共通ブリソン語
[Wikipedia|▼Menu]
東ブリソン語

西ブリソン語

カンブリア語

ウェールズ語


南西ブリソン語

コーンウォール語

ブルトン語



ピクト語ブリトン語
ローマ・ブリトン語
東ブリソン語西ブリソン語
カンブリア語ウェールズ語コーンウォール語ブルトン語

今日現存する主なブリソン諸語はウェールズ語ブルトン語で、どちらも地域言語として現存している。コーンウォール語18世紀終わりに死語となったが、20世紀に再興の試みが始まり、現在も継続中である。他にも死語となったカンブリア語も含まれ、同様に死語のピクト語はブリソン諸語の姉妹語として最有力視されている。1950年代、ケネス・H・ジャクソンは、石の彫刻に残った標本から、ピクト人が非インド・ヨーロッパ語族の言語を使用していた可能性を主張したが、現在のピクト人研究者にはこれを否定する者もいる。
歴史・起源5世紀のブリテン諸島の言語分布。青がピクト語、緑がゲール語、赤がブリソン諸語。6世紀のブリトン人定住地

現代のブリソン諸語は、「ブリトン語(British)」「共通ブリソン語(Common Brythonic)」「古ブリソン語(Old Brythonic)」「ブリソン祖語(Proto-Brythonic)」と呼ばれる祖語を起源に持つと通常は考えられている。これはケルト祖語、もしくは初期の島嶼ケルト語が紀元前6世紀までに発展してきたものと考えられている[3]

代替仮説は数多くあるが、広く受け入れられているものはない。マリオ・アリネイ(en:Mario Alinei)はケルト語の前身となる言語の存在を否定し、ケルト語は旧石器時代に成立したと語っている[要出典]。シュテフェン・オッペンハイマー(en:Stephen Oppenheimer)は紀元前1世紀のベルガエ族の侵略によってゲルマン語派がブリテンにもたらされた可能性を指摘している。テオ・ベンネマン(en:Theo Vennemann)は、島嶼ケルト語の基礎になる基層言語をセム語系だとしている。

ローマ人の侵略以前、少なくともフォース川クライド川以南の人々の多数はブリソン諸語を話していたとされる。だがマン島は後にゲール語系のマン島語を話すようになった。北スコットランドでは主にピクト語の前身となるプリテン語が話されており、ピクト語はブリソン諸語ではないかと考えられている。R・F・オライリーなどの一歩進めた学説では、アイルランドにはブリソン語話者が住んでいたのが、Qケルト語話者(おそらく南フランスのQuarietii族)に取って代わられたとしているが、マイルス・ディロン(Myles Dillon)とノーラ・チャドウィック(Nora Chadwick)はこれを否定している。

グレートブリテン島南部のローマ支配時代(43年から410年ごろ)、共通ブリソン語はラテン語から多くの語を借用した。これは、例えば都市計画や戦術に関する言葉など、都市化されていないケルト系グレートブリテン社会において不慣れな概念と、現地の言葉に置き換わった日常語の両方があった。日常語の顕著な例では、ブリソン諸語で魚を意味する言葉は現地語の「*?skos」ではなく、すべてラテン語の「piscis」が起源である。とはいえ、「*?skos」の語はウェールズ語でウスク川を指すWysgとして残っているとも考えられている。推定800語のラテン借用語は、現存する3つのブリソン諸語にいぜん生き残っている。ローマ人の著述家に使用された、ラテン語化されたブリソン語はローマ・ブリトン語と呼ばれる。

ローマ支配時代が終わると、共通ブリソン語は、南西と西の2つの主要な方言グループに分化したと考えられる(さらに東ブリソン語など、他の方言も仮定できる。これは現在で言う東イングランドで話されていたと考えられるが、証拠はほとんど残っていない)。ローマ支配時代の終わりから6世紀中盤までに、この二つの方言は別々の言語になりはじめた。西の方言はカンブリア語・ウェールズ語に、南西の方言はコーンウォール語になり、またグレートブリテン島南西から大陸のアルモリカ(ブルターニュ半島の古名)に渡り、近縁の姉妹語としてブルトン語になった。ケネス・H・ジャクソンは、西と南西、それぞれのブリソン語方言の違いのいくつかは、古くまでさかのぼることを指摘している。また500年ごろに新たな分化が始まったが、6世紀には共通する変化も起こっている。7世紀から、おそらくは言語の内在的な傾向のため、別の基本的な変化が起こった。こうして共通ブリソン語は600年までに消滅した。広がるアングロサクソンの支配領域にはかなりの人口のブリトン人が残っていたと考えられているが、ブリトン人の言語の情報は地名にしか残っておらず、時代を下るに従って英語に適応していったものと思われる。

スコットランドマン島で話されていたブリソン諸語は、アイルランド人(対スコットランド)や北方民族ゲルマン人の侵略者の影響により、5世紀頃から排除されはじめた。ブリソン起源の言語は、スコットランドやマン島では(コーンウォールと、ウェールズに接するイングランドの州を除いて)11世紀までに(様々な地域での絶滅の時期については議論の余地がある)完全に置き換えられた。アイルランドで話されていた可能性のあるブリソン語は"Ivernic"と呼ばれる。
影響
地名・河川名

ブリソン諸語が退去した地域に残っている遺産は、主に地名と河川名である。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef