共和人民党
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結局、党内左派の支持を受けるエジェヴィトが指導力を確立し、1972年の書記長選挙でイノニュの推薦した候補にエジェヴィト自身が勝利したことをきっかけに終身党首を辞職したイノニュにかわり、第3代党首に就任した。こうして中道左派路線が勝利を収め、反エジェヴィト派は離党して共和党を結成する。

1973年の総選挙ではエジェヴィト率いる共和人民党が第一党の座を8年ぶりに奪還し、1970年代を通じて三度のエジェヴィト連立政権を組閣した。1974年の第一次政権時にキプロスのクーデターに介入して大きな成果をあげたエジェヴィトには大衆的な人気が集まり、共和人民党は1977年の総選挙でも議席を伸ばした。しかし、いずれも過半数には及ばず、政権運営は困難をきわめた。

しかも70年代後半には経済危機と左右対立から社会と政治の情勢が混沌とし、ついに1980年9月12日に二度目となる軍部によるクーデターが敢行。全政党が活動を停止され、党首は逮捕されて10年間の政治活動を禁止された。こうして、アタテュルク以来50年以上にわたってトルコの政治を主導してきた共和人民党は解党に追い込まれた。
共和人民党の復活

1983年、軍政政権によって政党活動が解禁されると、共和人民党の伝統的ケマリズム路線の系統に近いグループにより人民主義党が結党され、同年の民政移管のための総選挙で、旧公正党系の祖国党につぐ第二党となった。さらに、翌1984年には解禁の幅が広げられ、中道左派路線の系統のグループからイスメト・イノニュの息子エルダル・イノニュを党首とする社会民主党が結成された。1985年にはエルダル・イノニュによって両党が合同し社会民主人民党を結成、共和人民党は解党以来5年で実質上再建された。しかし、政治活動禁止中の共和人民党下党首エジェヴィトは社会民主人民党を批判し、自身の夫人を党首とする民主左派党をつくらせたので、社会民主人民党からエジェヴィト派が分離した。

1992年には共和人民党の復活が認められ、社会民主人民党を離党したデニズ・バイカルを党首として活動を再開した。翌1993年には共和人民党と社会民主人民党が合併し、党名と党勢をほぼ完全に回復した。社会民主人民党は1991年以来正道党と連立政権を組んでおり、合併後も正道党のタンス・チルレル政権のもと共和人民党が連立を継続した。

しかし、1995年の総選挙ではイスラム系政党福祉党など保守派政党の躍進により、49議席と苦戦を強いられ下野。1999年の総選挙ではクルド独立運動過激派クルド労働者党の指導者アブドゥッラー・オジャランの逮捕で爆発的な人気を集めたエジェヴィト首相の民主左派党に得票のほとんどを奪われる結果となり、憲法の定める議席獲得要件の得票10%に満たなかったため大国民議会における全議席を失った。

しかし、その後のエジェヴィト内閣が経済政策に失敗したことが明らかになって長期政権が停滞に向かうと、中道左派票の受け皿として存在感を強めた。その結果、19.39%の票を得た2002年の総選挙では、主要政党が軒並み10%に満たなかったため地すべり的な大躍進となり、178議席を獲得して議会第二党となった。

2007年には、イスラーム系政党の系譜をひく与党公正発展党が自党から大統領を出そうとしたことに猛反発、国是である世俗主義原則を擁護するキャンペーンを展開した。大統領選出をめぐる混乱から前倒しで実施された同年の総選挙で、共和人民党は民主左派党と選挙協力を行って中道左派路線支持者票の結集をはかり、世俗主義の擁護を訴えたが、経済発展の継続を訴えた公正発展党との間で争点を失って得票を伸ばすことができず、議会第二党に留まった。

2010年、バイカル党首が共和人民党の女性議員との不適切な関係を映したビデオテープが第33回通常総会直前に公開された。バイカル自身はこのテープは現公正発展党政権によって作られた映像であるとし、女性議員との不倫関係を否定したが、騒動の責任を取って党首の職を辞した。その後、5月22日に行われた通常総会でケマル・クルチダルオールが党首に就任した。2011年6月に行われた総選挙では32議席増の135議席(得票25.9%)を獲得した[8]
総選挙での得票率、獲得議席数

共和人民党が参加した総選挙での得票率、獲得議席数は以下の通り[9][10][11][12]

年党首得票数得票率獲得議席
1950年イスメト・イノニュ3,148,62639.6%69
1954年イスメト・イノニュ3,193,47135.1%31
1957年イスメト・イノニュ3,825,26741.4%178
1961年イスメト・イノニュ3,724,75236.7%173
1965年イスメト・イノニュ2,675,78528.7%134
1969年イスメト・イノニュ2,487,00627.4%143
1973年ビュレント・エジェヴィト3,570,58333.3%185
1977年ビュレント・エジェヴィト6,136,17141.4%213
1983年――――
1987年――――
1991年――――
1995年デニズ・バイカル(英語版、トルコ語版)3,011,07610.7%49
1999年デニズ・バイカル(英語版、トルコ語版)2,716,0948.7%0
2002年デニズ・バイカル(英語版、トルコ語版)6,113,35219.4%178
2007年デニズ・バイカル(英語版、トルコ語版)7,300,23420.9%112
2011年ケマル・クルチダルオール11,134,61625.91%135
2015年6月ケマル・クルチダルオール11.518.13924.95%132
2015年11月(英語版)ケマル・クルチダルオール12.111.81225.32%134
2018年ケマル・クルチダルオール11.271.24022.64%144
2023年ケマル・クルチダルオール13,655,90925.33%169

歴代党首

代党首(Genel ba?kanlar)在任期間
1
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Ataturk)1923年 ? 1938年
2イスメト・イノニュ(?smet ?nonu)1938年 ? 1972年
3ビュレント・エジェヴィト(Bulent Ecevit)1972年 ? 1980年
4デニズ・バイカル(英語版、トルコ語版)(Deniz Baykal)1992年 ? 1995年
5ヒクメト・チェティン(英語版、トルコ語版)(Hikmet Cetin)1995年
6デニズ・バイカル(英語版、トルコ語版)(Deniz Baykal)1995年 ? 1999年
7アルタン・オイメン(英語版、トルコ語版)(Altan Oymen)1999年 ? 2000年
8デニズ・バイカル(英語版、トルコ語版)(Deniz Baykal)2000年 ? 2010年
9ケマル・クルチダルオール(Kemal K?l?cdaro?lu)2010年 ? 2023年
10オズギュル・オゼル(英語版、トルコ語版)(Ozgur Ozel)2023年 ?

脚注[脚注の使い方]^ “Cumhuriyet Halk Partisi” (トルコ語). Court of Cassation. 2022年1月10日閲覧。
^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 共和人民党(トルコ). コトバンク. 2019年5月7日閲覧。
^ a b Nordsieck, Wolfram (2018年). “ ⇒Turkey”. Parties and Elections in Europe. 2019年5月7日閲覧。
^ “Identity: Proud to be a Turk: But what does it mean?”. エコノミスト. (2016年2月6日). https://www.economist.com/news/special-report/21689879-what-does-it-mean-proud-be-turk?fsrc=rss 2019年5月7日閲覧。 
^ “CHP Foreign Policy” (PDF) (英語). CHP. p. 4. 2019年5月7日閲覧。
^ Alfred Stepan; Ahmet T. Kuru, eds (2012). “The European Union and the Justice and Development Party”. Democracy, Islam, and Secularism in Turkey. Columbia University Press. p. 184, paragraph 2. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9780231159333. https://books.google.hu/books?id=di6YdRMZMO0C&pg=PA184 


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