内海賢二
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アテレコを始めた頃は、劇場で映画を見ながら声までは出さないが思わず口合わせており、映画を冷静に客観的に見られず嘆いていたという[15]。その後もフランス語、ドイツ語、ロシア語を吹き替える時、多少戸惑っていたという[15]

アニメデビュー作は、1963年に放送された『狼少年ケン』での片目のジャック役[22]東映動画初のテレビアニメであり、以降はアニメ声優でも草分け的存在になる。また、本人曰く「マルチな役者」を目指していたことで[22]吹き替え出演やナレーターとしても活動し、以前からの舞台俳優としての活動のほか、1960年代から1970年代にかけては多くのテレビドラマにも顔出し出演している。

かつては、九州NHK放送劇団、未来劇場、東京アーティストプロダクション、東京俳優生活協同組合[6]、楡プロダクションに在籍した[13][15]
私生活

1973年、『宇宙エース』や『マッハGoGoGo』での共演をきっかけに知り合った声優の野村道子結婚。挙式は中村正夫妻を媒酌人として、アメリカ合衆国ハワイ州の白い教会で行われていたという[2]。当時所属していた事務所の社長が事故で死亡したが、しばらくは恩義があるため、その事務所に所属していた[6]。「多分これでもう社長への恩は返しただろう」ということで、退所[6]。その時に、「せっかく新しいところへ移るんなら、やっぱり映像の分野じゃなくて声の方がいいだろう、それだったら自分で事務所をやった方がいいかな」と考えて、1984年には賢プロダクションを設立[6][23]。自身のマネージメントとともに、野村の協力も得て後進の育成にもあたるようになる。これらの幅広い活動から、1980年代には長者番付に名を連ねたこともあった[24]
晩年・死後

その後も第一線で活動。長年に渡り多くのジャンルで貢献したことから、2009年に第三回声優アワード功労賞を受賞[25]。同年放送のアニメ『けんぷファー』と連動したラジオ番組『ラジオ けんぷファー 賢二と愛のわくわく臓物ランド』では初のアニラジレギュラーパーソナリティを務め、共に担当する中島愛との年齢差も含め話題となった[注 1][26]

晩年は、50歳半ばに患った膀胱がんが再発したため闘病しながら活動を継続[27]。2013年6月13日午後3時1分、がん性腹膜炎のため東京都新宿区の病院で死去[8]。75歳没。葬儀と告別式は、6月20日に青山葬儀所で営まれた[28]。生前最後の出演は、同年7月に放送された『銀の匙 Silver Spoon』の轟先生役となった[29]

2014年、第8回声優アワード「特別功労賞」を受賞[30]

2022年9月30日に、内海の仕事と偉業を追った映画『その声のあなたへ』が公開された[31]

2023年3月29日には、生前の内海の声をCoeFontのAI技術で再現した朗読付き電子書籍「YOMIBITO Plus」が発売された[32]
人物

免許は第一種普通免許小型船舶免許[13]。特技はゴルフ[13]

車は好きで、スティーブ・マックイーンの吹き替えを担当していなかった頃にマックイーンが出演していた映画『ブリット』を見て、その中に登場していたスタング・マッハ1が「欲しいな」、「いつか、同じ車を買おう」、「必ずあれは買おう」と思い、何年か後には買った[6]。モーターボードも買って乗り回していたという[6]松本梨香によると仕事終わりに内海の運転するベンツに乗せて貰った時は車内で大音量の演歌を流し「やっぱりベンツには演歌だよな!」と豪快に笑っていたなど、車に関する逸話を多数持っている[要出典]。
特色


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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