『周礼』は、周代の制度を後の時代に想像・理想化して著したものと考えられている。その中で、身分あるものに必要とされた6種類の基本教養を六芸とまとめた。その「地官・大司徒」に、礼・楽・射・御・書・数を六芸とする。それぞれ、礼儀、音楽、弓術、馬車を操る術、書道、算術である[3]。同じことを、「地官・保氏」では、五礼、六楽、五射、五馭、六書、九数と列挙する[4]。
大司徒、保氏
は『周礼』の中にある官職で、大司徒は、万民に六芸を含めた技芸や道徳を広めることを責務とする。その配下にある保氏は、貴族の子弟を集めて六芸を教える。こうした職務は歴史的事実ではなく、『周礼』の創作である[4]。だが、漢代以降長く周の時代の実際の制度だと信じられた。『史記』孔子世家には、次のような逸話が語られている。孔子が一芸に名を成していないのは、世に用いられず、様々な芸を習い、多芸の身となってしまったからであり、このことを達巷の村人に、「(孔子は)一芸で名を成していない」といわれた。それを聞いた孔子は、「御(馬術)でも名を成そうか」といってみせた。鄭玄注によると、これは六芸の中で、御(馬術)が格下と認識されていたため、孔子が謙遜して言ったのだという。
脚注^ 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、142 - 144頁。
^ 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、145 - 146頁。
^ 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、144頁。
^ a b 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、145頁。
参考文献
福井重雅『漢代儒教の史的研究』、汲古書院、2005年。
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