの仲間からは同じ目撃情報を得られなかった[52]。この同夜に起こった2件の殺人は「ダブル・イベント」と呼ばれ、知られるようになった[53][54]

ホワイトチャペルのゴールストン・ストリートにある長屋の入り口にて、午前2時55分にエドウッズの血まみれのエプロンの一部が発見された[55]。このエプロンの真上にあたる壁にはチョークで「The Juwes are The men That Will Not Blamed for nothing.」と書かれていた[56]。この落書きは後に「ゴールストン・ストリートの落書き」と名付けられ、知られているものである。このメッセージは一連の殺人事件の犯人が特定のユダヤ人もしくはユダヤ人全般であるように読めた。しかし、これは犯人がわざとエプロンを残して書いたものなのか、それとも事件とはまったく関係がないもの(あるいは便乗した愉快犯的なもの)なのかは不明である[57]。このような落書きはホワイトチャペルではありふれたものであった。ただ、警視総監(英語版)のチャールズ・ウォーレン(英語版)は、これが反ユダヤ主義者たちの暴動を引き起こすことを懸念し、夜明け前に落書きを消すように命じた[58]

11月9日金曜日の午前10時45分、スピタルフィールズのドーセット・ストリートの外れにあるミラーズ・コート13番地の一室で、この部屋の住人であるメアリー・ジェーン・ケリーの遺体が発見された。彼女の身体は広範囲に渡って損壊され、内臓が取り除かれた状態でベッドの上に横たわっていた。


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