兵庫県
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兵庫県(ひょうごけん)は、日本近畿地方に位置する県庁所在地神戸市
概説神戸市メリケンパーク

南北に長い県域を持ち、近畿地方の府県で最大の面積を持つ。北は日本海、南は瀬戸内海の2つの海に接している県である。本州で2つの海に接している県は、両端である青森県山口県を除けば兵庫県のみである。本州を青森県から山口県まで陸路で縦断しようとすると、必ず本県を通ることになる。日本標準時子午線山陽電鉄人丸前駅ホーム)(明石市

ほぼ中央を日本標準時子午線(東経135度)が南北に通過し、明石市にはこれに因む明石市立天文科学館がある。県中央部には中国山地が東西に横たわり、交通の難所ともなっている。

南部の瀬戸内海沿岸は阪神工業地帯播磨臨海工業地帯といった日本有数の重化学工業の集積地となっており、近畿圏最多の工場立地数となっている。一方で、中部から北部にかけては農林水産業が主な産業であり、過疎地豪雪地帯も抱える。これら過密と過疎を平均した県単位の産業活動指数は全国平均であることから、日本の縮図といわれることがある[2]。また、南東部の阪神間大阪府大阪市ベッドタウンとしての性格があり、大阪に通勤通学する住民の割合が比較的高い(「兵庫府民」も参照)。神戸市(国内の大都市人口7位)と阪神地方で県人口の約6割を占め、複数の幹線道路鉄道路線が並行している。なお、兵庫県の人口は国内7位、人口密度は国内9位である。

令制国(旧国)の摂津国西部、丹波国南西部および但馬国播磨国淡路国のそれぞれ全域で県域の大半が構成されるが、岡山県からの越境編入が2回あったため、僅かながら美作国東部、備前国南東部も含んでいる[注釈 3]北海道(11国)に次ぐ7国にまたがり、その7国が五畿八道畿内(摂津国)、山陰道(丹波国・但馬国)、山陽道(播磨国・美作国・備前国)、南海道(淡路国)に分かれるため、全国最多の4地方にまたがる当県は、古来の行政区分・地方区分をほとんど無視する形で成立している。現在の地方区分でも、鳥取県境より西に位置する西播磨地域の西部は、地図帳などにおいて近畿地方のページには収まりきれず、中国地方のページに掲載されている場合がある。

外貨獲得を急務とした明治政府は、但馬の生糸の輸出に摂津の神戸港神戸市中央区)を活用するため、大久保利通の指示の下、櫻井努が策定した案を基に1876年(明治9年)、第三次兵庫県の区域を確定した。神戸を発展させるための財源として、豊かな農業国であった播磨・但馬などからの税収を充てたのである。

江戸時代に置かれた藩は摂津国に尼崎藩三田藩、丹波国に篠山藩柏原藩、但馬国に出石藩豊岡藩があり、播磨国に姫路藩林田藩明石藩龍野藩赤穂藩三日月藩小野藩三草藩安志藩山崎藩が、淡路国に阿波藩(阿波徳島藩)洲本城代の稲田家、旗本交代寄合)の山名家の村岡陣屋、交代寄合の池田家の福本陣屋が存在した。

上記のように多様性を内包した当県は、かつて存在したユーゴスラビア社会主義連邦共和国になぞらえて「ヒョーゴスラビア」と呼ばれることがあり[注釈 4]、県もこれに乗る形で2018年から「U5H=United 5koku of HYOGO(兵庫五国連邦)」というプロモーションを行っている[4][3][5]
県名の由来

摂津国八部郡兵庫津(現在の神戸市兵庫区)に初代県庁舎が置かれたことによる。

慶応4年(1868年

1月15日2月8日) 兵庫島上町に兵庫役所を設置[6]

1月19日2月12日) 兵庫切戸町の旧兵庫勤番所へ兵庫役所を移転[6]

1月22日2月15日) 兵庫鎮台を設置[6]

2月2日2月24日) 兵庫鎮台を兵庫裁判所と改める[6]

5月23日7月12日) 兵庫裁判所を廃止して兵庫県を設置[6]

兵庫津(旧称は大輪田泊)は当時人口2万人を超える港町として栄えていたが、事実上の開港場は兵庫津の北東に近接する同郡神戸村となった。慶応4年9月(1868年10月16日?11月13日)に県庁舎は同郡坂本村へ新築移転しており[6]、兵庫津に置かれた期間は約3?4ヶ月、県設置以前から数えても約8?9ヶ月と1年に満たない。 2代目県庁舎が置かれた坂本村の南部(仲町部)は兵庫の一部とも見なされたが、約4年6?7ヶ月後の1873年明治6年)5月に県庁舎は神戸町へ移転し[7]、以降この3代目県庁舎とほぼ同じ場所で4代目県庁舎と5代目県庁舎に建て替えられている。「兵庫県庁舎」も参照

市街としての兵庫津(兵庫)は1879年(明治12年)1月8日神戸区(神戸市の前身)の一部となり[8]、港湾としての兵庫津(兵庫港)も1892年(明治25年)10月1日に神戸港の一部となって[8]、明治以降急速に発展した「神戸」に飲み込まれる形で一体化したが、県名は「兵庫」のまま続いている。

「兵庫」の由来は、天智天皇の治世に武器庫という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来し、兵庫県旗県章も兵の字を図案化したものである。
地理・地域 
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国土地理院地理情報によると兵庫県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは111.13km、南北の長さは168.50kmである。


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