この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2020年9月)
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "内地"
共通法に規定する内地とされていた地域は、日本国との平和条約により放棄した外地を除き、戦後も基本的に日本の国土を構成し続けている。しかし、放棄した外地以外の内地の領域についても、平和条約に基づき、または日本が降伏した影響から、実効支配を喪失していた、またはしている地域がある。 日本本土の戦いからポツダム宣言受諾を経て降伏文書調印(1945年(昭和20年)9月2日)より以前に、連合国軍に軍事占領された内地は以下の領域である。降伏文書調印により内地全体が占領下に入った。 占領統治を担うGHQが1946年から幾つかのSCAPINを発令したことで、日本の行政権が及ぶ内地は下記の範囲に制限された。 SCAPIN677以降、内地のうち日本が行政権を喪失した地域は、日本国との平和条約の発効(1952年(昭和27年)4月28日)以降に下記のような変遷を辿った。 これら地域のうち、千島列島ではその範囲に北方地域を含むか否か[注釈 3]で北方領土問題が発生している。 また、竹島は平和条約上日本政府が主権を放棄する領土に最終的に含まれていない(とするのが米国および日本国の立場である[4])が、平和条約発効直前の1952年4月20日に、朝鮮戦争中(休戦前)の韓国が軍事占領し、そのまま領土として占有し続けている(詳細は竹島問題参照)。竹島は連合国軍以外の勢力が武力で日本の主権を侵害した唯一の島である。 また、占領から平和条約締結までの流れとは無関係に、先島諸島のうち尖閣諸島について中華人民共和国と台湾が領土権を主張している。なおこの実効支配については、沖縄戦以降本土復帰までは米国が、復帰以降は日本が維持している(とするのが米国および日本国の立場である)。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
占領 - 降伏 - SCAPINまで
硫黄島・沖縄県全域・樺太・千島列島・色丹島及び歯舞群島
SCAPIN677(1946年(昭和21年)1月29日)以降
四つの主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)
対馬と大隅諸島(口之島を除いた北緯30度線以北の南西諸島)を含む、主要島嶼に隣接した約1千の小島嶼
日本国との平和条約発効前に行政権を回復した地域
伊豆諸島(1946年(昭和21年)3月22日回復)
吐?喇列島(1952年(昭和27年)2月4日回復、詳細は十島村#歴史参照。)
SCAPIN - 平和条約まで
平和条約第二条で日本が主権を放棄
樺太(南樺太)
千島列島
平和条約第三条でアメリカ合衆国へ施政権が移管されたが、後に本土復帰を果たした地域
小笠原諸島(1968年(昭和43年)6月26日復帰)
北緯29度線以南の南西諸島
奄美群島(1953年(昭和28年)12月25日復帰)
沖縄諸島、先島諸島、大東諸島(1972年(昭和47年)5月15日復帰)
平和条約で主権の扱いについて何ら言及されなかった地域[要出典]
竹島
領土問題「北方領土問題」、「竹島問題」、および「尖閣諸島問題」も参照
法律以外の用法
出典検索?: "内地"
日本国との平和条約発効(1952年4月28日)によって外地を喪失したため、日本は全ての国土が共通法上の内地となり、法的な意味での「内地」・「外地」区分は無意味なものとなった。だが、「内地」という用語は共通法とは異なる意味合いで戦後も使われ続けた。 ポツダム宣言により、日本の主権は本州、北海道、九州、四国ならびに連合国の決定する諸小島に限定され、それ以外の地域に居る在留邦人は引き揚げされることになった。その際に、日本の主権が及ばなくなった樺太、千島列島、朝鮮、琉球(北緯29度以南の南西諸島)、台湾等の地域との対比で、引き続き日本の主権が及ぶ地域を指して「内地」または「本土」と称した[5]。 北海道、沖縄県、及びに鹿児島県の奄美群島を始めとする一部地方で、若干の意識の差異が認められるも、「内地」という言葉が民間でかつて使用され、あるいは現在でも通常一般に使用されている。これらの用法は、使用される地域が法的な意味の「外地」であったことが無く、本土復帰まで連合国に占領されていた一時期を除いて、戦前より行政的にもその他「内地」と同様に扱われていたため、公には用いられない俗語的用法である。 東北地方が平安時代末期から鎌倉時代までの間に北端の津軽まで平定されたのとは対照的に、北海道は室町時代に漸く和人の入植が始まり、江戸時代には、和人(シサム)の植民者集団(道南十二館)の棟梁に起源をもつ松前藩が、渡島半島南部の和人地(松前地)を拠点に、アイヌの居住地である蝦夷地(和人地以外の北海道・千島列島及び樺太)に収奪的交易を伴う植民地支配的な間接統治を行っていた。
引き揚げ
北海道・沖縄
北海道
Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef