公営住宅
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APL(個別住宅援助)やALF(家族住宅手当)の受給者要件を満たさない者に対するALS(社会住宅手当)もあり、適正家賃住宅の居住者に対して所得、世帯構成、住宅の評価額、地域、家賃等に応じて支給される[3]

オイルショック以降、移民、低所得者などの社会的弱者が集中するようになり、住宅の劣化に加え、失業、バンダリズム、軽犯罪などの社会問題を抱えてきた。1977年以降、政府は、都市の困窮防止政策として、住宅団地の改修や建替え等の物理的対策を中心に、雇用・教育対策などの社会的対策についても取り組んできたが、根本的な解決には至らず、社会問題が深刻化し顕在化していくなか、一定の社会階層が限られた地区に集中することが、社会問題の要因の1つであるとの認識が一般化される[41]

1991年7月13日の都市基本法は、ソーシャルミックスの概念を初めて取り上げ、都市圏内で均衡ある社会住宅の配置を目的に、社会住宅の少ない市町村にその建設を促す取組みを定めた[41]2000年12月13日の都市の連帯と再生に関する法律は、それを強化するために、一定の都市圏に位置する一定規模以上の市町村に全住宅戸数のうち20%を社会住宅とすることを義務付けた[41]。このように、社会住宅の供給と同時にソーシャル・ミックスを達成することが、フランスの都市住宅政策の課題として求められていた。

2003年にボルロー法が制定され、主要目的の1つとして、困窮地区の居住と住環境を持続的に再生することが掲げられた[41]。その手段として、市街地改良全国プログラム(Programme National de Renovation Urbaine=PNRU)が制定され、その実施主体として全国市街地改良機構(Agence Nationale pour la renovation urbaine=ANRU)の創設が規定された[41]。これにより、2004年から、パリ都市圏を中心にフランス全国でPNRUが実施されている[41]
家賃相場無視や入居者情報把握不足による諸問題・改正案

日本で公営住宅への住民の需要が高い理由は、市場原理や設置地域野の相場を無視した「家賃の安さ」であるため、それに付随する諸問題が起きている。所得だけでなく金融資産も把握する改正、低所得者向けの家賃補助支給制度へ移行し、公営住宅自体は削減するべきと指摘されている[42]
民業圧迫・公営住宅の過剰供給問題

人口減少社会の中で日本の人口は減少しているために民間アパートの空室率も上昇傾向が続き、日本全体で住宅が余っている[42] 。2018年時点でも800万戸もの空き家が問題になっているのに、税金などの公的資金で「安い家賃で住宅」を供給し、一部の人だけが利益を享受できるような仕組みには疑念が呈されている[43]。地方自治体が家賃の安い公営住宅を供給することによる民業圧迫が起こっているため、公営住宅は減らすべきと指摘されている[42]
未入居者との不平等問題・高家賃地域への安価公営住宅設置の禁止改正案

公営住宅の家賃は付近の相場より格段に低く、入居出来た者と出来ない者の不平等も指摘されている。特に家賃が高い地域に公営住宅を建てることや所得のみで入居者を決めることにも批判がある[44][42]

東京都港区北青山に2019年12月に竣工した、地上20階建てで総戸数は302で建物内に保育園や児童館も併設されている「都営北青山三丁目アパート」へは応募や批判が殺到した。ここは、東京メトロ表参道駅から徒歩5分という一等地にもかかわらず、家賃が6万2000円という市場価格との差のが乖離しており、表参道ではなく、立川や東村山などの平均家賃が低い地域に建てるべきだと指摘された。東京都の公営住宅は都内に約53万戸の公営住宅がある。都営の平均家賃は2万3000円で、民間の家賃平均8万9600円のおよそ4分の1と格安である。日本において、公営住宅に格安で住む人を子育て世帯が支えるといった歪つな構造・民業圧迫から削減論があるす[44][42]
入居時点の資産把握・入居後の収入資産把握の必要性

橘玲は、入居時点の所得制限(都営住宅の場合は月収15万8000円以下)のみでは、多額の資産や貯金のある退職者や、所得を低く調整できる自営業者も「低所得者」として入居することが可能であるとして、マイナンバー制度などを活用し、金融資産の把握も必要であるとしている[42]。後述のように入居後に所得制限を超えた金額を入居者が稼ぐようになっても、多くの公営住宅で退去措置が守られていない問題がある[16][18]
入居者の定期的実態把握の必要性
無断入居者・非行グループ「名古屋アベック殺人事件」も参照

1988年2月に名古屋アベック殺人事件を起こした、犯人の少年少女らは事件当時、名古屋市港区野跡三丁目の市営住宅「市営南汐止荘」の(C-18号室)を勝手にたまり場にしていた。この市営住宅は、名古屋市が伊勢湾台風で被災による家屋喪失者のために建設したが、事件当時は戸建て・団地の合計869世帯の居住者の把握は徹底されていなかった。入居するには、名古屋市営住宅管理課に申請してから入居するのが定められていたが無届け入居者が複数おり、1988年の事件直前にも市営住宅に対する無届け改築もされていた。たまり場になっていた市営住宅の部屋は書類上は「1961年に入居した人物」(犯人たは別人)が入居者になっていたが、少年少女らは勝手に住んでいた。シンナー遊び、ラジオを大音量騒ぐなどしていたため、管理する名古屋市住宅管理公社に住民から苦情が寄せられていたが退去させられていなかった。1982年6月以降から使用料(家賃)の滞納に対して、3年半後に1985年12月に催告書の送付を漸くした。管轄する汐止管理事務所職員が少年が勝手にすむ同室を訪問し、家賃支払い要求を開始していた。
暴力団員関連


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