公明党(こうめいとう、英語: Komeito[注釈 3])は、日本の政党[4]。宗教団体の創価学会[25]を支持母体として中道政治の実現を目指して結成された[26]。
略称は公明[27]。1字表記の際は公[27]。現在の党キャッチコピーは、「小さな声を、聴く力。」[28][29]。
1999年10月5日から2009年9月16日まで、および2012年12月26日から現在まで自由民主党と自公連立政権を構成している[30][31][32][33]。 1964年の結党後、党としては1965年の第7回参議院議員通常選挙、1967年の第31回衆議院議員総選挙で国会の議席を確保した。1993年の第40回衆議院議員選挙での55年体制崩壊後の非自民・非共産連立政権では初の政権入りを果たし、再び野党になった自社さ連立政権下での選挙である1996年の第41回衆議院議員選挙では新進党に合流し第二党になるも、その後公明党に復帰し、1999年から自民党との自公連立政権を成した。2009年の第45回衆議院議員総選挙後の民社国連立政権・民国連立政権では野党になったが、次の2012年の第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権与党に復帰してから再び連立を形成し、2023年現在は与党である。 支持母体は宗教法人の創価学会である[34][35][36][37][38][39]。作家及び元外交官の佐藤優のようにキリスト教徒の公明党支持者もいる[40][41]。政教分離に関しては、1988年の国会議員からの質問主意書に対して内閣は、政党は憲法第二十条第一項後段の「政治上の権力」に当たらないと回答している[42][43]。また、2014年の質問主意書への回答でも、政党所属者が公職に付き国政を担っても「政治上の権力」の行使に当たらないとしている[44]。 公明党は宗教団体の創価学会が支持団体(支持母体)である。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}他に支持を表明する団体などは不明であるが、過去には旧国鉄の労働組合の一つであった全国鉄道施設労働組合
概説
歴史
中道政党としての結党1964年11月17日、公明党の結成大会が日本大学講堂(現・両国国技館)で開かれた。党結成大会で鬨の声を上げる中央執行委員長の原島宏治。
第二次世界大戦後、日蓮正宗の信徒団体であった創価学会(1991年に日蓮正宗から破門)が宗教法人として規模を拡大させ、1954年(昭和29年)11月、政界進出を目的として創設した文化部が源流である。文化部は翌1955年(昭和30年)の第3回統一地方選挙で首都圏の自治体議会選挙に候補者を擁立し、合計で53議席を得た。
1956年(昭和31年)には国政進出を果たし、第4回参議院議員通常選挙(1956年)で3議席を、第31回衆議院議員総選挙(1967年)で25議席を獲得した[45]。
初期の政界進出の旗振り役となったのは創価学会第2代会長戸田城聖と後の第3代会長池田大作である。政界進出の動機としては以下が挙げられる。
国民生活を改善するには、密接にかかわっている政治を変革することが大事である。
政界に創価学会の人材を輩出しより良き社会を建設する。
住民のための、住民による政治[46]。
1960年(昭和35年)に池田が第三代会長に就任すると政界進出の動きは加速し、1961年(昭和36年)には政治局、同年11月には政治団体の公明政治連盟(こうめいせいじれんめい)へと改組し、メディアの発信や各界への人材輩出を強化した[47]。
1963年(昭和38年)の東京都議会議員選挙(都議選)では17議席を獲得し、55年体制の下、戦後しばらく日本の国政で二大政党制を構成した自由民主党・日本社会党に次いで第3党に躍進する。