准士官
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1902年(明治35年)2月1日に明治35勅令第11号を施行して陸軍武官官等表を改正して経理部准士官に上等計手(じょうとう・けいしゅ)を設けた[注 27]

明治35年1月29日勅令第11号による陸軍武官官等表改正[82]各兵科准士官陸軍歩兵特務曹長陸軍騎兵特務曹長陸軍砲兵特務曹長陸軍砲兵上等工長陸軍工兵特務曹長陸軍工兵上等工長陸軍輜重兵特務曹長経理部准士官陸軍上等計手軍楽部准士官陸軍楽長補

1902年(明治35年)10月13日勅令第222号により陸軍武官官等表を改正し、各兵科准士官の欄の陸軍歩兵特務曹長の区画の前に陸軍憲兵特務曹長を加えた[注 28]

1904年(明治37年)9月5日勅令第199号により陸軍武官官等表を改正し、経理部准士官及び陸軍上等計手を削除し、附則により発布の際における陸軍上等計手はなおその官を保有させてその制服及び身分取り扱いは全て従前の規定によるとした[84] [注 29]

1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて日露戦争があった。

1909年(明治42年)1月27日勅令第2号により陸軍武官官等表を改正し、再び経理部准士官に上等計手を設け、新たに衛生部准士官として上等看護長(じょうとう・かんごちょう[86])を設けた[注 30]

明治42年1月27日勅令第2号による陸軍武官官等表改正[87]経理部准士官陸軍上等計手衛生部准士官陸軍上等看護長軍楽部准士官陸軍楽長補

1910年(明治43年)6月17日に文武判任官等級令(明治43年勅令第267号)を定めて文武判任官等級表を廃止して、判任官の等級を4等に分けて一等から四等までとし、この中で陸軍准士官は一等とした[88]

明治43年勅令第267号文武判任官等級令(別表)(陸軍准士官の部分)[88]陸軍准士官及び下士
一等陸軍各兵特務曹長及び相当官陸軍砲工兵上等工長

1914年大正3年)6月29日勅令第139号により陸軍武官官等表を改正し、獣医部准士官を設け上等蹄鉄工長(じょうとう・ていてつこうちょう[89])を置いた[注 31]

大正3年勅令第139号による陸軍武官官等表改正[90]獣医部准士官陸軍上等蹄鉄工長

1914年(大正3年)7月28日から第一次世界大戦が始まる。
大正6年の日本陸軍

1917年(大正6年)8月1日勅令第95号により陸軍武官官等表を改正し、各兵科尉官(士官)の欄の憲兵科を除く陸軍各兵少尉の区画に陸軍各兵准尉を加えた[注 32]。このとき、高等官官等俸給令の別表第一表(文武高等官官等表)の陸軍省の部を改めた[93]

歩、騎、砲、工、輜重の各兵科には准尉という階級が1917年から1920年までの間にも存在した[94][95]。ただし、この場合の准尉は士官であり准士官の特務曹長の上位であった[注 33]。実役停年二年以上の現役特務曹長のうち優秀者を選抜し試験に合格した者が陸軍士官学校で教育を受け准尉となった。この制度は1920年に少尉候補者制度に改められた。

大正6年8月1日勅令第95号による陸軍武官官等表改正(憲兵科を除く陸軍各兵少尉の区画)[91]各兵科尉官
(士官)陸軍歩兵少尉陸軍歩兵准尉陸軍騎兵少尉陸軍騎兵准尉陸軍砲兵少尉陸軍砲兵准尉陸軍工兵少尉陸軍工兵准尉陸軍輜重兵少尉陸軍輜重兵准尉

大正6年勅令第96号による高等官官等俸給令・別表第一表改正(陸軍武官の部分)[93]官等\官庁陸軍省
勅任親任陸軍大将
一等陸軍中将陸軍中将相当官
二等陸軍少将陸軍少将相当官
奏任三等陸軍大佐陸軍大佐相当官
四等陸軍中佐陸軍中佐相当官
五等陸軍少佐陸軍少佐相当官
六等陸軍大尉陸軍大尉相当官
七等陸軍中尉陸軍中尉相当官
八等陸軍少尉陸軍准尉陸軍少尉相当官
九等

1918年(大正7年)8月12日にシベリア出兵する。1918年(大正7年)11月11日に第一次世界大戦が終わる。
大正9年の日本陸軍

1920年(大正9年)8月10日に大正9年勅令第241号を施行して陸軍武官官等表を改正し、各兵科尉官(士官)の欄の陸軍歩騎砲工輜重兵准尉を削除し、経理部准士官の欄の上等計手の次に上等縫工長(じょうとう・ほうこうちょう)・上等工長(じょうとう・かこうちょう)を加え、衛生部准士官の欄の上等看護長の次に上等磨工長(じょうとう・まこうちょう)を加えた[96]。このとき、高等官官等俸給令の別表第一表(文武高等官官等表)の陸軍省の部の陸軍准尉を削る[96]。准尉を廃止したときに、少尉候補者制度を導入して現役准士官から少尉を補充できるように改めた[注 34]

大正9年勅令第241号による陸軍武官官等表改正(憲兵科を除く陸軍各兵少尉の区画)[96]各兵科尉官
(士官)陸軍歩兵少尉陸軍騎兵少尉陸軍砲兵少尉陸軍工兵少尉陸軍輜重兵少尉

大正9年勅令第241号による陸軍武官官等表改正(経理部・衛生部准士官の部)[96]経理部准士官陸軍上等計手陸軍上等縫工長陸軍上等靴工長衛生部准士官陸軍上等看護長陸軍上等磨工長

1922年(大正11年)10月にシベリアから撤兵した。

1925年(大正14年)5月1日に大正14年勅令第160号を施行して陸軍武官官等表を改正し、航空兵を独立した兵科として、陸軍工兵大佐の項の次に陸軍航空兵大佐から陸軍航空兵伍長までを加えた[98]

大正14年勅令第160号による陸軍武官官等表改正[98]各兵科准士官陸軍航空兵特務曹長

1931年(昭和6年)9月18日に満洲事変が起こる。1932年(昭和7年)1月28日に第一次上海事変が起こる。1932年(昭和7年)3月1日から日ソ国境紛争が始る。
昭和12年の日本陸軍

1937年(昭和12年)2月15日に昭和12年勅令第12号を施行して陸軍武官官等表を改正して准士官の官名はこれを一律に准尉とし、附則により現に附則第2項の表の上欄に掲げる官に在る者は辞令を用いず各その相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとし、従前の法令の中で附則第2項の表の上欄に掲げる官に関する規定は各その相当の下欄に掲げる官にこれを適用するとし、また従前の法令の中で附則第3項の表の上欄に掲げる者に関する規定は各その相当の下欄に掲げる者にこれを適用するとした[注 35]。このとき文武判任官等級令も改正している[100]

昭和12年勅令第12号による陸軍武官官等表改正(准士官の部)[101]各兵科准士官陸軍憲兵准尉陸軍歩兵准尉陸軍騎兵准尉陸軍砲兵准尉陸軍砲兵技術准尉陸軍工兵准尉陸軍工兵技術准尉陸軍航空兵准尉陸軍輜重兵准尉経理部准士官陸軍主計准尉陸軍縫工准尉陸軍装工准尉衛生部准士官陸軍衛生准尉陸軍療工准尉獣医部准士官陸軍獣医務准尉軍楽部准士官陸軍軍楽准尉

昭和12年勅令第12号・附則第2項の表(准士官の部分)[101]陸軍憲(歩、騎、砲、工、航空、輜重)兵特務曹長陸軍砲(工)兵上等工長陸軍上(一、二、三)等計手陸軍上(一、二、三)等縫(靴)工長陸軍上(一、二、三)等看護長陸軍上(一、二、三)等磨工長陸軍上(一、二、三)等蹄鉄工長陸軍楽長補
陸軍憲(歩、騎、砲、工、航空、輜重)兵准尉陸軍砲(工)兵技術准尉陸軍主計准尉(曹長、軍曹、伍長)陸軍縫(装)工准尉(曹長、軍曹、伍長)陸軍衛生准尉(曹長、軍曹、伍長)陸軍療工准尉(曹長、軍曹、伍長)陸軍獣医務准尉(曹長、軍曹、伍長)陸軍軍楽准尉

昭和12年勅令第12号・附則第3項の表(准士官の部分) [101]砲(工)兵工長計手縫(靴)工長看護長磨工長蹄鉄工長
砲(工)兵技術准士官、下士官主計准士官、下士官縫(装)工准士官、下士官衛生准士官、下士官療工准士官、下士官獣医務准士官、下士官

昭和12年勅令第15号による文武判任官等級令(別表)改正(陸軍准士官の部分)[100]陸軍准士官及び下士官
一等陸軍各兵科准尉陸軍各部准尉

1937年(昭和12年)に陸軍各兵科准尉又は陸軍各部准尉という名称に変更した。終戦時に於ける准士官の種類としては兵科の准尉と憲兵准尉、技術部の技術准尉、経理部に主計・経技・建技の3種、衛生部の衛生准尉・療工准尉、獣医部の獣医務准尉、法務部の法務准尉、軍楽部の軍楽准尉があった。

1937年(昭和12年)7月から支那事変、8月から第二次上海事変があり日中戦争が始る。


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