共和制
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この共和政国家はナポレオン・ボナパルトが帝位につくまでの短い期間しか持続しなかったが、フランスおよび世界各国に非常に大きな影響を及ぼした[31]。一方で、ヨーロッパ大陸に残る古い共和制国家の多くはナポレオン戦争によって侵略され、独立を失った。イタリアではヴェネツィア共和国が1797年に滅亡し[32]、ドイツではフランス占領下の1803年に領邦国家の再編が行われた際にほとんどの帝国自由都市が近隣の領邦に併合されて消滅して、1815年のウィーン会議後に独立して存続していたのはブレーメンハンブルクフランクフルト・アム・マインリューベックの4都市のみとなっていた[33]。ネーデルラントもフランスの侵略を受け、バタヴィア共和国からホラント王国などを経て[34]、1815年にはネーデルラント連合王国として君主制に移行した[35]

19世紀初頭にはラテンアメリカ諸国が相次いで独立戦争を起こし次々と独立していくが、シモン・ボリバルをはじめとする指導者の多くは共和主義を信奉しており、ポルトガルから王を迎えたブラジルと、独立時に一時帝政を敷いたメキシコを除くすべての国が共和制を採用した。これらラテンアメリカの共和制国家は共和制下の独裁制となることもあり、また大統領の権限が非常に強い大統領制をとることが多かった[36]。ただし、19世紀中はヨーロッパやアジア・アフリカなど新大陸以外の地域では依然として君主制維持の流れが続いており、ヨーロッパにおける新たな独立国では他国から王族を迎え入れて君主制を敷くことが多かった。1830年にはオランダからベルギーが独立を果たすものの、このとき共和制を望んだベルギー人に対し周辺諸国は王の推戴を国家承認の条件とし、ベルギーは君主制を敷いている[37]。またアメリカ独立革命では、君主制のイギリスから独立した形で共和制を採用した共和国が建国されたものの、それ以外のイギリスの植民地の多くにおいては、イギリス国王を元首として推戴する形で独立し、立憲君主国として建国した。
20世紀以降

20世紀に入ると1912年の辛亥革命で中国が共和制となったが、共和制国家が増加を始めたのは第一次世界大戦を契機とする。この大戦でドイツオーストリア・ハンガリーロシアの3ヶ国で君主制が崩壊し[38]、また民族自決を掲げて戦後独立したヨーロッパの国家はユーゴスラビアハンガリーなどの例外を除き多くが共和制をとった。第二次世界大戦によって、イタリアや東欧諸国で君主制が廃止され、共和制国家はさらに増加した[39]。また、それまで同君連合制をとっていたイギリス連邦において、独立したインドが共和制をとった上でイギリス連邦にとどまることを希望したため、1949年に国王への忠誠条項が撤廃され、英連邦王国とイギリス連邦とが制度的に分離した。これにより、君主制を取らずともイギリス連邦への残留が可能となり[40]、旧英国植民地が共和制をとりやすくなった。

第二次世界大戦後のアジア・アフリカ諸国の独立においては、植民地時代に保護国間接統治として君主制が残っていた国家や一部の英連邦王国を除き、ほとんどの国が共和政国家として独立を果たした。君主制の残存していた国家でも、エジプト王国イラク王国イエメン王国リビア王国、そしてイラン帝国のように革命の勃発によって君主制が廃止されることは多い[41]のに引き換え、新たに君主制を導入する国がほとんどないため、20世紀中盤以降は君主制国家より共和政国家のほうが国家数が多くなっている。君主制国家において大きな政体変動が少なくなった21世紀に入って以降もこの流れはわずかながら続いており、2008年にはネパールが君主制を廃止して共和政国家となった[42]。またイギリス連邦内君主国でも、2021年11月29日にはバルバドスが共和制へと移行した[43]

現時点で君主制を維持している国家においても、いくつかの国家では共和制を求める運動が起こっている。イギリス連邦内君主国においてはたびたび共和制移行の動きが出ており、なかでもオーストラリアでは特に君主制廃止の動きが強く、1999年には共和制移行を求めた1999年オーストラリア国民投票が行われたものの、反対票が55%にのぼったため否決された[44]。またジャマイカグレナダベリーズなどでも共和制移行の動きがあるとされている[45]。2022年9月のエリザベス2世死去に伴って共和制を求める意見はさらに強まり[46]アンティグア・バーブーダでは君主制廃止のための国民投票が検討され[47]バハマでも同様の動きがあるほか、オーストラリアの共和制論議も再燃しており[48]ニュージーランドでもジャシンダ・アーダーン首相が将来の共和制導入に肯定的な反応を示している[49]。「君主制廃止」も参照
ヨーロッパ諸国の政体変遷


1815年のヨーロッパ諸国の政体[注釈 2]
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  君主国 (55)  共和国 (9)1914年のヨーロッパ諸国の政体[注釈 3]
  君主国 (22)  共和国 (4)1930年のヨーロッパ諸国の政体[注釈 4]
  君主国 (20)  共和国 (15)1950年のヨーロッパ諸国の政体[注釈 5]
  君主国 (13)  共和国 (21)2015年のヨーロッパ諸国の政体[注釈 6]
  君主国 (12)  共和国 (35)

体制共和制国家は以下の色に分類されている。   大統領が議会から分離された大きな権限を持つ(大統領制)   大統領と議会が権限を持つ(半大統領制)   大統領が議会に依存した権限を持つ(議院内閣制)   儀礼的な大統領を持つ、または大統領を持たない(議院内閣制など)   憲法に規定された一党制社会主義国など)   政府の憲法規定が停止されている国 (例:軍事政権)   上記のシステムのいずれにも適合しない国 (例: 暫定政府) 赤・薄紫・紫は君主制国家

共和政国家の体制は、完全な権威主義体制と名目的にでも民主主義体制を取るものとに二分される。共和制独裁政治の体制は、文民が支配する文民独裁と軍部が支配権を握る軍事政権の2つに分かれ、文民独裁はさらに、独裁者個人が大きな権限を握る個人支配体制と、ひとつの支配政党が全権を握る一党独裁制に区分される[50]

民主共和制国家の体制は、執政府の長官と議会との関係によって、大統領制半大統領制議院内閣制の3つに区分される。大統領制は有権者が直接執行府の長官である大統領を選出し、議会が大統領を罷免することは特殊な場合を除きできない。


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