円谷英二
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ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐1960年、東宝)[注釈 26]

紅の海1961年、東宝)

紅の空1962年、東宝)

太平洋の翼1963年、東宝)

青島要塞爆撃命令(1963年、東宝)

太平洋奇跡の作戦 キスカ1965年、東宝)

勇者のみ(1965年、東京映画・シナトラエンタープライズ)

ゼロ・ファイター 大空戦1966年、東宝)

連合艦隊司令長官 山本五十六1968年、東宝)

日本海大海戦1969年、東宝)[注釈 27]

SF映画

透明人間現わる1949年大映京都

虹男(1949年、大映

透明人間1954年、東宝)

地球防衛軍1957年、東宝)

変身人間シリーズ(東宝)

美女と液体人間1958年

電送人間1960年

ガス人間第一号(1960年)

マタンゴ1963年[注釈 28]


宇宙大戦争1959年、東宝)

世界大戦争(1961年、東宝)

妖星ゴラス1962年、東宝)[注釈 29]

海底軍艦(1963年、東宝)

緯度0大作戦1969年、東宝・ドン=シャーププロ)

怪獣映画

1954年公開のシリーズ第1作『ゴジラ』でのクレジットは「特殊技術 圓谷英二」。『ゴジラの逆襲』で初めて「特技監督 円谷英二」としてクレジットされた[85]

ゴジラ映画では、第7作の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)まで特技担当するが、この作品では、実質的に弟子の有川貞昌が特技監督を任じている。次回作である第8作の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)からは監修に回り、特技監督を正式に有川にバトンタッチした[86]

有川によると、この「特技監修」とは、「絵コンテ作成とフィルム編集以外を任される」ということである。「円谷特技プロ」においても、フィルム編集は円谷自身が立ち会っている。

『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』、『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』の2作に円谷は一切関わっておらず、スタッフの円谷に対する敬意として名義を使用したものである[87][88]

※全て東宝配給作品。

ゴジラシリーズ

ゴジラ1954年

ゴジラの逆襲1955年

キングコング対ゴジラ1962年

モスラ対ゴジラ1964年

三大怪獣 地球最大の決戦1964年

怪獣大戦争1965年

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘1966年

怪獣島の決戦 ゴジラの息子1967年) - 特技監修

怪獣総進撃1968年) - 特技監修

ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃1969年) - 監修(名義のみ)


獣人雪男1955年

空の大怪獣 ラドン1956年

大怪獣バラン1958年

モスラ1961年[注釈 30]

宇宙大怪獣ドゴラ1964年


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