准士官
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1894年(明治27年)7月16日勅令第103号により陸軍各兵曹長であって監視区長(かんしくちょう)である者は監視区長在職中はその身分を准士官とした[注 21] [注 22]

1894年(明治27年)7月16日勅令第104号により陸軍武官官等表を改正して特務曹長を設け、准士官の欄内、陸軍歩兵少尉・陸軍屯田歩兵少尉の区画の下に陸軍歩兵特務曹長、陸軍屯田歩兵特務曹長を、陸軍騎兵少尉・陸軍屯田騎兵少尉の区画の下に陸軍騎兵特務曹長・陸軍屯田騎兵特務曹長を、陸軍砲兵上等監護の前に陸軍砲兵特務曹長・陸軍屯田砲兵特務曹長を、陸軍工兵上等監護の前に陸軍工兵特務曹長・陸軍屯田工兵特務曹長を、陸軍輜重兵少尉の区画の下に陸軍輜重兵特務曹長を加えた[69] [注 23]。従前は陸軍各兵曹長の職務として歩兵連隊編制では大隊本部・騎兵大隊編制では大隊本部・砲兵連隊編制では連隊本部・工兵大隊編制では大隊本部に下副官を各1人と中隊附を各1人、輜重兵大隊編制では大隊本部に下副官を1人と中隊附を各2人、対馬警備隊編制では司令部に下副官を1人と歩兵隊及び砲兵隊に隊附を各1人、屯田歩兵大隊編制では大隊本部に下副官を1人と中隊附を各1人、屯田騎兵隊編制・屯田砲兵隊編制・屯田工兵隊編成では隊附を各1人、憲兵隊編制では本部に下副官を各1人を置いて来たが[71]、このとき部隊編制を変更して憲兵隊本部を除いて下副官を廃止し歩兵連隊編制・騎兵大隊編制・砲兵連隊編制・工兵大隊編制では中隊附の特務曹長を各1人と曹長を各1人、輜重兵大隊編制では大隊本部に曹長を1人と中隊附の特務曹長を各1人と曹長を各1人、対馬警備隊編制では歩兵隊及び砲兵隊の隊附の特務曹長を各1人と曹長を各1人、屯田歩兵大隊編制では中隊附の特務曹長を各1人と曹長を各1人、屯田騎兵隊編制・屯田砲兵隊編制・屯田工兵隊編制では隊附の特務曹長を各1人と曹長を各1人置くことにした[72]。陸軍准士官の身分取扱に関して、陸軍准士官である各兵特務曹長、砲兵上等監護、工兵上等監護及び二等軍楽長の身分取り扱いに陸軍将校分限令を準用することになる[73]。ただし、特務曹長の身分は准士官であるけれども営内居住になることから、特務曹長及び在職中准士官たる曹長は身分に関係しないものは総て下士の給与と同じとした[74]

特務曹長の呼称を用いたのは各兵科准士官のみで、呼称変更前の最終段階では憲兵歩兵砲兵工兵航空兵輜重兵の各特務曹長があった。特務曹長の名称を用いない准士官としては同じく最終的には砲兵科の陸軍砲兵上等工長及び工兵科の陸軍工兵上等工長の2つの他、各部には経理部の陸軍上等計手・陸軍上等縫工長・陸軍上等靴工長、衛生部の陸軍上等看護長・陸軍上等磨工長、獣医部の陸軍上等蹄鉄工長、軍楽部の陸軍楽長補の名称があった。

准尉・特務曹長は現役定限年齢が40歳であったが、そのまま予備役に編入され除隊する者、予備役少尉に進級して引続き在隊する者、志願して試験に合格し士官学校の少尉候補者教育を受け現役少尉に進級する者があった。また日露戦争時には幹部不足を補うため戦時特例として特務曹長の優秀者を少尉に特別進級させた。このため、日露戦後の各部隊の中隊には、この准士官から戦時特別任官した年寄の尉官が一定数居た(ただし、戦時中の士官学校生徒量産のため進級停滞が起り、特別任官者の昇進は中尉までが限界であった)。

兵科部隊の特務曹長(のちの准尉)は、通例中隊附諸官の一人として人事掛を務め、中隊事務室の筆頭としてこれを主宰し、下士官兵の人事を取扱った。兵の身上調査書を維持保管し、諸勤務の割当、進級転属賞罰の立案(決裁は中隊長)、内務班の管理を行い、その思惑ひとつで兵士の運命が決まるため、「人事の特さん」等と呼ばれ恐れられ、尉官でも新任の場合、隊内を知り尽くしている特務曹長には頭が上がらないことさえあった。特務曹長は中隊事務室に席を置く他、専用の個室を持つ場合があり、配員は各中隊に1人であったが、戦時の臨時編成部隊要員としてもう1名増員される時もあり、増員分は演習掛(兵の教育)・馬掛(歩兵砲や機関銃の中隊の如く馬匹のいる中隊)などを担当した。古参の特務曹長の給与は大尉とほぼ同じであったが、小さな一戸建の家を借り、そこから部隊に通うのが普通で、将校と比べるとつましい生活振りであった。現役定限年齢が40歳なので、大抵の者は早くから予備役編入後の生活設計を立てていた。

1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日清戦争があった。

1895年(明治28年)に憲兵隊編制を改めて、憲兵隊本部に引き続き下副官(准士官)を置くほか、憲兵分隊の編制上の職務として伍長に加えて上等伍長(准士官)を置いて憲兵曹長を以ってこれらに充て、ただし上等伍長を置かないことが出来るとした[注 24]。在職中の准士官である憲兵上等伍長の給与・服制は憲兵下副官と同じとした[76] [77]

1896年(明治29年)5月9日勅令第190号により陸軍武官官等表の中を改正し、准士官の欄内、陸軍屯田歩兵・陸軍屯田騎兵・陸軍屯田砲兵・陸軍屯田工兵の特務曹長を削る[注 25]

1898年(明治31年)には内地の治安が安定しかつ地方警察が発達したことから憲兵の平時定員を削減するとともに編制を改めて、憲兵隊本部の下副官及び憲兵分隊の上等伍長を廃止し、附則により従前の上等伍長である者であって改正勅令施行の際に伍長を命ぜられた者の身分取り扱い及び給与は服役期限満了まで従前の規定によるとした[79]
明治32年の日本陸軍

1899年(明治32年)12月1日施行した勅令第411号により陸軍武官官等表の中の軍楽部士官・准士官の各欄を改正して、上等監護を上等工長(じょうとう・こうちょう[80])に、二等軍楽長を楽長補(がくちょうほ)に改めた[注 26]。明治32年勅令第412号により文武判任官等級表を改正し、一等の欄の専売局監視の次に陸軍各兵特務曹長並び相当官を加え、陸軍砲工兵上等監護を陸軍砲工兵上等工長に改め、陸軍二等軍楽長・陸軍各兵曹長(下副官・教官補)を削る[81]

明治32年勅令第411号による陸軍武官官等表改正(軍楽部士官・准士官の部分)[81]軍楽部士官陸軍楽長
准士官陸軍歩兵特務曹長陸軍騎兵特務曹長陸軍砲兵特務曹長陸軍砲兵上等工長陸軍工兵特務曹長陸軍工兵上等工長陸軍輜重兵特務曹長軍楽部准士官陸軍楽長補

1900年(明治33年)6月20日から1901年(明治34年)9月7日にかけて義和団の乱があった。

1902年(明治35年)2月1日に明治35勅令第11号を施行して陸軍武官官等表を改正して経理部准士官に上等計手(じょうとう・けいしゅ)を設けた[注 27]

明治35年1月29日勅令第11号による陸軍武官官等表改正[82]各兵科准士官陸軍歩兵特務曹長陸軍騎兵特務曹長陸軍砲兵特務曹長陸軍砲兵上等工長陸軍工兵特務曹長陸軍工兵上等工長陸軍輜重兵特務曹長経理部准士官陸軍上等計手軍楽部准士官陸軍楽長補

1902年(明治35年)10月13日勅令第222号により陸軍武官官等表を改正し、各兵科准士官の欄の陸軍歩兵特務曹長の区画の前に陸軍憲兵特務曹長を加えた[注 28]

1904年(明治37年)9月5日勅令第199号により陸軍武官官等表を改正し、経理部准士官及び陸軍上等計手を削除し、附則により発布の際における陸軍上等計手はなおその官を保有させてその制服及び身分取り扱いは全て従前の規定によるとした[84] [注 29]

1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて日露戦争があった。

1909年(明治42年)1月27日勅令第2号により陸軍武官官等表を改正し、再び経理部准士官に上等計手を設け、新たに衛生部准士官として上等看護長(じょうとう・かんごちょう[86])を設けた[注 30]

明治42年1月27日勅令第2号による陸軍武官官等表改正[87]経理部准士官陸軍上等計手衛生部准士官陸軍上等看護長軍楽部准士官陸軍楽長補

1910年(明治43年)6月17日に文武判任官等級令(明治43年勅令第267号)を定めて文武判任官等級表を廃止して、判任官の等級を4等に分けて一等から四等までとし、この中で陸軍准士官は一等とした[88]

明治43年勅令第267号文武判任官等級令(別表)(陸軍准士官の部分)[88]陸軍准士官及び下士
一等陸軍各兵特務曹長及び相当官陸軍砲工兵上等工長

1914年大正3年)6月29日勅令第139号により陸軍武官官等表を改正し、獣医部准士官を設け上等蹄鉄工長(じょうとう・ていてつこうちょう[89])を置いた[注 31]

大正3年勅令第139号による陸軍武官官等表改正[90]獣医部准士官陸軍上等蹄鉄工長

1914年(大正3年)7月28日から第一次世界大戦が始まる。
大正6年の日本陸軍

1917年(大正6年)8月1日勅令第95号により陸軍武官官等表を改正し、各兵科尉官(士官)の欄の憲兵科を除く陸軍各兵少尉の区画に陸軍各兵准尉を加えた[注 32]。このとき、高等官官等俸給令の別表第一表(文武高等官官等表)の陸軍省の部を改めた[93]

歩、騎、砲、工、輜重の各兵科には准尉という階級が1917年から1920年までの間にも存在した[94][95]。ただし、この場合の准尉は士官であり准士官の特務曹長の上位であった[注 33]。実役停年二年以上の現役特務曹長のうち優秀者を選抜し試験に合格した者が陸軍士官学校で教育を受け准尉となった。この制度は1920年に少尉候補者制度に改められた。

大正6年8月1日勅令第95号による陸軍武官官等表改正(憲兵科を除く陸軍各兵少尉の区画)[91]各兵科尉官


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