内幸町
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現在この区域は日比谷通りによって東西に分断され、東側が内幸町一丁目に含まれ、西側が二丁目となっているが、江戸時代にはこの通りは日比谷公園南端の内幸町交差点で止まっており、一つのまとまった街区であった。

寛永期には、東から順に陸奥盛岡藩南部家肥前唐津藩寺沢家、陸奥会津藩加藤家日向飫肥藩伊東家肥後人吉藩相良家の各上屋敷が存在した。このうち、東部の南部・寺沢・加藤の三邸は正徳3年(1713年柳沢吉保の手に渡り、以降大和郡山藩上屋敷となった。また、相良邸は石見津和野藩亀井家上屋敷となり、東から柳沢邸、伊東邸、相良邸として幕末まで続いた。

明治元年(1868年)、柳沢屋敷は東京府に転用された。明治27年(1894年有楽町に移転後、夏目漱石が入院したことで知られる長与胃腸病院や、仁壽生命保険本社、東京倶楽部などがあった。

伊東邸は島津家に渡った後分譲され、都新聞、病院や法律事務所が置かれた。



小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[8]

丁目番地小学校中学校
内幸町一丁目全域千代田区立千代田小学校千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校
内幸町二丁目全域

交通
鉄道

都営地下鉄 内幸町駅(○三田線

東京地下鉄 都営地下鉄 日比谷駅

東京地下鉄 霞ケ関駅(○丸ノ内線、○日比谷線、○千代田線) - 出入口が設けられている。(所在地:霞が関

東京地下鉄 新橋駅(○銀座線) - 出入口が設けられている。(所在地:港区新橋

バス

東急バス東98系統 経済産業省前 / 内幸町(等々力操車所行) - 東京駅丸の内南口行は日比谷公園 / 霞が関に設けられている。

都営バス橋63系統 内幸町

道路

首都高速都心環状線 - 出入口は設置されていない。

東京都道301号白山祝田田町線(祝田通り)

日比谷通り東京都道409号日比谷芝浦線

施設日本プレスセンタービル帝国ホテル東京新本館

富国生命ビル

富国生命保険本社

国際復興開発銀行東京事務所

国際開発協会東京事務所

多数国間投資保証機関本部

国際金融公社東京事務所


国際通貨基金アジア太平洋地域事務所

米州開発銀行アジア事務所

財務会計基準機構

芝浦機械東京本社


日比谷国際ビルヂング

JFEホールディングス本社

JFEスチール - 本社



東京電力ホールディングス本社

東京電力本店


日本プレスセンタービル

日本記者クラブ

経済協力開発機構東京センター


中日新聞東京本社 - 東京新聞発行母体

飯野ビルディング

飯野海運本社

川崎汽船本社(登記上の本店は神戸市

双日本社

イイノホール


帝国ホテル東京

第一ホテル別館 - 本館は港区新橋1丁目、本館と別館の間に区境が走っている。

日比谷パークフロント

ソニー銀行本社

ブロードバンドタワー本社


現存しない施設

東京府庁 - 1868年慶応4年・明治元年)に大和郡山藩上屋敷を接収して使用した。1894年(明治27年)に麹町区有楽町に新庁舎が完成したため移転した。

鹿鳴館 - 旧薩摩藩装束屋敷跡に建設され、1883年完成。のちに華族会館への払い下げ、徴兵生命保険(現・大和生命保険)への売却を経て1940年に取り壊された。跡地はNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)。隣接する帝国ホテルとの間に記念碑が設置されている。

日本放送協会 (NHK) 本部 - 東京放送会館1938年に愛宕山から移転。現在の渋谷区神南放送センターに移転した1973年まで存在していた。日比谷通り沿いには小さな放送記念碑が設置されている。跡地は日比谷シティ

新生銀行本店ビル(旧日本長期信用銀行本店) - 2010年まで。2011年より、中央区日本橋室町に所在。跡地は、現在は日比谷パークフロントとして建て替えられている。

出身・ゆかりのある人物

小川平吉弁護士、衆議院議員、国勢院総裁、司法大臣、鉄道大臣) - 住所が内幸町1丁目[9]

宮澤喜一内閣総理大臣


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