出崎統
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以後、『悟空の大冒険』、防災アニメ『ザ・ファイヤーGメン』でも作画監督を務めている[註 12]。その他、『新宝島』、『どろろ』第11話「ばんもんの巻・その三」、『フロスティ・ザ・スノーマン』、『あしたのジョー』第14話「KOゴングはまだか!」、また虫プロの劇場用長編アニメ『千夜一夜物語』などで原画を描いた。

杉野昭夫はアニメーターとしての出アの実力を「相当描ける」と語っており[53]、『千夜一夜物語』監督の山本暎一は、暗いイメージのシーンが巧かった旨の評価をしている[54]。作画スタッフとしての参加が確認できる最後の作品は、1976年10月放送の『まんが世界昔ばなし』第2話「美女と野獣」(キャラクターデザイン)。なお『哀しみのベラドンナ』に原画でクレジットされているが、これは配給会社への納入期日に間に合わせるために急遽仕上げたダミー版のための作業であり、その後リテイクの名目で完成した本編には出アが描いた絵は使用されていない[55]
後進の育成と業界への影響

かつて出アのもとで演出助手を務めた監督/演出家には、高屋敷英夫竹内啓雄大賀俊二西久保瑞穂、松園公、桑原智、西田正義らがいる。桑原智は、出アは人材育成が上手だったとし、生き様に学ぶべきものがあったと述べている。また脚本家の森田真由美は、出アは教わる側が自覚的に何かをつかむまで妥協しなかった旨を語っている[56]

それ以外にも、出アに影響を受けた後進のアニメ監督やアニメーターは多い。押井守は『エースをねらえ!』(劇場版)を10回以上観て、「アニメーションを映画にする方法」を研究した旨を語っている[57]。また庵野秀明も出ア作品を研究しており、監督作『トップをねらえ!』に、『エースをねらえ!』へのオマージュとしてのパロディ的な要素を盛り込んだ。板垣伸は『WEBアニメスタイル』での連載コラム「板垣伸のいきあたりバッタリ!」第21回で熱烈な出アファンであることを明かし[58]、以後も同コラム内でたびたび出ア作品についての感想・分析を書き記している。新房昭之はたびたび出アからの影響を口にし、出アの功績に対して世の中の評価が低い旨を述べている[59]

晩年には現代のアニメ業界について、自然現象を描ける人がいなくなったことや、アニメ会社が人を育てなくなったこと、お涙頂戴のためにキャラを適当に殺したりする風潮について苦言を呈していた[60]
幻の企画

出アが映像化を希望しながら、制作に至らなかった作品がいくつかある。『宝島』を制作した後には、劇場用映画としてハーマン・メルヴィルの「白鯨」を企画。杉野昭夫によるイメージイラストも制作され、プレゼンテーションがかけられた[註 13]。これは実を結ばなかったが、アイデアを温め続け、後に同小説をモチーフにしたオリジナル作品『白鯨伝説』を制作している。長年にわたってジュール・ルナールの「にんじん」をアニメ化したいと話していた[9]他、晩年には丸山正雄の要請により、オリジナル時代劇の草案も書き起こしていた[16]
人物

スポーツカーを好み、20代前半頃にはトヨタ・スポーツ800[61]、20代後半でトヨタ・カローラのスポーツタイプ[62]、60代でトヨタ・スープラ[註 14]に乗っていた。生前最後となった2011年1月のインタビューでは、若者がスポーツカーに乗りたがらなくなった風潮を嘆き、無駄を楽しむ余裕の大切さを訴えている[63]。またアートフレッシュ?マッドハウス在籍時代は、自分の車に丸山正雄を乗せ、卓を囲む相手2人を探し歩く日々を送るほどの麻雀好きでもあったという[16]


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