出崎統
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同作は、当時まだ一般家庭への普及率が低かった衛星放送NHK-BS2)で放映されたが、庵野秀明や高橋留美子ら、アニメ/漫画業界内にも熱狂的なファンを生み出した[註 7]

『おにいさまへ…』を機に手塚プロダクション制作作品に携わるようになり、手塚治虫が制作を進めながら未完に終わっていた日伊合作の連続テレビシリーズ『手塚治虫の旧約聖書物語』を引き継いで完成させる。その後の1997年には杉野との共著「アニメーション制作技法」(1994年、創芸社)に掲載された未完のパイロットフィルム『4701白鯨』を原作とする完全オリジナル連続テレビシリーズ『白鯨伝説』をアニメ化、NHK-BS2にて放映。同作は放送中に制作会社が倒産し、第18話「白鯨伝説」をもって放送が中断されるが、1999年に手塚プロの制作によって再開され、完結した。

一方、1980年代末から1990年代にかけては、出ア哲が設立したマジックバスが制作に関わった『華星夜曲』『修羅之介斬魔劍・死鎌紋の男』ほか、多数のOVA作品を手がけている。なかでも最大のヒット作となったのが、1993年からリリースが開始された手塚プロ制作の『ブラック・ジャック』である。原作と大きく異なる劇画調のキャラクターデザインを用いたこの作品は、2000年までに、OVA10話に加えて劇場用映画1本(第51回毎日映画コンクールアニメーション映画賞受賞)が制作された。また1998年には、再び山本又一朗のプロデュースにより15年ぶりに『ゴルゴ13』の新作『ゴルゴ13?QUEEN BEE?』を監督し、OVAで発表している。
2000?2011年

2000年代には幼児向け作品『劇場版とっとこハム太郎』シリーズ全4作や、美少女ゲームを原作とした『AIR』『CLANNAD』劇場版など、自らの新境地となる作品の監督を務めた。また2005年には『スペースコブラ』以来23年ぶりとなる地上波での連続テレビシリーズ『雪の女王 The Snow Queen』を監督。制作途中で病気を患いながらも、62歳にして全36話の絵コンテを全て担当(うち2本のみ他者と共同)する。

さらに、28年ぶりにマッドハウス作品の監督となった2008年の『ウルトラヴァイオレット:コード044』と、トムス・エンタテインメントと手塚プロが共同で制作した2009年の『源氏物語千年紀 Genji』では共に1クール弱の放送期間ながら、キャリア初の連続テレビシリーズ全話に渡る監督・脚本・絵コンテ担当を実現した。この時、既に癌を発症しており、『ウルトラヴァイオレット』は丸山から最後の仕事として持ちかけられたものであった[30]

ただし『ウルトラヴァイオレット』では、あらすじはあってもシナリオ決定稿はなく、ほぼぶっつけ本番で直接絵コンテ作業を行う方式だった[26]。『Genji』は『あさきゆめみし』からの企画変更に伴う制作スケジュールの逼迫により、第3話「夕顔」以降は週1話ペースでの絵コンテ制作というハードな状況となった[32]。第10話「謀叛」と11話「若紫へ」に至っては、後に本人が、もうすぐアフレコが始まるという時にまだ後半の絵コンテを描いていたと語った[33]ほど緊迫した状態であった。

『Genji』終了後は、2009年7月から放映される予定だった[註 8]COBRA THE ANIMATION』テレビシリーズ版の監督を務めることになっており、すでに2008年6月には記者会見も開かれていたが[34]、土壇場で降板し肺癌の治療に入る。その後、11年ぶりに制作されたOVA『ブラック・ジャック』シリーズ2本に監修者として参加している途中の2011年4月17日、肺癌のため東京都三鷹市の病院で死去[35]。67歳没。喪主は出ア哲が務めた[36]
概要

テレビアニメの草創期より制作現場に入り、1970年に26歳で『あしたのジョー』(テレビ版)を監督。『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』『立体アニメーション 家なき子』『宝島』『ベルサイユのばら』『あしたのジョー2』など1970年代?1980年代のテレビ/劇場版アニメをはじめ、67歳で死去するまでにテレビシリーズ、劇場用映画、OVAアニメを30タイトル以上監督した。


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