共和党_(アメリカ)
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1860年アメリカ合衆国大統領選挙においてリンカーンが党の強さの象徴としてゾウを新聞に掲載したのが起源といわれており、その後風刺画家のトーマス・ナストが共和党をゾウになぞらえたことで広まり[25]1870年代に党のシンボルとして採用された[20]
概説

1854年南部奴隷制度に反対する北部の運動の連合体として結党された。1860年アメリカ合衆国大統領選挙エイブラハム・リンカーンを同党最初の大統領に当選させて以降、第3政党制第4政党制1860年 - 1932年)の間に民主党を圧倒して支配的立場にあった。現在の第5政党制下では民主党と拮抗して政権交代を繰り返している。

当初は進歩主義的だったが20世紀半ばまでに保守政党化した[26]。現在では一般に民主党を「リベラル」、共和党を「保守」に分類する[25]市場経済を重視し、政府の市場介入を最小限にする「小さな政府」を党の基本理念としている[25]。支持基盤は当初は北部の商工業者や農民だったが[27]、保守政党化と共に変動し現在は民主党が都市部を基盤としているのに対して共和党は中西部や南部の農村地帯を基盤としている[25]。これまでに19人の共和党大統領が誕生しており、この数はどの政党よりも多い。2021年現在同党は上院の過半数・州知事職の過半数・州議会の過半数(29)・21の州政府のトライフェクタ(州知事職と両議会)を支配している。現職の連邦最高裁判所判事9人のうち6人は、共和党の大統領によって指名された。
歴史詳細は「アメリカ合衆国共和党の歴史」を参照

共和党が結党された1850年代のアメリカでは、南部においては黒人奴隷を使役してのプランテーション経営が行なわれていたのに対し急速に工業化する北部においては「自由な労働」という理念が広がっていた。しかし当時の北部の人々の意識は依然として農本主義的であり安価で豊富な土地が残されていた西部への進出を望む人が多かった。そのため北部では、南部農場主が西部に進出するのを防ぐ目的で「自由な労働」理念と結びついた「自由な土地」(「奴隷制に汚染されていない土地」という意味)理念が盛んに唱えられるようになり、奴隷制をめぐる北部と南部の対立が深まった(北部の反奴隷制の理念は現代的な人道主義の観点から生まれた訳では無く、あくまで西部の土地獲得が目的だった点に注意)[28]

当時(第2政党制期)の2大政党民主党ホイッグ党は共に南部選出議員を抱えていたので南部の利害に配慮し、北部の支持を失って衰退(特にホイッグ党は解党に向かう)、自由土地党などの第3政党の党勢拡大がみられるようになった[29]

1854年5月に民主党政権はカンザス準州ネブラスカ準州の組織を定めたカンザス・ネブラスカ法を制定したが同法は南部選出議員に配慮し、奴隷制の是非について当該準州の住民の決定に委ねるとした条文を含んでおり、これはミズーリ妥協の原則だった36度30分以北への奴隷制の拡大禁止の合意を破棄するに等しい内容だった[30]共和党の最初の大統領エイブラハム・リンカーン

そのため北部では同法への激しい反対闘争が展開され、その闘争の中から民主党やホイッグ党、自由土地党などの元党員も含んで反奴隷制、反民主党の連合勢力として結成されたのが共和党だった[31]。1854年5月にウィスコンシン州リポン(英語版)において新党結成が提言され同年7月にミシガン州ジャクソンの党大会で正式に共和党が発足した[20]。共和党は全州にまたがっていた民主党と違い、北部のみを地盤とする「地域政党」だったが[32]、成立から4年にしてホイッグ党に取って代わる民主党の対抗勢力に成長し[20]1860年大統領選挙では民主党が奴隷制問題をめぐって北部と南部に分裂したのを機として、党候補エイブラハム・リンカーンが北部と西部の州を押さえて当選を果たした[33]。リンカーンの当選に南部諸州は強く反発し、南北戦争の発端となった[34]1865年南北戦争が北軍の勝利に終わった後、リンカーンと議会共和党の主導で制定された憲法修正13条によって奴隷制は禁止された[35]

南北戦争後には勝利者の党として絶対的な支持を集めて民主党を圧倒し[36]世界大恐慌までの第三政党制第四政党制期(1860年-1932年)のほとんどの期間を共和党が政権を担当した[37]。とりわけ北部の商工業者や農民[27]、あるいは北部の福音主義敬虔主義プロテスタント(アメリカ生まれの市民の多数を占める)は、「改革」の党である共和党を支持し続けた[38]

南北戦争後の共和党は資本家政党の性格を強めて大企業の利益を擁護し、外交面においては対外積極策を展開した[37]。特に大陸内のフロンティア征服が完了した19世紀末からは積極的な帝国主義外交・対外膨張政策をとり、アメリカを列強国家へと導いた[39]

もともと共和党は進歩主義政党だったが、20世紀前半に革新主義が離脱。特に1929年の世界大恐慌後はニューディール政策をとった民主党が都市部や革新層を掌握するようになり、結果フランクリン・ルーズベルトハリー・トルーマンの20年にわたる民主党政権を許すことになった[40]


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