内閣総理大臣補佐官
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内閣官房に設置され、定員は5人以内である(内閣法第21条第1項)。

以前の内閣法の規定では、「内閣の重要政策に関し、内閣総理大臣に進言し、及び内閣総理大臣の命を受けて、内閣総理大臣に意見を具申する」こととされていたが、アドバイザー的な役割にとどまり不十分であるとして機能強化を求める声があった。2014年の一部改正により、その職務は、「国家として戦略的に推進すべき基本的な施策その他の内閣の重要政策のうち特定のものに係る内閣総理大臣の行う企画及び立案について、内閣総理大臣を補佐する」ことと改められた(法第21条第2項)。また、内閣総理大臣は、内閣総理大臣補佐官の中から、国家安全保障に関する重要政策を担当する者を指定するものとした(法第21条第3項)。

任免は、内閣総理大臣の申出により内閣においてなされる(法第21条第5項、法第15条第4項)。任命に際しては、担当事項の内容や当人の事情等を勘案して常勤非常勤の別が指定される。常勤の補佐官は、内閣総理大臣の許可が無ければ、報酬を得て他の職務に従事したり、営利事業を営むなどしてはならない(法第21条第5項、法第15条第6項)。

国家公務員法第2条3項により、特別職国家公務員とされ、内閣総理大臣補佐官は、内閣官房副長官補内閣広報官及び内閣情報官の後、副大臣の前に記載されている[4]
内閣官房との関係

組織の面では内閣官房に属するが、その名称及び職務の面では内閣総理大臣に直属し、内閣官房長官から独立している。

2014年(平成26年)の所掌事務改正に伴い、内閣総理大臣補佐官及び大臣補佐官の職務遂行に係る規範(平成26年5月27日閣議決定)が定められ、内閣総理大臣・内閣官房長官・内閣官房副長官その他の内閣官房職員との関係が以下のように明確化された。

内閣総理大臣補佐官は、内閣総理大臣直属のスタッフと位置づけられ、内閣官房長官以下の内閣官房のラインに対する指揮命令権を持たず、あるいはこれを補佐するものではない。

ただし、必要がある場合には、内閣総理大臣はラインに命じてサポートさせることができる。また、適切な連携を図らせ、能率的に職務を遂行させなければならない。

就任時に、担当する職務の範囲を、内閣総理大臣が書面により指示する。必要に応じ、指示した事項に係る処理方針についても併せて示す。なお、この指示は特定の政策を明示して行うことになる。

任用を要する場面

内閣総理大臣補佐官が求められる場面としては次のようなケースが挙げられる(従前の所掌事務の場合を含む)。

総理が信頼する
側近的な国会議員等を直属の部下として登用し、内閣官房長官、内閣官房副長官らとともに総理に近いチームとして官邸を構成する場合(米国大統領補佐官に倣ったもの)

重大な外交問題や機構制度の大改革のような政権が掲げる重要政策、または高度に専門的な企画・立案を要する事項で特定省庁ではなく政権が直轄すべきものを、民間の学識経験者等を官邸スタッフに加えて担わせ、あるいは総理直属の人物に省庁横断的な調整に当たらせたい場合

重要ではあるが、新たな省庁や特命担当大臣等を置くまでに至らない規模・性質の事項を担当させる場合

本来閣僚に就けて担当させるべきところ、その者が就任を固辞してもなお政権に参画させて助力を求めたい場合

内閣改造等により閣僚を離れたり、入閣には十分なキャリアがありながらも人選漏れした与党国会議員を待機的に処遇する場合

総理の相談役(ブレーントラスト)的な人物を登用する場合。もっともこの場合、非国会議員であれば内閣官房参与として登用することが多い

沿革
首相特別補佐・首相補佐

1993年(平成5年)8月11日 - 細川内閣において、内閣総理大臣特別補佐(首相特別補佐)が設けられ、田中秀征さきがけ)が起用される(翌年1月31日辞任)。これは設置について法律政令上の根拠の無い首相の私的な相談・補佐役であったが、総理大臣官邸に専用の執務室を持ち(事実上の)常駐体制をとっていた。

1994年(平成6年)10月14日 - 村山内閣において、内閣総理大臣補佐(首相補佐)が設けられ、中川秀直自民・衆)・早川勝社会・衆)・錦織淳(さきがけ・衆)の3人が起用される。これも設置について法律・政令上の根拠の無い首相の私的な相談・補佐役であり、また細川内閣時代の首相特別補佐と異なり官邸への常駐形態はとらなかった。

1995年(平成7年)9月26日 - 中川秀直が退任し、戸井田三郎(自民・衆)が首相補佐となる。

1996年(平成8年)1月11日 - 第1次橋本内閣の発足に伴い、戸井田・早川・錦織が首相補佐を退任。

事実上の補佐官

第1次橋本内閣において、沖縄米軍基地楚辺通信所一部用地の強制使用手続に関する大田昌秀沖縄県知事の代理署名拒否問題解決のため、1996年8月から9月にかけて、沖縄問題に通じており人脈を持つ下河辺淳国土庁国土審議会会長をいわゆる密使として沖縄に派遣するなど交渉・処理に当たらせたが、この際いわゆる「政府筋」から下河辺を「事実上の補佐官」と評する発言があり、その旨の新聞報道もなされた。

この時点で、既に内閣法の一部改正により補佐官は法制化されており、この件の約2か月後に初代の補佐官2人が任命されたが、下河辺が任じられることはなかった。ただ、任命されたうちの1人は沖縄担当とされたことから、下河辺がテストケースであったと評価する報道もあった。


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