円谷プロダクション
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円谷映画特殊技術研究所の名称を円谷研究所に改称して東宝撮影所のスタジオ内に移転[17][18]。
1952年(昭和27年)
円谷英二が公職追放を解除されて東宝に正式復帰[17][18]。
1956年(昭和31年)
円谷英二が自宅の敷地に個人的な組織として円谷特技研究所を設立[19][18][20]。
1959年(昭和34年)
佐川和夫と中野稔が所属して関沢新一の門下生であった脚本家の金城哲夫も参加して、同年に放送された毎日放送の連続テレビ映画『鉄腕アトム』の特撮パートを松崎プロダクションから受注する[19][18]。
1962年(昭和37年)
円谷特技研究所が東宝スタジオ内の小さな建物に移転[19][18][20]。
1963年(昭和38年)
4月12日 - 円谷特技研究所を法人化して株式会社円谷特技プロダクションを設立[21][17][19][18][20]。
8月 - 撮影助手として鈴木清が、撮影技師として東宝出身で共同テレビジョンのニュースカメラマンであった高野宏一が参加[19][18]。
10月27日 - 特撮シーンの実質的な初仕事となる日活と石原プロモーションが提携した映画『太平洋ひとりぼっち』を公開[21][22][19][18][23]。
1964年(昭和39年)
3月30日 - 東宝が資本参加を決めて役員を投入[22][19][18][20]。また、代表と取締役に東宝の藤本真澄と柴山胖が就任。東宝の東京都世田谷区砧の撮影所近くにある旧衣装部の倉庫や東京美術センターの敷地を円谷特技プロダクションに本社として貸与[19][18]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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