内国勧業博覧会
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受賞者(名誉賞牌)旭玉山・七宝会社、(進歩賞牌)西村総左衛門・後藤省三郎、(妙技1等)加納夏雄・秦蔵六・柴田是真、(妙技2等)河鍋暁斎滝和亭石川光明高橋由一森川杜園。その他、サン・ジョヴァンニの「婦人三絃弾奏図」、ラグーザの「日本婦人」が評判となった。彫刻では牙彫が全盛で、書道では長三洲日下部鳴鶴らが入選した。

博覧会に合わせて、1881年、上野公園の寛永寺本坊跡に煉瓦造2階建の建物が完成した(現在の東京国立博物館本館の位置)。イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計によるもので、会期中は展示館として使用された。博覧会終了後は上野博物館の本館となり、翌1882年3月、明治天皇行幸の下、開館式が行われた。
第三回内国勧業博覧会

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1890(明治23)年4月1日?7月31日 東京 上野公園

入場者数1,023,693人

上村松園が弱冠15歳にして出品した「四季美人図」が一等褒状受賞し、英国コノート公アーサーの買い上げとなる。また川合玉堂も入選している(17歳)。

橋本雅邦「秋景山水」(白雲紅樹)、荒木寛畝「孔雀図」、川端玉章「墨堤桜花」、平福穂庵「虎図」、原田直次郎「観音」、亀井至一「深殿弾箏図」、竹内久一「神武天皇像」、金田兼次郎「牙彫大鷲置物」、海野勝a「蘭陵王」、大島如雲「濡獅子図鋳銅額」など。

後に自動織機などを発明する豊田佐吉もこの博覧会を見学した。

東京電灯電車路面電車東京電燈スプレーグ式)を日本初運行。
第四回内国勧業博覧会

1895年(明治28年)、京都の岡崎公園(琵琶湖疏水の北側の地域)を会場として開催された。京都市の有力者が、平安遷都千百年紀念祭とあわせて、博覧会の誘致運動を進めたものである[4]

岡崎公園。4月1日から7月31日まで。総入場者数113万人。橋本雅邦「釈迦十六羅漢」「龍虎」、野口幽谷「菊鶏図」、滝和亭「松鶴遐齢、享天百禄」、黒田清輝「朝妝」、久米桂一郎「秋景晩暉」など。裸婦像「朝妝」の陳列の可否をめぐり世論が沸騰した。

博覧会に合わせて、1895年4月に七条(京都駅前)から博覧会場まで路面電車京都電気鉄道)が開業した(後の京都市電木屋町線京都市電蹴上線)。

博覧会跡地には平安神宮や文化施設が建設された。1903年には、博覧会跡地の市有地を岡崎公園とすることが京都市議会で決議され[5]1904年に公園が開園した[6]
第五回内国勧業博覧会第五回内国勧業博覧会の美術館

1903年(明治36年)、第5回の大阪今宮での博覧会は、日本が工業所有権の保護に関するパリ条約に加盟したことから海外からの出品が可能となり、14か国18地域が参加し、出品点数31,064点[7]と予想以上の出品が集まった。この数字は、1900年(明治33年)パリ万博の37か国、1902年(明治35年)グラスゴー万国博覧会の14か国と比べてもあまり遜色なく、事実上小さな万国博覧会とみなしても差し支えないだろう[8][9][10]

当初、1899年に開催予定だったが、1900年のパリ万博、1901年のグラスゴー万博への参加準備のため延期された[10]

3月1日から7月31日まで。観覧人530万余。会場のイルミネーションと冷蔵庫などの新製品が評判となった。橋本雅邦「瀟湘八景」、寺崎広業「滝口入道」、岡田三郎助「読書」、和田英作「こだま」、米原雲海「幼児と林檎」、赤塚自得「荒磯図額」、濤川惣助「雲月額」など。一方でアジアやアフリカの様々な民族を生きたまま展示する「学術人類館」が外交問題となった(人類館事件参照)。

博覧会跡地は日露戦争中に陸軍が使用したのち、1909年(明治42年)に東側の約5万坪が大阪市によって天王寺公園となった。西側の約2万8千坪は大阪財界出資の大阪土地建物会社に払い下げられ、1912年(明治45年)7月3日、「大阪の新名所」というふれこみで「新世界」が誕生。通天閣ルナパークが開業した。  
その後

第六回内国勧業博覧会を東京で開催する計画があったが、日露戦争戦争景気)の後、戦後恐慌で政府の財政が悪化したため、延期されることになった。このため、1907年東京府主催により東京勧業博覧会が開催され、約680万人が来場した。3月20日から7月31日まで。川合玉堂「二日月」、荒木寛畝「孔雀」、寺崎広業「王摩詰」、中村不折「建国剏業」、岡田三郎助「某夫人の肖像」など。
各種データ

第1回-第5回内国博の諸数値
[11]

会期(日数)会場敷地面積(坪)会場建坪(坪)入場者数出品人数出品点数褒賞数経費(円)
第1回1877年(明治10年)8月21日-11月30日(102)東京・上野公園29,8073,013454,16816,14714,4554,321122,410
第2回1881年(明治14年)3月1日-6月30日(122)43,3007,563822,39531,23985,3664,031276,350
第3回1890年(明治23年)4月1日-7月31日(122)40,0009,5691,023,69377,432167,06616,119566,500
第4回1895年(明治28年)4月1日-7月31日(122)京都・岡崎公園50,5588,7441,136,69573,781169,09817,729443,303
第5回1903年(明治36年)3月1日-7月31日(153)大阪・天王寺今宮114,01716,5065,305,209130,416276,71936,4871,093,973


美術工芸品の褒章一覧

褒章の種類
第1回龍紋賞牌鳳紋賞牌花紋賞牌褒状
第2回名誉賞牌進歩賞牌(一等、二等、三等)妙技賞牌(一等、二等、三等)有効賞牌(一等、二等、三等)協賛賞牌(一等、二等、三等)褒状
第3回名誉賞一等協賛賞一等妙技賞二等妙技賞三等妙技賞褒状
第4回名誉賞銀牌妙技一等賞妙技二等賞妙技三等賞協賛賞(一等、二等、三等)褒状
第5回一等賞二等賞三等賞褒状協賛褒状

脚注^ 鈴木廣之 小林純子「〈研究報告〉明治期府県博覧会─附・明治期府県博覧会調査資料目録、明治期博覧会一覧(稿)」(米倉迪夫研究代表 『日本における美術史学の成立と展開』 東京国立文化財研究所〈課題番号09301004 平成9?12年度科学研究費補助金 基礎研究(A)(2)研究成果報告書(非売品)〉、2000年3月31日、pp.466-504。
^ 「明治天皇の内国勧業博覧会行幸」(三の丸図録(2012)p.8)
^ 官報1907年3月31日[1]。
^ 『京都岡崎の文化的景観調査報告書』京都市文化市民局文化芸術都市推進室 文化財保護課、2013年。
^ 『京都岡崎の文化的景観調査報告書』2013年。
^ “ ⇒岡崎の歴史”. 京都・岡崎コンシェルジェ. 2017年3月5日閲覧。
^ ドイツ、アメリカ、イギリス、清国、オーストリア、フランス、カナダ(英領)、インド(蘭領)、韓国、ポルトガル、ブラジル、ロシア、ハワイ、インド(英領)、イタリア、オーストラリア(英領)、オランダ、トルコで、14ヶ国18地域が出品。


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