函館市
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「函館市の概要」「函館市紹介」「函館市の歴史」参照[18][43][44]「函館港#歴史」も参照
有史来
縄文時代:旧南茅部町あたりで縄文文化がおよそ7千年に渡って栄えた。この時代に作られた国宝「中空土偶」は尾札部町で出土している[45]。
斉明天皇4年(658年):日本書紀の記述によれば、武人の阿倍比羅夫が「渡嶋蝦夷」(北海道の続縄文文化人)と共に「粛慎」(オホーツク文化人)を排除したという
大治元年(1126年):天台宗の僧・良忍の伝説がある。
保延年間(1135年 - 1141年):船魂神社創建。
永仁04年(1296年) : 日蓮宗の僧・日持が来訪する。日持の経石がある。
享徳03年(1454年):河野政通が宇須岸(ウスケシ)に館を築く。館が箱の形に似ていることに因んでこの地を「箱館」と呼んだとされている。
長禄元年(1457年):コシャマインの戦いでアイヌが箱館を攻略。
永正09年(1512年):ショヤコウジ兄弟の戦いにより箱館を攻略。その後、和人は亀田(現在の万代町付近)に移る。
江戸時代
慶長18年(1613年):松前藩が亀田に番所を置く(後に亀田奉行所となる)。
元禄13年(1700年)頃:亀田港が亀田川の土砂で埋まる。以後、箱館が栄え始める。
寛政05年(1793年):ロシアの使節アダム・ラクスマンが来航。漂流民大黒屋光太夫らを受け取る。
寛政08年(1796年):高田屋嘉兵衛が蝦夷地に来航。
寛政11年(1799年):高田屋嘉兵衛が択捉航路を開設。翌年に漁場を開く(北洋漁業の礎)。
寛政12年(1800年):伊能忠敬が箱館山(函館山)で測量を開始。
享和02年(1802年):江戸幕府、徳川家斉が蝦夷奉行所を設置(後に箱館奉行所と改称)。
文化04年(1807年):蝦夷地が幕府直轄となり、箱館奉行所を廃止して松前奉行所を設置。
文化08年(1811年):クナシリ島(国後島)で捕らえられたロシア船艦長ゴローニンが箱館に送られる(ゴローニン事件)。
文化10年(1813年):ロシア軍艦ディアナ号が来航、高田屋嘉兵衛の斡旋によりゴローニン釈放。
文政04年(1821年):幕府が蝦夷地を松前藩に返還(松前奉行所の廃止)。
安政元年(1854年):日米和親条約によって箱館港が補給港となる。マシュー・ペリー、エフィム・プチャーチンが調査のために来航。幕府は箱館周辺を直轄領とし、箱館奉行所を再び設置。
安政02年(1855年):日米和親条約に伴い箱館港が食料・水の供給港として開港。
安政05年(1858年):箱館奉行所の命により、美濃国岩村藩出身の陶工・足立岩次らが谷地頭にて箱館焼を始める。
安政06年(1859年):日米修好通商条約に伴い、箱館港が横浜港・長崎港とともに日本国内初の国際貿易港(交易港)として開港。外国人居留地を設置。
万延元年(1860年):箱館医学所創設(市立函館病院の前身)[46]。
文久03年(1863年):弁天台場竣工。
元治元年(1864年):星形要塞の五稜郭竣工。
慶応04年(1868年):明治政府が箱館裁判所を設置。1か月後に箱館府と改称。榎本武揚率いる旧幕府軍が箱館を占領し五稜郭を拠点にする(箱館戦争)。
明治
明治02年(1869年):旧幕府軍が新政府軍に降伏。蝦夷地を北海道と改称。箱館府を廃止し開拓使出張所を設置。
明治03年(1870年):ガルトネル開墾条約事件が和解に至る。
明治05年(1872年):箱館郵便役所開設。気候測量所(現在の函館地方気象台)設立。
1879年(明治12年):郡区町村編制法施行により「函館区」設置。明治12年大火発生(堀江町(現在の末広町)から出火、焼失戸数2,326戸)。
1882年(明治15年):開拓使を廃止し函館県を設置(三県一局時代)。
1886年(明治19年):三県を廃止し北海道庁が開庁。
1887年(明治20年):亀田川河口切替工事(新川)竣工。
1896年(明治29年):函館競馬場開設。
1897年(明治30年):函館馬車鉄道営業開始。
1899年(明治32年):亀田郡亀田村の一部を併せて北海道区制による函館区となる。函館山への入山・写真撮影・スケッチなどの規制[47]。
1900年(明治33年):函館要塞司令部設置。
1902年(明治35年):亀田郡亀田村・神山村・鍛冶村・桔梗村・石川村を併せた亀田村(現在の亀田支所管内)、亀田郡上湯川村・下湯川村・亀尾村を併せた湯川村(現在の湯川支所管内)、亀田郡銭亀沢村・根崎村・志苔村・石崎村を併せた銭亀沢村(現在の銭亀沢支所管内)、亀田郡戸井村・小安村を併せた戸井村(現在の戸井支所管内)が二級町村制施行。北海道鉄道函館駅開業。
1904年(明治37年):函館 - 小樽間の鉄道開通。
1906年(明治39年):亀田郡尻岸内村(現在の恵山支所管内)、茅部郡臼尻村・熊泊村を併せた臼尻村(現在の南茅部支所管内)が二級町村制施行。
1907年(明治40年):明治40年函館大火発生(東川町より出火、焼失戸数12,390戸、死者8名)。
1908年(明治41年):青函連絡船運航開始。
大正
1913年(大正02年):馬車鉄道の軌道を利用した路面電車(現在の函館市電)が運行開始。
1916年(大正05年)08月02日:火災により1763戸が焼失[48]。
1919年(大正08年):亀田村が一級町村制施行。椴法華村(現在の椴法華支所管内)が二級町村制施行。
1922年(大正11年):函館区が市制施行し函館市となる。
1923年(大正13年):湯川村が一級町村制施行。
昭和(終戦まで)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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