このイベントの正式名称は不詳。当時の新聞報道でも「東京芸妓美人えり抜き百名」「選美写真の品評会」「選美百妓の写真」「百美人品評会」「選美投票」「美人写真品評会」等と呼ばれていた[9]。また、巷間言われるように日本初のミスコンでもない。1890年4月の報道で、「応募者の写真を審査して賞金を与える」イベントが確認できる[33]。
候補者の写真は小川一眞が通常の営業を休んで特設の撮影スタジオで撮った。全員同じ背景の前でポーズを決めているが、公平性の担保のためだけではなく、当時は自前で写真を用意できる女性は少数派だったことも関係している[34]。小川は、後に“百美人”の写真を盛んに発表するが、そのきっかけが当コンテストである[35]。
同じ背景の前でポーズを決めている
参加者の写真集
枡田屋小つま
最終的に100名の候補者の中から上位5名が表彰される。上位5名は逃したが、「洗い髪お妻」こと枡田屋小つま(本名・安達ツギ、当時17歳)[9]は人気を博し、絵葉書や広告のモデルとして活動することとなる。「撮影の日に髪結いが間に合わず、やむなく洗い髪で撮影した」と記載する文献もあるが、東京百美人の参加者の写真集には、髪を結った写真が収められている[36]。撮影場所までは洗い髪で行って、そこで髪を結ったという説もある[37]。
遺構・記念碑2018年初頭の建築基礎工事で発見された凌雲閣の基礎部分。手前のラインが八角形の基礎の一部の境界で左右に見えるレンガが積み上げられていた。
浅草公園町会が1977年12月ウインズ浅草の隅に設置した建札「浅草公園史蹟めぐり第三番札所」には、
「凌雲閣は、今の浅草東映から北西五十メートルの地点にあった。(浅草公園五区、千束二丁目三十八番地)」
と記されている。ところが、1981年7月に行われた凌雲閣跡の発掘調査(浅草2丁目13番)で、実際の塔の位置は現在の浅草2丁目13番から14番にかけてあったとされる[38]。
2018年2月、浅草商業ビル[39]の工事現場(浅草2丁目14番)において、基礎部分の煉瓦と八角形の土台のコンクリートの一部と見られるものが発掘された[40]。このビルの外壁には完成後の2018年8月、凌雲閣を描いた浮世絵を拡大複製した壁画(高さ8メートル)が貼られた[41]。
凌雲閣史蹟保存の会が2004年12月に設置した「浅草凌雲閣記念碑」(プレート)があり、
「この地、台東区浅草2丁目14番5号辺りに浅草凌雲閣(通称:十二階)が完成。」
と記されている[42]。記念碑近くは凌雲座(劇場)となった後、昭和座、浅草東映、パチンコ店を経て2022年3月10日にオーケーが出店した[43]。 凌雲閣解体後の1932年、やや南側の浅草国際通り・雷門一丁目交差点に、「仁丹塔」という森下仁丹の広告塔が建てられた[44]。ランドマークとして人々に親しまれたが、1944年に第二次世界大戦の激化による金属供出のため解体された[44]。
所縁がある建造物