円卓会議_(ポーランド)
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1989年6月4日の選挙は、下院議席の自由選挙枠35%の全てと、上院議席の99%を「連帯」側が獲得するという地滑り的大勝利に終わった。また大統領選では、統一労働者党からの唯一の候補者であった党第一書記のヴォイチェフ・ヤルゼルスキが当選したが、これは「連帯」側と政府側の了解に基づくものであった。

セイムの自由選挙枠35%については、1991年の選挙時に撤廃された。
主要な参加者

会議には各分科会あわせて総勢452人が参加した。
「連帯」側

ズビグニェフ・ブヤク
(ポーランド語版)

アンジェイ・ツェリンスキ(ポーランド語版)

ヴワディスワフ・フラシニューク(ポーランド語版)

ブロニスワフ・ゲレメク

ヤロスワフ・カチンスキ

レフ・カチンスキ

ヤツェク・クーロン(ポーランド語版)

ボグダン・リス(ポーランド語版)

タデウシュ・マゾヴィエツキ

アダム・ミフニク(ポーランド語版)

ヤン・オルシェフスキ(ポーランド語版)

ヤヌシュ・オニシキェヴィチ(ポーランド語版)

ヤン・ロキタ(ポーランド語版)

グラジナ・スタニシェフスカ(ポーランド語版)

アンジェイ・ステルマホフスキ(ポーランド語版)

イェジー・トゥロヴィチ(ポーランド語版)

レフ・ヴァウェンサ

スタニスワフ・ストンマ(ポーランド語版)

アンジェイ・ミルチャノフスキ(ポーランド語版)

ミェチスワフ・ギル(ポーランド語版)

ステファン・ブラトコフスキ(ポーランド語版)

共産政権側

トマシュ・アダムチューク
(ポーランド語版)

チェスワフ・キシチャク(ポーランド語版)

ミコワイ・コザケヴィチ(ポーランド語版)

アレクサンデル・クファシニェフスキ

レシェク・ミレル(ポーランド語版)

アルフレト・ミョドヴィチ(ポーランド語版)

アンジェイ・オレホフスキ(ポーランド語版)

スタニスワフ・ヴィシニェフスキ(ポーランド語版)

カトリック教会からのオブザーバー参加者

ブロニスワフ・デンボフスキ
(ポーランド語版)神父

アロイジ・オルシュリク(ポーランド語版)神父

ヤヌシュ・ナジンスキ(ポーランド語版)司教

広報担当

「連帯」:ヤヌシュ・オニシケヴィチ
(ポーランド語版)

共産政権:イェジー・ウルバン(ポーランド語版)

評価

この円卓会議は、その後のポーランドの政治や社会のあり方を決定付ける重要な転換点であったのみならず、一連の東欧各国における社会主義体制崩壊の先駆けとなるものであった。また、話し合いによる平和的な合意形成、体制転換は、その後の東欧各国における民主化運動にも大きな影響を与えた。
関連項目

東欧革命

ポーランド民主化運動

ポーランド統一労働者党

独立自主管理労働組合「連帯」

1989年ポーランド議会選挙

円卓会議


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