冨士眞奈美
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同年公開の『ばあばは、だいじょうぶ』に認知症を患った祖母役で出演し、久々のスクリーン復帰作となった[4]
エピソード
生い立ち

弟(長男)が生まれた後、父は毎週日曜日になると冨士を含めた3人の娘にお揃いの服を着せ、近所の飛鳥山公園に連れて行って皆で甘味処でみつまめを食べたという[3]。冨士によると、「みつまめはとても美味しくて遊びに行くのは楽しかったけど、当時両親は初めての男の子である長男を溺愛していました。きっと長男と2人きりになりたい母が、われわれ女の子3人を外に連れ出すため、父に頼んで飛鳥山に行かせたに違いありません(笑)」と回想している[3]

ある日自宅にあった食べ物が原因で疫痢になったが、病院で診てもらう際、母親にせがんで付いてきた弟にも感染してしまった[3]。一時弟と共に生死の淵をさまよったが、数日後に無事寛解した[注釈 1]。三島へ戻った翌1945年年、東京は大空襲に見舞われたが、引っ越していたことで結果的に命拾いした[注釈 2]

当時自宅の本棚に本がぎっしり詰まっていたことから、子供の頃から自然と読書好きな文学少女となった[1]。その一方、少女期はお転婆な性格な面もあって男の子たちとビー玉やめんこの他、度胸試しでちょっとした崖から飛び降りたり[1]、男の子に混じって草野球をするなど、活発だったという。
オペラがきっかけで女優の道に

中学2年生の頃、元声楽家とされる一人の音楽教師[注釈 3]と出会い、授業で蓄音機でオペラを聴かせてくれたことでオペラ鑑賞が好きになった[1]。高校の音楽教師は芸大ソプラノ専科出身で、オペラ好きな冨士をかわいがってくれた[1]。以降その教師から授業とは関係なく、『椿姫』や『蝶々夫人』などオペラのアリアの譜面を貸してもらい、写譜をして歌詞に読みがなを振るなどしてその曲を一生懸命覚えた[1]

それまで芝居未経験だったが高校在学中、姉の勧めで劇団民藝やNHKの役者オーディションを受験[1]。NHKのオーディションでは書類に「趣味・オペラ」と書いたのを目にした審査員から「君、オペラを歌えるの?」と聞かれたため、急遽アカペラで『蝶々夫人』を歌った[1]。すると、その人物が「面白い、自分はこの子にかけてみたい」と気に入り、他の審査員の反対を押し切ったことで採用が決まった[1]
デビュー後

女優になるとすぐに連続ドラマ「この瞳」の主役に決まり、トントン拍子で女優の道を歩んでいった[1]。ただし、デビューから3年半ほどは収入が多くなかったため貧乏生活を送り、電話も風呂もない狭い部屋に住みながら、数日間毎日同じ服を着て過ごしたという[1]。20歳の頃に資生堂の専属モデルとなったことで、ようやく暮らしに余裕ができて少し広い所に引っ越した[1]。当時は女優の仕事に執着していなかったが、ほどなくして父が亡くなり、「この仕事で一家を支えていかなきゃ」という気持ちに変わったという[1]

30代半ばの頃に独身として女優業に邁進していたある日、先輩女優・山岡久乃から未婚のまま女優活動を続けた後悔を聞いた[注釈 4]。これに一人の女としてハッとさせられ[注釈 5]、その時までに決まっていた仕事をこなした後、林との交際に時間を作って慌ただしく結婚した[1]
人物

趣味は相撲・
野球観戦、俳句とイタリアオペラ鑑賞[1]

プロ野球では長嶋茂雄野茂英雄大谷翔平[4]のファンである。数字にまつわる持ち物は長嶋の背番号と合わせていると公言しており、野茂については引退後に発売されたSports Graphic Number PLUSの完全保存版野茂英雄1990-2008にコメントを寄せている。

相撲・野球だけでなく実際にはスポーツ全般を見るのが好きで、仕事などのスケジュールがかぶらない限り長年オリンピック中継は録画はせず、全てライブ映像で視聴している[注釈 6]。また、ラグビー観戦にも興味を持ち始めている模様[4]

俳句を始めたきっかけは、俳人・中村汀女が『テレビ句会』という番組に出演し、ゲストの谷川俊太郎、黛敏郎と共に出演したこと[1]。それまで短歌は作っていたが俳句の経験はなく、同番組で初めての俳句作りがとても面白く、汀女から筋がいいと褒めてもらったことが“成長剤”になり、俳句に目覚めた[1]2008年から俳壇賞選考委員を務める[1]。また、俳句に関して坪内稔典らから高く評価されている。

オペラでは、プッチーニの『トスカ』のアリアが大のお気に入り[1]

岸田今日子吉行和子とは古くから親交が厚く[注釈 7]、ユーモラスな交流関係が注目されて度々トリオで起用されていた。

黒柳徹子ともNHK専属時代よりプライベートでも大変親交が深く、『徹子の部屋』には番組開始当時から定期的に出演している。離婚前の林や娘の岩崎と一緒に出演し、2019年の岩崎と出演時には生前より親交があった小林千登勢からプレゼントされたスカーフを巻いて出演していた。2022年9月19日放送時は岩崎と出演して、親友の吉行和子と4月に出演予定だったが、直前に急病で倒れキャンセルとなってしまい前回出演時よりも体重が10キロ減った事などを岩崎と話している。また、後輩の加賀まりこは古くからの交流がある仲良しの1人でもある。

大山のぶ代とは冨士のデビュー作「この瞳」で共演し、新人女優時代はお互い収入が少なかったことから2年ほど(別の媒体で本人は、「上京後からの4年半」とも証言)安アパートの同じ部屋で一緒に暮らすなど[1]当時からの仲良しである[5]

遠縁には前田美波里(母方の叔母が前田の母のいとこと結婚)[6]岸惠子(母方の叔母の夫が岸の母方のいとこの妻の弟)[6]がいる。

幼少期に住んでいた東京の自宅は、渋沢栄一の邸宅の真ん前にあった[注釈 8]。幼い頃は渋沢邸の勝手口の石段でよく遊んでいた[3]

父は新聞記者で、結婚後に夫婦でデモに参加したり選挙の応援運動に熱心だった。このことが影響し、子供ながらに一番好きだった番組はラジオ(まだテレビがない時代)の選挙速報だった[1]

10代の頃に特に好きだった本は、小学5年生の頃に石川達三の『転落の詩集』、中学生時代に尾崎紅葉の『金色夜叉』、高校時代にマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』、スタンダールの『赤と黒[1]

性格について本人は、「大らかで大雑把なタイプで基本的にとことん考えるのは嫌い。


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