冷蔵庫
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地球観測衛星ふよう1号の光学センサの冷却に使用された。他に赤外線撮像素子や超伝導磁石の冷却にも使用される。
ペルチェ効果型詳細は「ペルチェ素子」を参照

冷媒を用いない。ペルチェ効果を利用し温度を下げる。

ペルチェ冷却システムは、圧縮機(コンプレッサ)を使用しないため、作動音がほとんどない。そのため、吸収型と同様の用途に使用される。圧縮型や吸収型に比べると非常に安価だが、冷却効率は良くない(エネルギー効率は数パーセントにとどまる)ことから、小型の自動車用冷蔵庫や、ペットボトルが数本入る程度の超小型冷蔵庫などに利用されている。
ケミカルヒートポンプ詳細は「ケミカルヒートポンプ」を参照

可逆的化学反応を利用して熱の出し入れを行う[3][4]
水素吸蔵合金

水素吸蔵合金水素を吸収、放出する時に発熱、吸熱する現象を利用する。
冷却方式(主に一般家庭用)

現在、一般家庭用冷蔵庫市場は主に以下の2つに大別される。
直冷式(自然対流式)

冷蔵庫の庫内にコンプレッサー(冷却管)を張り巡らせ、管からの冷気で直接冷却する方式。庫内温度差を利用して対流を期待する。50?70リットル(L)前後の小型冷蔵庫などに用いられることが多い。欠点と利点は以下のとおりである[5]

利点
ファンを利用しないため、ファン式と比べると静穏性が高い。

消費電力がファン式と比べて少ない。


欠点
自然対流に任せるがゆえに庫内に完全に冷気が行き渡らず、冷却効率に難がある。

冷蔵庫に物を詰め込み過ぎた場合、自然対流が起こらずファン式と比べると腐敗が発生する可能性が高い。

霜取りが必要である。霜を取らないと冷却効率が低下する。


ファン式(強制対流式)

冷却機にファンを取り付け、強制的に庫内に行き渡らせる方式。一般家庭用大型冷蔵庫では主流となっている。

利点
ファンで強制的に対流させるため、庫内は全体的に平均的な温度に保たれる。

冷却効率が良く、冷えが良い。

霜取り機能がついているものがある。


欠点
直冷式と比べると騒音が大きい。


歴史冷蔵庫の広告(1926年)「冷凍技術の年表」も参照
年表(1933年まで)

1748年
ウィリアム・カレン(Dr. William Cullen; 英国スコットランド グラスゴー大学)がエーテル気化熱を発見。

1803年 豪農トマス・ムーア(Thomas Moore 米国メリーランド州)が「氷を利用して冷蔵する道具」を作成し、これを「refrigerator(冷蔵庫)」と名づけた。Frigerareとはラテン語でcoolという意味で、re frigeratorはto coolである。電気冷蔵庫が一般化して以降、それらが新たに「refrigerator」と呼ばれ、旧来のrefrigeratorには「icebox(アイスボックス)」の名が与えられた(=レトロニム)。

1805年 オリバー・エバンス(Oliver Evans 米国ペンシルベニア州) 吸収型冷却法を提唱(気化した硫化酸を水で吸収する方式)。設計方法のみで製作はされなかった。

1820年 マイケル・ファラデー(英国ロンドン) 液化アンモニアによる冷却を発見。

1834年 ジェイコブ・パーキンス(Jacob Perkins 米国の発明家) エーテルを使用した製氷機。圧縮型で米国初の特許

1848/1849/1855 ジョン・ゴーリエ(John Gorrie 米国フロリダ州) 医者であったゴーリエは、マラリア患者のために使う氷を作ろうと、ファラデーの実験を基に圧縮型冷蔵システムを考案し、オリバー・エバンスの設計を基にした冷蔵庫を開発。エーテルを使用し車輪蒸気エンジン風車で駆動させた。彼は現在使用されている製氷トレーも考え出した。

1850年 エドモン・カレー(Edmond Carre フランス) 水と硫酸を使用した吸収型冷蔵庫を開発。

1852年 ウィリアム・トムソンとジェームズ・プレスコット・ジュール(William Thomson & James Prescott Joule) 冷却が圧力差の比率を増加させる。

1856年 アレクサンダー・トワイニング(Alexander C. Twinning 米国) 米国初の冷蔵庫の商用化(とされている)。

1856年 ジェームス・ハリソン(James Harrison オーストラリア) ゴーリエとトワイニングの冷蔵庫を研究し、圧縮型エーテル冷蔵庫を開発。世界初の実用的な冷蔵庫といわれる。ビール業界および食肉加工業界に利用された。

1859年 フェルディナン・カレー(Ferdinand Carre フランス エドモンの弟) アンモニアと水を使用した吸収型冷蔵庫を開発。

米国では、南北戦争(1861-65年)により北側から氷が届かなくなったため、冷蔵庫は南部側で商業的な成功を見た。

1866年 ケモジン(chemogene、エーテルとナフサの混合物)が冷媒として特許取得。

1867年 サザーランド(J.B. Sutherland 米国ミシガン州デトロイト)の冷蔵列車が特許取得。

1870年 米国ニューヨークブルックリンのS. Liebmann’s Sons Brewing Companyで熱吸収型冷却冷蔵庫が使用される。商用の冷蔵施設はビール工場で最初に使われだし、1891年までに全てのブルワリーで冷蔵施設が装備された。

1873年 アンモニアが冷媒として初めて使用される。

1875年 硫化ダイオキサイドとメチルエーテル。

1876年 カール・フォン・リンデ(Carl von Linde(ドイツ語版)(英語版) ドイツ ミュンヘン) アンモニアを冷媒に使用し、1877年に特許取得。

1878年 メチルクロライドを冷媒に使用。

1911年 米国GE社(米国インディアナ州フォートウェイン)最初の家庭用冷蔵庫、2台がフォートウェインにて製造された。これはフランスの僧侶Abbe Audiffrenの発明を用いたもの。これは最初の電気冷蔵庫らしきものである。

1913年 フレッド W ウルフ ジュニア(Fred W. Wolf Jr 米国シカゴ)最初のアメリカ製冷蔵庫DOMELRE (DOMestic ELectric REfrigerator)。商業的には成功しなかった。

1915年 アルフレッド・メロウェス (Alfred Mellowes) 最初の家庭用一体型冷蔵庫をつくる。キャビネット下部にコンプレッサーを装備。翌年Guardian Frigerator社を興して生産・販売したが、手作りで生産台数は2年間で40台程だといわれている。1918年、ゼネラルモーターズ (GM) 創業者ウィリアム・デュラントが(GMでは誰も賛成しなかったため)個人として会社を買った。後にGM傘下に組み入れられた。名称もフリッジデール社 (Frigidaire Company) と変更。さらに、数年後DOMELREの権利も取得し、これが米国での大量生産につながっていく。

1916年 エドモンドJコープランド、アーノルド H. グロスはthe Electro-Automatic Refrigerating Companyを設立し、2か月後ケルビネーターに社名変更の後、ほどなくして現在の冷蔵庫と同じ冷却方式である「phase change heat pump」を採用。しかし、筐体としてはまだリモートタイプと呼ばれる保冷庫部と冷却装置が別々に分かれているもので、原理的には従来の氷箱を冷却装置で置き換えたようなものだった。

1918年 ケルビネーター社バイメタルサーモスタット付冷蔵庫を発表。初期の家庭用冷蔵庫は壁に埋め込む金庫のようなもので、騒音が大きかった。

1922年 バルザー・フォン・プラテンとカール・ミュンター(スウェーデン)吸収式冷蔵庫。

1923年 フリッジデール社が世界初の一体型を発表。

1923年 三井物産(日本) 米国から初輸入。

1925年 エレクトロラックス社(スウェーデン)バルザー・フォン・プラテンとカール・ミュンターの特許を取得し世界最初の吸収式冷蔵庫を発表。

1926年 エレクトロラックス社(スウェーデン) 米国で特許取得。

1926年 ウィリス・キャリア(Willis Carrier 米国) 遠心コンプレッサー方式 メチルクロライドを置き換える。

1927年 日立製作所(日本)電気冷蔵庫の試作に成功。

1927年 GE社(米国) 圧縮機を上に置くモニタートップ型。一般に広く使われた初の冷蔵庫で、100万台以上を生産した。二酸化硫黄を使用。

1927年 エレクトロラックス社(スウェーデン) 米国で米国向けの生産開始。

1928年 三井物産が米国GE社製モータートップ型を輸入、東京電気を介して量販。

1930年 ゼネラル・モーターズの研究所でトマス・ミジリーが安定した不燃冷媒クロロフルオロカーボン (CFC) を発見。「フレオン」と名づけ商品化された(日本ではダイキン工業フロンと名づけたもの)。


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