摂津国八部郡の兵庫津(現在の神戸市兵庫区)に初代県庁舎が置かれたことによる。
慶応4年(1868年)
1月15日(2月8日) 兵庫島上町に兵庫役所を設置[6]。
1月19日(2月12日) 兵庫切戸町の旧兵庫勤番所へ兵庫役所を移転[6]。
1月22日(2月15日) 兵庫鎮台を設置[6]。
2月2日(2月24日) 兵庫鎮台を兵庫裁判所と改める[6]。
5月23日(7月12日) 兵庫裁判所を廃止して兵庫県を設置[6]。
兵庫津(旧称は大輪田泊)は当時人口2万人を超える港町として栄えていたが、事実上の開港場は兵庫津の北東に近接する同郡神戸村となった。慶応4年9月(1868年10月16日?11月13日)に県庁舎は同郡坂本村へ新築移転しており[6]、兵庫津に置かれた期間は約3?4ヶ月、県設置以前から数えても約8?9ヶ月と1年に満たない。 2代目県庁舎が置かれた坂本村の南部(仲町部)は兵庫の一部とも見なされたが、約4年6?7ヶ月後の1873年(明治6年)5月に県庁舎は神戸町へ移転し[7]、以降この3代目県庁舎とほぼ同じ場所で4代目県庁舎と5代目県庁舎に建て替えられている。「兵庫県庁舎」も参照
市街としての兵庫津(兵庫)は1879年(明治12年)1月8日に神戸区(神戸市の前身)の一部となり[8]、港湾としての兵庫津(兵庫港)も1892年(明治25年)10月1日に神戸港の一部となって[8]、明治以降急速に発展した「神戸」に飲み込まれる形で一体化したが、県名は「兵庫」のまま続いている。
「兵庫」の由来は、天智天皇の治世に兵の武器庫という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来し、兵庫県旗と県章も兵の字を図案化したものである。
地理・地域
広袤(こうぼう)節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力
⇒国土地理院地理情報によると兵庫県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは111.13km、南北の長さは168.50kmである。
重心 大阪湾に面した南部は平野部だが、中部・北部の大半は山地・丘陵地帯となっている。人口は南部に集中している。
北緯35度2分25秒 東経134度49分33秒 / 北緯35.04028度 東経134.82583度 / 35.04028; 134.82583 (兵庫県重心)北端
北緯35度40分29秒 東経134度45分53秒 / 北緯35.67472度 東経134.76472度 / 35.67472; 134.76472 (兵庫県最北端)
↑
西端
北緯34度51分7秒 東経134度15分9秒 / 北緯34.85194度 東経134.25250度 / 34.85194; 134.25250 (兵庫県最西端)←中心点
北緯34度54分55秒 東経134度51分38秒 / 北緯34.91528度 東経134.86056度 / 34.91528; 134.86056 (兵庫県中心点)東端
→北緯34度55分32秒 東経135度28分7秒 / 北緯34.92556度 東経135.46861度 / 34.92556; 135.46861 (兵庫県最東端)
↓
南端
北緯34度9分21秒 東経134度48分59秒 / 北緯34.15583度 東経134.81639度 / 34.15583; 134.81639 (兵庫県最南端)
地形
山地
主な山地・山
中国山地body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}
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