内海賢二
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また、共演者との演技のバランスにも留意していたという[21]

神谷明によると、『北斗の拳』でのケンシロウラオウの最終決戦の収録の際は、にこやかな普段と違い「そばにも寄れないほどの厳しさでオーラを放っていた」とのことで、その時はスタジオ中が緊張感に包まれていたという[38]

過去は振り返らないようにしており、常に新しいことへ挑戦する姿勢だった[42]。インタビューで「ベテラン・若手から吸収したいものは?」と聞かれた際は「良いセンス、芝居心、年に関係無く」と答えている[22]

生前は生涯現役の意向を持っていた[22]。最晩年は健康状態の問題からオファーを辞退することもあったが、「どうしても内海さんに」という仕事も多く、本人の意向もあり死去の10日前まで仕事を続け、救急搬送された死去の5日前にも収録のためNHKに出かけていたという[注 2][43][27]
エピソード

八奈見乗児は、九州時代からの先輩であった[2]。上京した内海は住むところがなく、新婚だった八奈見のアパートに転がり込んだという[2]。また、『熱血カクタス』の主演だった柴田秀勝は、自身の経営するバーの2階を内海の下宿に提供し、その上アルバイトのバーテンとして内海を雇った[2]。内海は声優として駆け出しの頃に面倒を見てくれたこの2人の先輩への感謝を忘れなかったという[2]

飯塚昭三とは「昭ちゃん」と「賢坊」と呼び合うほど親交が深かった[4]

新造人間キャシャーン』のブライキング・ボス役は、他のキャストが作品別で入れ替わる中、一貫して内海が担当していた。

今まで演じた中で一番好きな役に、『パピヨン』でのスティーヴ・マックィーンの吹き替えを挙げている[22]。マックィーンの吹き替えは、宮部昭夫と分け合う形で担当した持ち役の一つで「演じてきた中で唯一の二枚目であり、自身のアテレコ史の頂点である」と述べている[44]。またそれが縁で『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』ではスティーヴ・マックィーンがモデルの役を1分に満たない出演ながらも受諾している。

かつて野沢雅子らと共に、アニメがビデオ・DVD化された際の使用料の支払いを求める訴訟を起こし、勝訴している。

「もし年齢が20歳若ければ、ジョニー・デップの吹き替えを担当してみたい」と語ったことがある[21]

妻の野村道子とは多く夫婦共演している。また、1984年に賢プロダクションを設立した際、経営面に不慣れな内海は次第に過労のため、誰の目にも明らかなほどに憔悴[6][45]。この時、野村は役者仲間の助言もあり同プロダクションへ移籍[6][45][46]。声優業の多くはそれまでの持ち役に絞り経営面で尽力するなど、公私共に内海を支える片腕となった[45][46]

長男は所属する賢プロダクション社長の内海賢太郎[47]。アニメ『ブラック・ジャック21』の第1話では、自身が演じた友引警部の息子の名前を「賢太郎」と呼んでいる[注 3]

少年隊錦織一清とは、ミュージカル『ゴールデンボーイ』で共演したことがきっかけとなり交遊があった。2010年12月4日『中野サンプラザ座長公演 水樹奈々大いに唄う 弐』ではナレーションを担当した。
出演

太字はメインキャラクター。
テレビアニメ
1963年


狼少年ケン(1963年 - 1965年、ジャック[49]

鉄腕アトム(第1作)(ドラッグストアの主人)[注 4]

1965年


宇宙パトロールホッパ(アイアン[50]

ジャングル大帝(サイボス)

宇宙エース(イボ)

1966年


魔法使いサリー(1966年 - 1968年、パパ、よし子の父)

遊星仮面(サップス1号ステッキィ、サップス38号ヘスラー)

遊星少年パピイ(キングゴモラ)

1967年


黄金バット(マゾ)

かみなり坊やピッカリ・ビー


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