内閣総理大臣を退任した後も、警視庁警備部の判断で元首相本人の警護を行うことが慣例となっている[33]が、基本的に警護を拒否することのできない現職首相とは異なり、元首相本人の意向により警護を辞退することも可能である[34]。
大日本帝国憲法下においては、退任した元首相は元老となったり重臣として重臣会議に参加した場合、内閣総理大臣の選任(天皇への奏薦)に携わることができた。
日本国憲法下において、内閣総理大臣を一度退任した人物がその後国務大臣や政党要職に就任した事例は少ないが、再度内閣総理大臣に就任した吉田茂と安倍晋三のほかにも、宮澤喜一(小渕内閣?森内閣での大蔵大臣→財務大臣)・橋本龍太郎(森内閣での沖縄及び北方対策担当大臣など)・麻生太郎(第2次安倍内閣?菅義偉内閣での財務大臣など)の3名は首相退任後に他の総理大臣の下で閣僚として入閣している。また、海部俊樹(新進党党首)・羽田孜(民主党幹事長)[注釈 14]・野田佳彦(民進党幹事長)の3名は内閣総理大臣退任後に野党第一党の要職を歴任している[注釈 15]。
このほか、表向きに要職へは就かないものの、田中角栄(闇将軍とも言われた)や竹下登、安倍晋三のように大派閥を擁し首相退任後も政界に大きな影響力を残す人物もいる。 内閣総理大臣経験者に対する栄典については、在任期間に応じ、位階は従一位、正二位または従二位(現在は没後叙位が原則)、勲等勲章は大勲位菊花章頸飾、大勲位菊花大綬章または桐花大綬章(旧・勲一等旭日桐花大綬章)のいずれかに叙される(在任1年9か月の小渕恵三は大勲位菊花大綬章に叙されている)。ただし、刑事事件などの不祥事により見送られることや本人の意志による辞退の例もある(例:田中角栄はロッキード事件で有罪となり刑事被告人のまま死去したため、栄典は受けられなかった。宮澤喜一は自身の遺志により遺族が栄典を辞退した)。 内閣総理大臣に就任が有力視された大物政治家でありながら、早世などの理由で就任に至らなかった人物を「幻の総理」と呼ぶことがある。福田和也『総理の値打ち』(文春文庫)や御厨貴編『歴代首相物語』(新書館)など歴代首相総覧の類では定番の項目となっているほか、浅川博忠
栄典
格言小泉純一郎
内閣改造をするほど総理の権力は下がり、解散をするほど上がる
佐藤栄作の言葉。内閣改造をしようとすると、他派閥の肘鉄や大臣病など多くの国会議員が総理に群がるために対応が難しくなって総理の権力が下がる。一方で衆議院解散をすると多くの衆議院議員が自分の党の公認を得ようと総理に求め地元選挙区に帰り衆院選で当選して政治生命を保とうとし、衆院選で勝利し民意を得て首班指名で再選されれば政権基盤が増すため総理の権力が上がる。
歌手一年総理二年の使い捨て
竹下登の言葉。総理は就任時は最初のうちは新しさからチヤホヤされるが、そのうちに賞味期限が切れると社会から批判されるようになり、任期2年くらいで総理を交代させられることを揶揄した言葉。なお、この言葉は三角大福時代に竹下が中堅代議士だったころから使っている。
総理の敵は正面だけじゃなく後ろにもいれば横にもいるし上にもいるし斜めからも内部にもいる
小泉純一郎の言葉。総理は日本でもっとも注目される最高権力者といっても、国会内で対決姿勢の原則を示す野党だけでなく、マスコミや外国や業界団体が自分に批判的になることもあり、本来同じ目的を持つはずの与党内にも他派や反執行部が批判的になるため、どこに敵がいてどこから狙われるか用心しなければならないことを指した言葉。
総理の権力の最大の源泉は解散権と人事権
小泉純一郎の言葉。閣僚や党幹部を含めた人事と衆議院の解散権は、総理の強大なる権力の源泉であることを指摘した言葉。特に郵政解散においては、抵抗する島村宜伸農相を罷免。さらに「抵抗勢力」とされた候補に刺客候補を続々に送り込むなど、小選挙区制によって総理が持つ権力の強大さを印象づけた。
どす黒いまでの孤独に耐えきれるだけの体力、精神力がいる
麻生太郎の言葉。自らの責任で仕事をやり、最終判断を下すのは自分しかいないことを指摘した言葉。
幻の総理
記録
在職記録安倍晋三東久邇宮稔彦王大隈重信吉田茂