冬の華
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刑事:池田謙治

三枝のボディガード:福本清三

中井組若衆:藤沢徹夫、矢部義章、西山清孝

勝又勇:白井滋郎

警官:峰蘭太郎

東竜会チンピラ:友金敏雄

自首した男:藤長照夫

新興勢力の子分:畑中怜一

自衛官:小坂和之

山辺組チンピラ:大矢敬典

バーの女:竹田幸野

事務員:浜加代子

一郎:大滝秀治

三枝信吉:岡田眞澄

陳:小沢昭一

メリー:倍賞美津子

松岡幸太郎:池部良

スタッフ

監督:
降旗康男

脚本:倉本聰

企画:俊藤浩滋、橋本慶一

撮影:仲沢半次郎

美術:井川徳道

照明:増田悦章

録音:溝口正義

編集:堀池幸三

助監督:藤原敏之

記録:森村幸子

音楽:クロード・チアリ

装置:三浦公久

装飾:柴田澄臣

背景:西村和比古

スチール:遠藤努

衣裳:森護

美粧:田中利男

結髪:白鳥里子

演技事務:森村英次

技斗:上野隆三

エレクトーン:高橋京子

進行主任:俵坂孝宏

宣伝担当:佐々木嗣郎、丸国艦

協力:東映俳優センター、京都 東急イン、京都円山公園 長楽館、同志社・アーモスト館

挿入曲

チャイコフスキー作曲ピアノ協奏曲第一番(演奏)ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)ロンドン交響楽団指揮:ロリン・マゼール(ロンドンレコード)
製作
企画

高倉健の仁侠映画の大ファンである倉本聰が、高倉出演の映画の感想等を書いた手紙を高倉に数年間送り、高倉から「いつか一緒に仕事が出来たら」と返事をもらっていた[2][3][4]。そのうち、高倉にTBSからテレビドラマ出演のオファーが来て、それなら倉本さんに脚本をお願いできないかとなり、これが『あにき』(1977年10月7日?1977年12月30日)となった[2][5]。高倉を慕う大原麗子が、倉本のドラマに多く出ていた関係で大原が段取りを組み[6]南青山喫茶店「ウエスト」で倉本と高倉は初めて会った[6]。『あにき』の撮影中に見学に来た俊藤浩滋に高倉が倉本を紹介し、俊藤が倉本に「何か一緒に映画をやらないか」と提案。本作の製作がスタートした[4]。当時の高倉は前年の『幸福の黄色いハンカチ』で各映画賞を総なめ。倉本は当時、新しいテレビドラマの分野を切り拓く新進気鋭の脚本家という位置付けで[3][7][8]、さらに横山博人監督の『』、岡本喜八監督の『ブルークリスマス』と倉本脚本が相次いで映画化されていた[3]。『冬の華』は22本目の映画化脚本となる[3]。高倉は2年半、東映で仕事をしていなかったが、オファーは何本も受けていた[4]。しかしどれもいまいちノリきれずにいたところ倉本の提案した本作を気に入り、俊藤も賛成し、久しぶりの東映での出演となった[4]。本作以降、元ヤクザという設定はあるものの、現役ヤクザを演じた作品はなく、本作は高倉の最後のヤクザ映画である。俊藤は1978年2月公開を目指して『人生劇場』のリメイクを企画していたが、飛車角を予定していた高倉に「スケジュールが取れない」と夢にも思っていなかった断れ方をされ、企画自体もポシャっていたため、何とか面目を保った形となった[9]。『映画時報』1978年4月号に「東映は6月に高倉健、池部良主演の『冬の華』を一本立て興行する」という記述が見られる[10]
製作発表

1978年3月22日(水曜日)、京都嵐山料亭で、高倉健、池上季実子らが出席し、製作発表会見が行われた[11]。会見で「製作費5億円、撮影期間45日。明日(1978年3月23日)から鳥取砂丘クランクイン、公開は6月上旬を予定している」などと発表があった[11]。高倉は「これまでのもの(任侠映画)とあまり違わないが、倉本さんの文体が違うので、出来上がったものはかなり違ったものになると思う」と話した[11]
脚本

倉本は東映やくざ映画の筋金入りの大ファン[6]。「昭和残侠伝シリーズ」で高倉が演じた"花田秀次郎"というヒーローがいなくなって、とても淋しいという想いが常にあり、しかし再登場させても二番煎じにしかならないし、どうしたらいいか考え、花田秀次郎がいなかった五、六年間は網走刑務所に入っていたのではないかと着想し『冬の華』の主人公・加納秀次は還ってきた花田秀次郎として造型した[3]。また数年前から『あしながおじさん』をベースに脚本を推敲をしていて、本作に取り入れた[3][6][12][13]。これらのプロットを高倉が北海道の倉本の自宅を訪ねて来た際に話すと、高倉もノッてくれた[6]。その後も喫茶「ウエスト」などで高倉と会い話を詰めた[6]。高倉はあまり喋らないが、高倉からジャン・ギャバンアラン・ドロンの出るフランスフィルム・ノワールのような雰囲気にしてほしいと要望があった[6]。倉本は本作の脚本執筆中に勝新太郎京都祇園で飲んだ時、勝から「菅谷政雄伝記を書いてくれ」と頼まれた[6]。倉本は断ったが、酔っぱらった勝の運転するリンカーン・コンチネンタルで強引に神戸三宮まで連れて行かれ、初めてヤクザと酒を飲んだ[6]クラブを4軒ハシゴしたこの夜の実体験は、本作中でカラオケのマイクの取り合いから殺人に発展するシーンなど、本作の脚本に大いに活かされたという[6]。菅谷は本作の試写会に子分と一緒に招かれ、「おお、なかなかええやないか」と褒め[6]、ヤクザ映画にシャガールを出すなどの内容に不満があった俊藤を黙らせたという[6]
トラブル

倉本が『冬の華』というタイトル[注 1]で東映に脚本を提出したが、岡田茂東映社長が「『冬の華』では客が来ない」と[16]、『網走の花嫁』[1][16][17][18]、もしくは『網走の天使』[19][20][21]にタイトルを変更しようとした[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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