切り裂きジャック
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当時のロンドン警視庁スコットランドヤード)の推計によれば、1888年10月のホワイトチャペルには62の売春宿と1,200人の売春婦が働いており[7]、また233の簡易宿泊所(英語版)には毎晩約8,500人が寝泊まりし[3]、1泊あたりシングルベッドであれば4ペンス[8]、寮に張られたロープ「リーン・トゥ」(Hang-over)の場合は1人2ペンスであった[9]

ホワイトチャペルの経済問題は、社会的緊張の着実な高まりを伴っていた。1886年から1889年にかけてはデモが頻発し、それに警察が介入して「血の日曜日(英語版)」のような社会不安を市民にもたらした[10]反ユダヤ主義、犯罪、移民排斥、人種差別、社会的混乱、深刻な貧困などが、世間にホワイトチャペル地区が悪名高い不道徳の巣窟とみなす影響を与えた[11]。こうした世相の中で、1888年の秋に「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」と呼ばれる連続殺人鬼と、彼が起こしたとされる凶悪でグロテスクな殺人事件がメディアを賑わし、上記のようなホワイトチャペルに対する世間の認識を強めた[12]
殺人事件詳細は「ホワイトチャペル殺人事件」を参照ホワイトチャペルで最初の7件の殺人事件が起きた場所

オズボーン・ストリート(中央右)

ジョージ・ヤード(中央左)

ハンバリー・ストリート(上)

バックズ・ロウ(右端)

バーナー・ストリート(右下)

マイター・スクエア(英語版)(左下)

ドーセット・ストリート(左中)

この時期、イーストエンドでは女性に対する襲撃事件が多発していたため、どこまでの殺人事件が同一人物による犯行かはわからない[13]。1888年4月3日から1891年2月13日までの間に起きた11件の殺人事件がロンドン警視庁の捜査対象となり、警察記録では「ホワイトチャペル殺人事件」と総称されていた[14][15]。これら殺人事件をどこまで同一犯によるものと見るべきかは様々な意見があるが、この11件の内5件を「カノニカル・ファイブ(canonical five)」[注釈 1]と呼び、切り裂きジャックによる犯行と強く推測されている[16]。専門家の多くはジャックの手口の特徴として、喉へ深い切り傷を与えた後、腹部や性器周辺の肉を広範囲にわたって切除して内臓を取り出していたことや、顔面の肉を徐々に切除することを挙げている[17]
ホワイトチャペル殺人事件の最初の2件

ホワイトチャペル殺人事件の11件の殺人の内、エマ・エリザベス・スミスマーサ・タブラムが被害者となった最初の2件はカノニカル・ファイブには含まれていない[18]

スミスは1888年4月3日午前1時半頃、ホワイトチャペルのオズボーン・ストリートで強盗に遭い、性的暴行を受けた。彼女は顔を殴打され、耳に切り傷を負った[19]。また、膣に鈍器が挿入され腹膜が破裂していた。翌日、腹膜炎によりロンドンの病院で死亡した[20]。スミスは2、3人の男性に襲われたと証言し、そのうちの一人は10代だったと述べている[21]。マスメディアは、後に起こる殺人事件とこの事件を結び付けて報道したが[22]、ほとんどのライターはスミスの事件は切り裂きジャック事件とは無関係であり、一般的なイーストエンドのギャングによるものだとみなしている[14][23][24]

タブラムのケースは、1888年8月7日、ホワイトチャペルのジョージ・ヤードの階段の踊り場で殺害されていた[25]。彼女は、喉、肺、心臓、肝臓、脾臓、胃、腹部に39もの刺し傷があり、さらに胸と膣もナイフによる刺し傷があった[26]。これらの傷はすべてペンナイフとみられる刃物でつけられており、1つの例外を除いてすべて右利きの者による犯行であった[25]。また、性的暴行を受けた痕はなかった[27]

この殺人の残虐性と明白な動機の欠如、また場所と日時は、後の切り裂きジャックによる犯行に近く、警察はこの事件をジャックによる犯行と結び付けた[28]。しかし、タブラムは何度も刺されてはいたが、喉や腹部に対する切り傷は無かったという点で、後の事件とは異なっていた。多くの専門家はこの傷のパターンの違いから、この殺人を切り裂きジャックによる犯行とは見なしていない[29]
カノニカル・ファイブ

切り裂きジャックの犠牲者として挙げられる5人(カノニカル・ファイブ)は、メアリー・アン・ニコルズアニー・チャップマンエリザベス・ストライドキャサリン・エドウッズメアリー・ジェーン・ケリーである[30]

1888年8月31日の金曜日の午前3時40分頃、ホワイトチャペルのバックズ・ロウ(現在のダーワード・ストリート)でメアリー・アン・ニコルズの遺体が発見された。生きているニコルズが最後に目撃されたのは、遺体発見の約1時間前で、ホワイトチャペル・ロード方面に歩いている彼女を、スピタルフィールズのスロール・ストリートにある共同下宿で寝泊まりしていたエミリー・ホランド夫人が目撃したというものであった[31]。被害者の喉は2つの深い切り傷で切断されており、そのうちの1つは椎骨までの組織を完全に切断していた[32]。膣には2回の刺し傷が見られ[33]、下腹部には深くザラザラした傷で一部が裂けており、腸がはみ出していた[34]。腹部の両側にも同じナイフによっていくつかの切り込みが入っていた。これらの傷はいずれも下向きに突き刺すようにして負わされていた[35]ハンバリー・ストリート(英語版)29番地。アニー・チャップマンと彼女を殺した犯人が、彼女の遺体が発見された庭に向かって歩いていったドアは、物件標識の数字の下にある。

それから約1週間後の9月8日の土曜日の午前6時頃、スピタルフィールズのハンバリー・ストリート29番地の裏庭の出入り口の階段付近で、アニー・チャップマンの遺体が発見された。ニコルズの場合と同様に喉は2つの深い切創があった[36]。腹部は完全に切り開かれており、胃の一部が左肩の上に置かれ、また切除された皮膚と肉の一部と小腸は右肩の上に置かれていた[37]。チャップマンの検死では、子宮、膀胱、膣の一部[38]が切除されていることがわかった[39]

チャップマンの死因審問では、エリザベス・ロングが、午前5時半頃[40]にチャップマンが茶色の鹿撃ち帽と暗い色のオーバーコートを着た黒髪の男と一緒にハンバリー・ストリート29番地の外に立っているのを見たと証言した[41]。エリザベスによれば、男はチャップマンに「どう?(Will you?)」と聞き、彼女が「いいわ(Yes)」と答えていたという[42]

エリザベス・ストライドとキャサリン・エドウッズは、9月29日の土曜から30日の日曜にかけて殺害された。ストライドの遺体は、30日の午前1時頃、ワイトチャペルのバーナー・ストリート(現在のヘンリック・ストリート)の外れにあるダットフィールズ・ヤードで発見された[43]。首に6インチの切り傷があり、死因は左頸動脈と気管の切断で、そのまま切創は右顎の下で止まっていた[44]。彼女の身体にはそれ以外の損傷がなかったため、これがジャックによるものなのか、または犯行途中で中断したのかは不明である[45]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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