また、六甲アイランドの南沖合に、フェニックス計画(廃棄物埋立処分場)の埋立地を含む別の人工島六甲アイランド南を建設する予定であったが、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)において被災した市民の生活復興を優先したことなどにより、六甲アイランド南計画は長期間に渡り凍結されていた。しかし、神戸市の神戸港将来構想の中に組み込まれており再び計画が立ち上がり始めている[3][4]。なお、2023年現在ではフェニックス計画の埋立地のみを建設中である。
島は中心部に会社、住宅地、店舗、その他公共施設などがあり、特にファッションに関する施設が多く存在する。中心部をシティヒルという全長約5キロメートルの道が囲んでいる。さまざまな種類の木が植えられていて四季折々の景色を楽しむことができる。公園や運動用の遊具がところどころに設置されている。この道はマラソン、散歩などに利用され、シティヒル外側の工場からの排気ガスを防ぐ役割もある。また島の中心部ではアイランドセンター駅などを含めた施設群がスカイウォークといわれる空中回廊で結ばれている。
島内には市内の町に比べて緑地や公園などが多くある。しかし当初の開発計画は縮小され、島南部には空き地などが目立つ。島の南側中央部にはウォーターフロント緑地としてマリンパークがある。ここで釣りをする人々もいるが、釣りは禁止されている。
過去に大型プールを中心としたアミューズメントパーク「六甲ランドAOIA」が存在したが、阪神・淡路大震災で被災した後に復興不可能だと判断され放置・閉鎖された。2005年(平成17年)7月1日、マリンパーク駅前に新しく大型プール「デカパトス」が建設された。
外国人学校などが点在しており、かつてP&Gの日本法人(P&Gジャパン)の本社[5]があったことから、外国人の住人が多い。そのため、島では、収穫祭やハロウィンなどのイベントが活発に行われている。また、外国人専用の住居などもある。さらに、多くの店や施設の案内板や注意書きなどには、英語をはじめとした外国語が併記されている。
保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、専門学校の教育施設が揃っている。震災の際は液状化現象が発生したものの、ビルやマンションなどの大型の建物の倒壊はなく、島内の建築物の被害は少なかった。しかし、島と本土を結ぶ六甲大橋が被害を受けたため、ガスや電気の供給がしばらくの間断絶されていた。また、島には自宅を失った被災者のための仮設住宅が作られた。
神戸レディースフットボールセンターの近くでは、毎年3月から4月にかけて、六甲アイランドチューリップ祭が開かれている。
向洋東公園・向洋西公園
向洋東公園および向洋西公園は、近隣公園である。それぞれの敷地の約3分の2を占める部分に400台を収容できる半地下式の駐車場が設置されている。向洋東公園は多目的スポーツグランドを備えた都市的雰囲気の公園として、向洋西公園は広がりのある芝生広場を持った自然風公園として、それぞれを緑道で結び、相互利用ができるよう計画された。人工地盤の上部において植物の良好な成長を確保するため、駐車場上部に最低1.5メートルの土壌厚を整備することにより良好な植栽基盤を確保している。また、埋立地の不等沈下に備え、斜路、階段等は約30センチメートルのレベル差を許容する埋設施設の整備を行うことにより対応している。駐車場特有の吸排気口については、パーゴラ柱・モニュメント等として積極的に景観要素として位置づけ、利用することにより特色を持たせている。
交通六甲アイランドフェリーターミナル(停泊中のフェリー「せっつ」と「さんふらわあ ごーるど」)
神戸新交通六甲アイランド線(六甲ライナー)
阪神高速道路5号湾岸線
神戸港
六甲アイランドフェリーターミナル
六甲船客ターミナル
歴史街の風景
1972年(昭和47年) - 着工。
1988年(昭和63年)3月 - 最初の住宅街が完成して入居が始まる。
1990年(平成2年)2月21日 - 六甲ライナーが開業。
1992年(平成4年)
神戸市立小磯記念美術館が開館。
神戸ベイシェラトンホテル&タワーズが開業。
竣工。
1994年(平成6年)4月2日 - 阪神高速5号湾岸線中島-六甲アイランド北間が開通。
1995年(平成7年) - 阪神・淡路大震災では液状化現象が発生。
1997年(平成9年) - 神戸ファッション美術館が開館。
1998年(平成10年) - 六甲アイランド南事業(フェニックス計画)着工。