公民権運動
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1776年イギリス本国(グレートブリテン王国)から独立したアメリカ合衆国では、かつての宗主国であるイギリスや、アイルランドドイツオランダなどのヨーロッパ諸国から移民として渡って来て、先住民を武力で放逐した白人が住民の多数を占め、彼らに奉仕する奴隷としてアフリカ大陸などから強制的に連れてこられていた黒人をはじめとした有色人種への差別が「合法」とされていた。

北アメリカにおける奴隷制度の導入は、1607年にイギリス人がバージニア植民地に初めて入植した直後に始められ、1776年に独立した後もそのまま続いた。

奴隷制度のもと、17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ人が、政府とその委託を受けた業者により誘拐された上に取引されて、アメリカ大陸に強制的に連れて行かれ[2][3]、そのうち5.4%(645,000人)が現在のアメリカ合衆国に連れて行かれた[4]1860年のアメリカ合衆国の国勢調査では、奴隷人口は400万人に達していた。
南北戦争と奴隷の「解放」サウスカロライナ州の畑で働く黒人奴隷

アメリカに送られた奴隷の多くは、奴隷主との「奴隷契約」のもと、農業中心のプランテーション経済が盛んな南部で先住移民である白人の所有する綿花農場などで、過酷な条件の下で働かされていた。

しかしその後、奴隷制度の存続についての議論が盛んになったことで、1860年11月に行われた大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになり、奴隷制の拡大に反対していた共和党エイブラハム・リンカーンが当選した。

これに対して奴隷制度存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で1861年に「南北戦争」が始まった。

南北戦争は奴隷制度の存続に批判的な北部が勝利する形で1865年に終結し、その後奴隷出身のフレデリック・ダグラスの尽力もあり、連邦議会が奴隷制度廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を中心とした3つの憲法修正条項(アメリカ合衆国憲法修正第13条14条15条)を追加したことで、黒人奴隷の「解放」が表向きは実現したことになっていた。
人種差別の合法化テネシー州の「有色人種専用ホテル」「グリーンブック」

しかし、1883年の公民権裁判での最高裁の判断は、「アメリカ合衆国で生まれた(または帰化した)全ての者に公民権を与える」とした「修正第14条は私人による差別には当てはまらない」とし、個人や民間企業によって公民権を脅かされた人々、特に先住民や黒人奴隷を全くを保護しなかった。

この判決は、1875年に制定され、公共施設での先住民や黒人への人種差別を禁止した公民権法のほとんどを、実質的に無効化した。さらに1890年ルイジアナ州は黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案を可決した。

これに対してルイジアナ州ニューオーリンズの反人種差別団体が「プレッシー対ファーガソン裁判」と呼ばれることになる裁判を起こしたものの、1896年5月18日合衆国最高裁判所は、「分離すれど平等」の主義のもと、「公共施設での先住民や黒人分離は人種差別に当たらない」とする、事実上人種差別を容認する判決を下した。
「ジム・クロウ法」詳細は「ジム・クロウ法」を参照

この「プレッシー対ファーガソン裁判」の判決を元に、20世紀初頭には、南北戦争にやぶれるまで奴隷制度を合法としていた、ジョージア州アラバマ州ミシシッピ州などの南部諸州で、白人による黒人の「人種分離」が「合法的」に進められた。

この判決を受けて、南部諸州のみならずカリフォルニア州テキサス州など国内の全州で、白人以外の全ての有色人種に対する制度的な差別が、1964年の公民権法制定までのあいだ「合法」行為として大手をふってまかり通ることとなった。

これらの人種分離法は一般に「ジム・クロウ法」と呼ばれ、アパルトヘイト政策下の南アフリカにおけるのと同様、交通機関や水飲み場、トイレ学校や図書館などの公共機関、さらにホテルレストランバースケート場などにおいても、白人が有色人種(非白人)全てを分離することを合法とするものだった。

さらに白人の経営するガソリンスタンドで給油を拒否されたり、同様に自動車整備工場で整備や修理を断られたり、旅宿では宿泊や食事の提供を拒まれたりといった他、物理的暴力や有色人種お断りの「サンダウン・タウン(英語版)」からの強制排除を受けたりもした。これらに対して、黒人が安全に旅行するために「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」というガイドブックさえもが作られた。


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