以下、日本の凧の例を画像で挙げる。
東京都中央区日本橋 凧の博物館(2020年3月6日撮影)
江戸凧(2010年1月4日撮影)
蝦夷凧(北海道の凧)
津軽凧(青森県の凧)
天旗(宮城県の凧)
和凧
なお、菱形、鳥型の凧や龍を模した連凧など、世界には様々なタイプの伝統的な凧が存在する。また、現代の凧には空気を入れて膨らませるようなものもあり、さらに多様な形状をとるようになっている。これらの画像については英語版
などを参照のこと。凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「紙鳶(しえん)のぼり」、特に長崎では「ハタ」と明治初期まで呼ばれていた。それを売る娯楽用品店もあり、日常的に遊ぶ娯楽になった。しかし凧を揚げている人同士でケンカになったり、明治時代の当時、建設の真っ只中であった電線に引っかかり停電になったり、農作物の畑の中に落ちた凧を拾おうと田畑を踏み荒らすといった問題も起きていたため、一部地域では法令により禁止された。
凧が「タコ」と呼ばれる由来は凧が紙の尾を垂らし空に揚がる姿が、蛸に似ているからという説がある。長崎では凧のことをハタといい、ハタ揚げ大会が開かれる。方言周圏論からは、近畿・北陸、中四国の一部にイカ、それを囲むように東日本・四国南部・九州東部にタコがあり、さらに、この外側、東北北部と九州西部にハタが見られ、「ハタ」や「タコ」と各地でそれぞれの名前で呼ばれていた。
世界各国の凧では、それぞれ空を飛ぶ動物などの名前が付けられていることが多く、英語ではトビ、フランス語ではクワガタムシ、スペイン語では彗星を意味する単語で呼ばれ、日本のように水生動物の名前で呼ぶのは珍しい[12]。 正月遊びとしての凧揚げには意味があり、天高く揚げて、男の子の健康・成長を願う。日本ではかつて正月を含む冬休みには子供たちが凧揚げをする光景がよく見られ、玩具店のみならず子供たちが買い物をする頻度の高い身近にある駄菓子店や文房具店などで凧も販売されていた。特に凧揚げが盛んに行われていた1970年代には、冬休みの時期には電力会社がスポンサーの夕方のニュース番組で「凧揚げは電線のない広い場所で」「電線に引っかかったら電力会社にご連絡ください」という内容のコマーシャルがよく流されていたほどで、当時のトラブルの多さを窺わせる。 1980年代以降は凧揚げが安全にできる広い空間が少なくなったことに加え、テレビゲームなど新しい玩具の普及、少子化などもあり正月の凧揚げの光景も少なくなった。 ただ単に人が集まり凧を挙げるだけではなく、見た目の美しさや滞空時間等を競うものもある。また、凧同士をぶつけあったり、相手の凧の糸を切ったりすることで勝利を競う凧合戦という文化もある。日本国内では、正月のほか、5月の端午の節句の行事として子どもの成長を願って全国各地で凧揚げ大会など凧揚げに関する催しが行われることが多い。 滋賀県東近江市では面積100畳(縦13メートル、横12メートル)、重さ約700キログラムの大凧(おおだこ)を揚げる「八日市大凧祭」が行われてきた歴史があり(2015年に起きた落下した凧による死亡事故で休止中)、「世界凧博物館東近江大凧会館」が開設されている。この八日市大凧(ようかいち おおだこ)は江戸時代中期から始まった。1882年には、240畳の大凧が揚げられたという記録がある[13]。現在では、「近江八日市の大凧揚げ習俗」は国の選択無形民俗文化財に選択されている。 インドでは、グジャラート州やマハラシュトラ州など各地で盛んに凧あげ祭りが行われるが、凧糸にガラスなどを張りつけて近場の凧の糸を切る、いわゆる喧嘩祭りのスタイルを採ることがある。
正月の風物詩としての凧
凧揚げ行事