円谷プロダクション
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7月17日 - 特撮カラーテレビドラマシリーズ『ウルトラマン』を放映開始[17][注釈 2]


1968年(昭和43年)

円谷皐が入社。成田亨野長瀬三摩地が退社。

5月10日 - 円谷皐が円谷エンタープライズを設立[17]

12月6日 - 東宝が大幅な増資を引き受けて円谷プロダクションの株式60%を所有する親会社となった。役員10人中7人が東宝から派遣されて、東宝の主導で150人の社員を40人にまでリストラして企画文芸部も廃止。商号を株式会社円谷プロダクションに変更[21][17][19][18]


1969年(昭和44年)

金城哲夫、上原正三、池谷仙克が退社。


1970年(昭和45年)

1月25日 - 円谷英二の病死により、円谷一が2代目社長に就任[19]


1972年(昭和47年)

5月 - 円谷音楽出版を設立[注釈 3]


1973年(昭和48年)

2月9日 - 円谷一の急死により、円谷皐が3代目社長に就任[19][25]

田口成光が退社。


1974年(昭和49年)

チャイヨー・プロダクションと共同で映画『ジャンボーグA&ジャイアント』と映画『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』を制作。


1979年(昭和54年)

4月4日 - 初のテレビアニメ『ザ☆ウルトラマン』を放映開始。


1983年(昭和58年)

4月 - 円谷一夫円谷英明が入社[26]


1984年(昭和59年)

経営危機に陥る。倒産回避のため、この年から7年間の期間限定で番組販売権と窓口権をTBSに数千万円で売却[27]


1987年(昭和62年)

アメリカハリウッドにウルトラコムを設立。


1989年平成元年)

6月 - 円谷粲が退社[8]


1991年(平成3年)

中国上海市に円谷アニメーションスタジオカンパニーを設立[28]


1992年(平成4年)

円谷皐が東宝が所有する円谷プロダクションの株式過半数を取得して、東宝の傘下から独立。円谷皐が経営権を掌握して諸権利は円谷プロダクション、円谷エンタープライズ、円谷音楽出版に配分された[29]


1995年(平成7年)

6月11日 - 円谷皐が病気により退任して、円谷一夫が4代目社長に就任[8]。中国の上海市に「上海圓谷策劃有限公司」設立[30]

12月 - このころからチャイヨー・プロダクションにより、「『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』及び『ジャンボーグA』の7作品において、日本以外における独占権(以下は本項において「ウルトラマンの海外利用権」)」の主張がなされる(詳しくは「ウルトラマン訴訟」を参照)。


2002年(平成14年)

2月 - 円谷プロダクションを退社していた円谷粲が再入社して副社長に就任。

6月 - 資金繰りに行き詰まり、銀行からの借り入れも出来なくなり、バンダイから経営改善を条件に12月を返済期限に2億円の融資を受ける[9]


2003年(平成15年)

円谷一夫が辞任して円谷昌弘が5代目社長に就任。クーデターを計画したとして辞表を提出させられて専務取締役の高野宏一が退任[9]。右田昌万が退社。


2004年(平成16年)

4月 - チャイヨー・プロダクションに対する著作権確認訴訟に関する敗訴が最高裁判所判決にて確定。
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