数学において、(一変数の)冪級数(べききゅうすう、英: power series)あるいは整級数(せいきゅうすう、仏: serie entiere)とは ∑ n = 0 ∞ a n ( x − c ) n = a 0 + a 1 ( x − c ) 1 + a 2 ( x − c ) 2 + ⋯ {\displaystyle \sum _{n=0}^{\infty }a_{n}\left(x-c\right)^{n}=a_{0}+a_{1}(x-c)^{1}+a_{2}(x-c)^{2}+\cdots }
の形の無限級数である。ここで an は n 番目の項の係数を表し、c は定数である。この級数は通常ある知られた関数のテイラー級数として生じる。
多くの状況において c(級数の中心 (center))は 0 である。例えばマクローリン級数を考えるときがそうである。そのような場合には、冪級数は簡単な形 ∑ n = 0 ∞ a n x n = a 0 + a 1 x + a 2 x 2 + ⋯ {\displaystyle \sum _{n=0}^{\infty }a_{n}x^{n}=a_{0}+a_{1}x+a_{2}x^{2}+\cdots }
になる。
これらの冪級数は主に解析学において現れるが、組合せ論においても(形式的冪級数の一種である母関数として)現れ、電気工学においても(Z変換の名の下で)現れる。実数のよく知られた十進表記(英語版)もまた冪級数の例と見ることができる。係数は整数であり、引数 x は 1/10 に固定されている。数論における p 進数の概念もまた冪級数の概念と密接に関係している。 冪級数の取り扱いには大きく分けて二つある。四則演算などの代数的性質のみに着目する形式冪級数と、関数などの解析的性質に着目する収束冪級数である。 数列 (an)n∈N が有限列であるとき、つまり適当な自然数 m があって、n>mなら必ず an = 0 が成り立つような列であるとき、これを係数列とすることによって得られる形式冪級数 f ( x ) = a 0 + a 1 x + a 2 x 2 + ⋯ {\displaystyle f(x)=a_{0}+a_{1}x+a_{2}x^{2}+\cdots } は実質的に有限個の項からなり、多項式である。 多項式に対してはその係数列の有限性から係数が 0 にならない添字の最大値 max{n∈N 。an ≠ 0} として次数 deg(f) を考えることができたが、冪級数に対して同じことを考えるとほとんど全部の冪級数の次数は無限大であり、したがって、形式冪級数は形の上では多項式の次数を無限大に飛ばした類似物であると見ることができる一方で、形式冪級数に対して次数を考えてもほとんど何の役にも立たないということになる。形式冪級数に対して“多項式における次数”のような役回りを演じるのは、係数が 0 にならない添字の最小値 min{n∈N 。an ≠ 0} である。多項式と形式冪級数との関係は有理数と実数(の無限小数展開)および p-進数(の p-進展開)との関係の類似であり、実際に冪級数を有限体上で考えれば、これら類似性は大域体とその局所化である局所体との関係として一般的に取り扱われる。 収束冪級数は形式冪級数にその収束域を考え合わせたもので、収束冪級数はその収束域上で関数を定める。特に複素解析において解析関数を取り扱う際に重要な役割を演じる。 数列の持つ性質を母関数によって調べる組合せ論的な手法では、得られる冪級数が収束することが、冪級数に操作を施して得られた数列の性質をすべて肯定することになるため、収束性の確認は重要である。にもかかわらず、数列にとっては母関数が“何らかの意味で”収束する点を(中心以外に)持ちさえすればよいので、母関数の収束性にそれほど注意が払われることもない。
概要
例指数関数(青色)と、そのマクローリン級数の最初の n + 1 項の和(赤色)。