八重の桜
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襄の死後、同志社の臨時総長を務めた。卒業式では日本が戦争に向かっていることを憂えて聖書の一節を通し「二度と再び戦うことを学ばない」ことを祝辞として卒業生に送った。その後は小崎弘道に職を譲るが、間もなく八重と佐久に看取られながら、その生涯を閉じた。
山本佐久(やまもと さく)
演:風吹ジュン八重の母。八重が砲術を習いたがることに対し、女子が家事をやることの大切さを教え、鉄砲は女子がする役目ではないと諭した。家族と共に鶴ヶ城の籠城戦を戦い抜き、覚馬の生存を知ると八重・みねと共に京都へ渡り、同志社設立後は寮監を務めた。日清戦争の後、眠るようにして亡くなった。
山本権八(やまもと ごんぱち)
演:松重豊八重の父。会津藩砲術師範。八重の砲術の才能を認めながらも女子が砲術を学んでも活かす場が無いことから、彼女が砲術を学ぶことには頑なに反対した。その本心は、誰も褒められることのない寂しい生涯を送らせたくないとの親心ゆえであった。しかし、一方で八重が隠れて鉄砲の勉強をしているのを半ば黙認していた。会津城下に新政府軍が迫ると、玄武隊の一人として戦う。八重が戦場で活躍する様子を見て「八重が鉄砲を学んだことは間違いではなかったかもしんねえ」と感じるようになり、佐久にもそれを漏らしていた。その後、補給路確保のために編成された決死隊を率いて米を城に運ぶことには成功するが、自身はその途上で銃撃を受けて瀕死の状態になり、八重に「にしはわしの誇りだ。皆を守れ」と伝え、家族に看取られながら息を引き取った。
樋口うら(ひぐち うら)
(山本うら → 樋口うら)演:長谷川京子覚馬の最初の妻。会津藩勘定方・樋口家の娘。林権助の仲人で覚馬に嫁ぐ。従順で控えめな性格だが気が強く、自由奔放な八重とは違う生き方をしながらも、家族としての絆を紡いでいた。攘夷派の浪人に襲われた覚馬を妊娠中に庇ったことがもとで第一子を流産してしまうが、その後みねを授かる。戊辰戦争後に覚馬の生存を知るが、同時に時栄と子供の存在を知って「女の意地がある」と離縁を決意し、八重にみねを託して会津に戻った。15年後、帰郷した八重、みねと再会。みねから一緒に住もうと訴えられるが、会津に生きるとして拒否した。
山本時栄(やまもと ときえ)
(小田時栄 → 山本時栄)演:谷村美月覚馬の後妻。旧姓は小田(おだ)覚馬の目を心配した大垣屋が彼に無断で遣わした女中。当初は覚馬に断られるが、不逞浪人に銃を向ける度胸を気に入られ、彼の身の回りの世話をすることになる。のちに男女の仲となって娘・久栄を授かり、明治に入ってから正式に夫婦となる。同居することになった八重たちとも打ち解け、妻として山本家を守るが、内心では覚馬の心に残る先妻・うらへの嫉妬を抱え、八重や佐久そして娘たちが外で活躍する中で疎外感を感じていた。山本家に書生としてやって来た青木栄二郎から思いを寄せられ、不義の噂が立ったことで同志社の経営にも支障を来す事態となる。覚馬は不問に付そうとしたが、八重に問い詰められた時栄は暗に不義の事実を認めたため、離縁を言い渡され、八重に追い出される形で山本家を後にした。
伊勢みね(いせ みね)
(山本みね → 伊勢みね)演:三根梓(少女期 : 池田沙弥花 / 幼少期:豊嶋花 / 幼児期:千葉理紗子[8] / 乳児期:中山香楽(第6回) / 谷川夢歩(第7回)[8])覚馬とうらの娘。父・覚馬が京都に出仕中で不在の中、母・うらに厳しく育てられる。戊辰戦争後に覚馬の生存を知ると、家族とともに京都へ向かうが、うらとは別れることとなり彼女が持っていた櫛を託されて涙ながらに別れた。京都では継母である時栄に馴染むことができないまま新生活を送ることとなるが、次第に時栄とも打ち解けていく。成長後、同志社女学校に入学し、英学校に転校してきた伊勢時雄に一目ぼれする。その後、時雄から求婚され、覚馬が喜ぶ中、みねは自分がうらのように見捨てられたと感じ一度は拒絶するが、八重の説得の末に求婚を受け入れ、時雄の妻となり共に今治に向かった。時雄が同志社学校の教師になったことで京都に戻り長男・平馬を出産するが、産後に容体が悪化し、そのまま息を引き取った。死の直前、時栄の件と平馬が生まれたことでつらい運命を背負った異母妹の久栄を心配しており、久栄のことを八重に託していた。
山本三郎(やまもと さぶろう)
演:工藤阿須加(少年期:村山謙太 / 幼年期:山崎智史)八重の弟。兵制改革を訴える兄や、新式銃の開発に苦心する姉たちの力になりたいと権平に内緒で佐川官兵衛の部隊(別撰組)への入隊を志願し、佐川もその忠義の志は認めていたが、若年を理由に断られている。その後、江戸に留学する。鳥羽・伏見の戦いには志願して参加、果敢に敵陣に攻め入ろうとするが、銃撃を受け死亡する。遺髪と軍服は尚之助によって山本家に届けられ、八重はこの軍服を着て鶴ヶ城に入城した。
山本久栄(やまもと ひさえ)
演:門脇麦(少女期:今瀬葵 / 幼少期:太田しずく)覚馬と時栄の娘。時栄が出て行ったことで、心を閉ざしてしまう。その後、徳冨健次郎と恋に落ち、共に東京に駆け落ちしようとしたが、健次郎が一人で出奔したため未遂に終る。佐久が亡くなる前後に病死した。
徳造(とくぞう)
演:戸田昌宏山本家に仕える下男。籠城戦前に暇をもらって山本家を去った後、お吉と結婚した。その後、伝道旅行で会津を訪れた八重・みねらと再会を果たした。
お吉(おきち)
演:山野海山本家に仕える下女。籠城戦前に暇をもらい山本家を去った後、徳造と結婚した。その後、伝道旅行で会津を訪れた八重・みねと再会を果たした。
新島家
新島民治(にいじま たみじ)
演:清水?治襄の父。元安中藩士。襄を前名の「七五三太」と呼ぶ。突飛な行動をとる襄を半ば呆れながら見守り、そんな襄と結婚してくれた八重とも良好な関係を築く。みねの死後、息を引き取った。
新島登美(にいじま とみ)
演:香野百合子襄の母。日清戦争後、佐久が亡くなるのと前後して病死した。
会津の人々
会津松平家
松平容保(まつだいら かたもり)
演:綾野剛(幼少時:山下哲平)会津藩第9代藩主。幼名は_之丞(けいのすけ)、官名は肥後守(ひごのかみ)。会津中将とも呼ばれる。美濃国高須藩に生まれ、12歳で会津藩主・松平容敬の養子となり、その跡を継ぐ。養子だからこそ会津のために尽くしたいという思いが強いが、皮肉にもそれが後に言われる「会津の悲劇」を招くことになる。幕末情勢の混乱の中、幕府より京都守護職の就任要請を受け、当初は拒むも、藩祖・保科正之より伝わる会津家訓の精神[9]を貫かんと、家臣らの強い反対を押し切って就任の決断を下す。着任当初は言路洞開路線をとって尊攘派との融和を図るが、彼らの真意が倒幕にある事を知ると一転して厳罰主義を採り、藩士や新選組を使い取り締まった。しかし、却って尊攘派の恨みを受け、また都で会津の武名が上がったことから幕府からも疑いの目を向けられる。藩の疲弊を理由として帰国を望むが叶わず、孝明天皇の崩御後は、王政復古や鳥羽・伏見の戦いを経て朝敵の汚名を受け、失意のうちに会津に帰国する。新政府には武備恭順の態度を示す一方で、万一に備えて軍制改革を行う。白河口が破られ、会津城下での戦いが必至となると会津は会津の手で守ると重臣らを奮い立たせたが、会津勢は苦戦を強いられ、苦渋の決断で降伏した。この直前、萱野権兵衛への伝令役という形で西郷頼母を城から追い出すが、これは彼に生きて会津の汚名をすすいで欲しいとの願いから下した決断である。そして彼の背中を見届けながら「生きよ…、頼母…」と無事を願っていた。降伏後は謹慎し、会津戦争の戦没者の冥福を祈る日々を過す。のちに高木時尾と藤田五郎の結婚の仲人を元家臣の佐川とともに務めたが病に倒れ、会津の名誉回復を山川兄弟に託して息を引き取った。
松平照(まつだいら てる)
(照姫 → 松平照)演:稲森いずみ容保の義姉。文武両道に優れており、その人柄は八重たち会津の女性たちに深く慕われている。互いに他家(照姫自身は飯野藩保科家)からの養子であるために容保とは血の繋がりは無く、それ故か彼に幼い頃から想いを寄せていた。一度は他家に嫁ぐが、離縁されて会津松平家に戻り、容保夫妻と江戸上屋敷に住まうが、後に会津に移る。鶴ヶ城篭城戦では城内の女性たちをまとめ、降服の際には自ら白旗に「降参」と書き入れた。戊辰戦争後は実家・保科家に預けられていたが病に倒れ、容保に看取られて息を引き取った。
松平容敬(まつだいら かたたか)
演:中村梅之助会津藩第8代藩主。照姫、容保の養父。容保に対し、「徳川将軍家への忠義を第一に掲げる会津家訓[9]に沿って生きるように」と説いた。しかし、これが図らずも、後に容保を始めとした会津藩全体を最悪の凶事へと導く事を運命づけてしまう。
敏姫(としひめ)
演:中西美帆容保の正室。松平容敬の実娘で、照姫と容保にとっては義妹。疱瘡を患い、照姫に「姉として容保を支えて欲しい」と遺言して世を去る。
松平喜徳(まつだいら のぶのり)
演:嶋田龍会津松平家第10代当主。容保の養嗣子で徳川慶喜の実弟。幼名は余九麿(よくまろ)。
西郷家
西郷頼母(さいごう たのも)
演:西田敏行会津藩家老。会津に赴いて間もない容保に近くで仕え、会津藩の藩風や仕来りなどを教育した。幼少期の八重とは模擬戦である追鳥狩の際に草履を落とされ妨害された際にその張本人が八重であると知った際に初対面し激怒したが成人した八重と再会した時は、女性が砲術が活躍する場が無いことなどお互いに本音を語り合える存在となった。藩の兵制改革にいち早く賛同し、覚馬を取り立てた。幕府の京都守護職要請に際しては、容保に要請拒否を強く求め、守護職就任後も速やかな辞職を求め続けたことで容保の不興を買って家老職を解かれ、謹慎を命じられる(この事を八重に明かしている)。鳥羽・伏見での敗戦後に家老に復職し、新政府への恭順を主張した。会津戦争が勃発すると白河方面の総督を任されるが、寡勢の新政府軍に敗北する。その後、鶴ヶ城に帰参し再度の恭順を勧めたが、周りの重臣が徹底抗戦を主張している中で孤立し、白河総督の任を解かれた。籠城戦となると登城するが、次第に会津が絶望的な状況になると会津存続を願って改めて恭順を勧めるが、徹底抗戦を主張する多くの重臣に非難され、容保からも意見を聞き入れられることはなく、萱野権兵衛への伝令役という形で実質的に城を追われた。また、鶴ヶ城籠城戦の際に、八重に「にしの鉄砲は城を守る為に使え」と助言した。役目を終えると会津を離れ、函館戦争に身を投じるが、それも敗北に終わると生きて会津を踏みつぶしていった者達が作る世を見届けると決意する。維新後、会津を訪れた八重と再会し、これまで生きてきた経緯を語り、会津戦争から立ち上がり勲章をもらった八重を一度散っても春になれば再び花を咲かせる桜に例え、会津の希望であることを示唆した。
西郷千恵(さいごう ちえ)
演:宮崎美子頼母の妻。城下に新政府軍が襲来すると、会津の無実を訴え、新政府軍の非道な力には屈しないことを死をもって示すのが西郷家の役目と殉死の大儀を家族に諭したのち、一家と共に自刃して果てた。
西郷眉寿(さいごう みす)
演:中島亜梨沙頼母の妹。
西郷由布(さいごう ゆう)
演:玄里頼母の妹。
西郷細布(さいごう たえ)
演:田中明頼母の長女。母や一族と共に自刃するが、死に切れずに瀕死の状態でいたところを板垣退助に発見され、彼女の願いを容れた板垣によって止めを刺される。
西郷瀑布(さいごう たき)
演:豊田留妃頼母の次女。
西郷律(さいごう りつ)
演:久松夕子頼母の母。
西郷吉十郎(さいごう きちじゅうろう)
演:関ファイト頼母の長男。母・千恵から父・頼母と共に働くよう言われたため、一族の自刃からは逃れた。
西郷常磐(さいごう とわ)
演:田嶋絆頼母の四女。
山川家
山川浩(やまかわ ひろし)
(山川与七郎 → 山川大蔵 → 山川浩)演:玉山鉄二(幼少期:里村洋)山川家の長男。幼名は与七郎(よしちろう)、長じてからは大蔵(おおくら)を称する。八重とは幼馴染で、密かに想いを寄せていた。父親を早くに亡くし、若くして山川家の当主となる。京都へ上り、容保の側近として活躍して奏者番に昇進。さらに幕府の外国奉行の供として欧州を回り見聞を広めて帰国する。鳥羽・伏見の戦いでは洋装して前線で指揮を執り、瀕死の重傷を負った三郎の最期を看取った。会津戦争では日光口の守備を任され、板垣退助率いる新政府軍の進軍を阻み、その後は佐川官兵衛と共に家老に進んだ。新政府軍に包囲されている鶴ヶ城に帰城する際、行軍の列の先頭に彼岸獅子を立てる奇策で入城に成功する。会津戦争後は、他の藩士と共に猪苗代の謹慎所送りとなる。戊辰戦争後は容保の助命嘆願や家名再興に力を尽くし、家名再興が許されると斗南藩の大参事に就任するが、藩は財政難に苦しめられ、藩のために行動した尚之助の裁判でも、苦渋の決断で藩の関与を一切否定した。廃藩置県後、陸軍に仕官して佐賀の乱の鎮圧にあたり、その際の負傷で左腕が不自由となる。西南戦争にも出征し、西郷軍に囲まれた熊本城に入城するという功績を挙げた。一方で自宅に多くの会津出身者を書生として抱え、彼らの育成に心を砕く。また容保から孝明天皇の「御宸翰と御製」を託され、会津の雪冤を目指して『京都守護職始末』の編纂に着手するが、完成を健次郎に託し息を引き取った。
山川二葉(やまかわ ふたば)
(山川二葉 → 梶原二葉 → 山川二葉)演:市川実日子(幼少期:愛川あおい[10])浩の姉。梶原平馬に嫁ぎ、夫に従って京都に滞在し、一子・寅千代を儲ける。会津藩が京都を撤退すると、江戸を経て会津に帰国する。戊辰戦争後、平馬と離縁し家族とともに東京に住まいを移した。多くの書生を抱え、火の車の山川家の家計を遣り繰りしている。
山川健次郎(やまかわ けんじろう)
演:勝地涼浩の弟。学問には秀でていたが、砲術等や武芸は不得手で「青瓢箪」と呼ばれていた。会津戦争に八重が率いる鉄砲隊のひとりとして参加し、八重を補佐して籠城戦を戦い抜いた。戊辰戦争後は猪苗代の謹慎所に送られるが、梶原平馬の計らいにより、アメリカに留学。イェール大学で物理を学び、帰国後は東京開成学校(後の東京帝国大学)に採用され、教授となる。科学者として同志社の ⇒ハリス理化学館の建設にも関わった。浩から『京都守護職始末』の完成を託され、刊行寸前まで漕ぎ着けることができたが、日露開戦を前に国内の混乱を恐れた政府の意を受けた大山巌の説得に折れて刊行を思い止まるが、「永久に封印はしない」と釘を刺した。
大山捨松(おおやま すてまつ)
(山川咲 → 山川捨松 → 大山捨松)演:水原希子(乳児期:大谷美玲[11] / 幼少期:ほの花[12] / 少女期:愛川あおい)浩の末妹。幼名は咲(さき)。戊辰戦争後、留学生として渡米する際に捨松[注釈 2]と改名。長年の海外生活で、すっかり西洋風の女性となって帰国するが、日本では活躍の場が与えられなかった。大山巌に見初められ求婚されるが、仇敵・薩摩出身者との縁組は周辺から反対され、捨松も乗り気ではなかった。しかし、「会津人も薩摩人も海外に出れば、同じ日本人」だという大山に惹かれ、自分の意思で大山との結婚を選ぶ。結婚後は、社交界デビューを果たし「鹿鳴館の華」と謳われるようになる。その後、篤志看護婦人会を立ち上げる。
山川艶(やまかわ えん)
演:秋吉久美子浩らの母。
山川兵衛(やまかわ ひょうえ)
演:山本圭大蔵(浩)たちの祖父。家老として会津松平家に仕え、浩(大蔵)の成人後は隠居していたが、会津戦争では家族と共に鶴ヶ城に篭城した。維新後の明治3年に米沢の八重を訪れた浩の口から前年に亡くなったことが語られている。
山川登勢(やまかわ とせ)
(北原登勢 → 山川登勢)演:白羽ゆり大蔵の妻。会津藩士・北原匡の娘。鶴ヶ城籠城戦で焼き玉抑え[注釈 3]に失敗し、命を落とした。
山川美和(やまかわ みわ)
演:守田菜生(少女期:澤田汐音[13] / 幼少期:酒井彩音[14])浩の次妹。
山川操(やまかわ みさお)
演:竹島由夏(幼少期:川島鈴遥[15])浩の三妹。
山川常盤(やまかわ ときわ)
演:佐藤みゆき(少女期:永野芽郁 / 幼少期:信太真妃[16])浩の四妹。
山川重晴(やまかわ しげはる)
演:佐伯元希常磐の息子。
神保家
神保修理(じんぼ しゅり)
演:斎藤工会津藩家老・神保内蔵助の息子。京都では公用方として藩主を補佐し、主戦派の佐川官兵衛らを鎮めてきた。鳥羽・伏見の戦いで旧幕府側が不利と見ると、慶喜に江戸へ撤退するよう進言。しかし慶喜が江戸へ逃亡すると、敗戦を招いた張本人として批判され、容保から切腹を言い渡される。容保の命を受けた秋月から逃亡を勧められるが、これを謝絶。主君の名誉と藩の秩序を守るために切腹する。
神保雪(じんぼ ゆき)
(井上雪 → 神保雪)演:芦名星修理の妻。会津藩士・井上丘隅の娘。八重たちとは黒河内道場の同門。祝言を挙げてほどなく、夫は容保に従って京都に赴き、二度と会津に戻ることは無かった。新政府軍が会津に攻め寄せる中、城下を彷徨っていたところを中野竹子に諭されて娘子隊に参加するが、戦闘中に仲間とはぐれて新政府軍の捕虜となり、土佐藩士・吉松速之助から脇差を借りて自害した。
神保内蔵助(じんぼ くらのすけ)
演:津嘉山正種会津藩家老。田中土佐と共に、大坂の適塾で学んでいた古川春英の帰藩を周旋した。
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