八部郡
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^ 1字目は「さんずいに文」。

近世以降の沿革

旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在、○は村内に寺社除地[注釈 2]が存在。幕府領は谷町代官所が管轄。(46村)

知行村数村名
幕府領幕府領[注釈 3]32村○上谷上村、○下谷上村、○中村、○坂本村、小河村、○西小部村、○東小部村、○白川村、○車村、○妙法寺村、●○西須磨村、東須磨村、大手村、板宿村、西代村、駒ヶ林村、東尻池村、烏原村、○石井村、荒田村、○兵庫津、走水村、坂本村、生田宮村、宇治野村、中宮村、花熊村、二茶屋村、神戸村、北野村、吉田新田、与左衛門新田
旗本領4村藍那村、野田村、池田村、御崎村
幕府領・旗本領3村○原野村、西尻池村、夢野村
藩領下総古河藩5村○福地村、○西下村、○衝原村、長田村、多井畑村
幕府領・藩領幕府領・古河藩1村○東下村
幕府領・旗本領・大和小泉藩1村○奥平野村
21.湊村 22.林田村 23.須磨村 24.山田村(紫:神戸市 1 - 10は武庫郡 11 - 19は菟原郡 *は発足時の神戸市)

慶応4年

2月2日1868年2月24日) - 幕府領・旗本領が兵庫裁判所の管轄となる。

5月23日(1868年7月12日) - 兵庫裁判所の管轄地域が兵庫県の管轄となる。

神戸村・二茶屋村・走水村が合併して神戸町となる。(1町43村)


明治4年

7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が古河県小泉県の管轄となる。

11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、古河県の管轄地域が印旛県の管轄となる。

11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、全域が兵庫県の管轄となる。


明治5年(1872年) - 生田宮村・中宮村・花熊村・北野村・宇治野村が神戸町に合併。(1町38村)

明治12年(1879年1月8日 - 郡区町村編制法の兵庫県での施行により、下記の変更が行われる。

神戸町・兵庫津・坂本村の区域をもって神戸区が発足し、郡より離脱。(36村)

残部の区域をもって行政区画としての八部郡が発足。郡役所が湊村に設置。


明治14年(1881年) - 西小部村・東小部村が合併して小部村となる。(35村)

明治16年(1883年) - 神戸区の一部が分立して今和田新田となる。(36村)

明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。全域が現・神戸市。(4村)

湊村 ← 奥平野村、石井村、夢野村、烏原村、荒田村[飛地](概ね現・兵庫区)

林田村 ← 東尻池村、西尻池村、長田村、駒ヶ林村、野田村、御崎村、今和田新田、吉田新田(概ね現・長田区)

須磨村 ← 板宿村、大手村、西代村、池田村、妙法寺村、車村、白川村、東須磨村、西須磨村、多井畑村(概ね現・須磨区)

山田村 ← 上谷上村、下谷上村、原野村、福地村、中村、東下村、西下村、衝原村、小河村、坂本村、藍那村、小部村、与左衛門新田(現・北区)

荒田村の大部分(飛地を除く)が神戸市の一部となる。


明治29年(1896年)4月1日

湊村・林田村および須磨村の一部(池田)が神戸市に編入。

郡制の施行のため、武庫郡・菟原郡・八部郡の区域をもって、改めて武庫郡が発足。同日八部郡廃止。


行政

歴代郡長代氏名就任退任前職後職備考
1武井正平1879年(明治12年)1月9日
[9]1881年(明治14年)3月12日[9]依願免本官兼神戸区
2村野山人1881年(明治14年)4月1日[9]1883年(明治16年)1月9日[9]免兼官兼神戸区長
3武井伊右衛門1883年(明治16年)1月9日[9]1883年(明治16年)8月30日[9]非職
4渡辺弘1883年(明治16年)8月30日[9]1887年(明治20年)12月17日[10]神戸区長飾東郡長兼飾西郡長兼神戸区長
5鳴瀧幸恭1887年(明治20年)12月17日[10]1889年(明治22年)4月2日[11]兵庫県属非職兼神戸区長(1889年3月31日まで)
谷勘兵衛1889年(明治22年)4月5日[9]1893年(明治26年)1月19日[9]八部郡書記、郡長心得
6野口可輔1893年(明治26年)1月16日[12]1894年(明治27年)1月29日[13]兵庫県属飾東郡長兼飾西郡長
7小林市次1894年(明治27年)1月29日[13]1896年(明治29年)4月1日[14]兵庫県属廃官

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 住居表示実施地区の境界は不詳。
^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
^ 下記のほか《兵庫地方/石井村/荒田村/烏原村》立会・《神戸村/二茶屋村/中宮村/花熊村/北野村/宇治野村》立会が記載されている。

出典^ a b c 『摂津』 太田亮著 磯部甲陽堂(1925)
^ Wikipedia「会下山#伝説と歴史」より引用。
^ 『摂津』太田亮著 磯部甲陽堂(1925)P32「八部郡」の項に同じ趣旨の記述あり。
^ 〈参考資料〉古代の里と村[地域の歴史の見方 古代](第5回「まちづくり地域歴史遺産活用講座」試行プログラム(2011.9.18-19実施)テキスト)坂江渉 神戸大学大学院人文学研究科(平成23年度特別研究プロジェクト 国公立大学フォーラム / 2011-12-11)P67「ただし八部郡は、奈良時代には「荒田郡」→「雄伴郡」」とある。
^『新修神戸市史 歴史編II 古代・中世』神戸市/2010.3)目次より「葛城直・荒田直と荒田郡」、「活田長峡のクニと雄伴のクニ」、「菟原・雄伴から菟原・八部郡へ」とある。
^ 坂江渉「〈参考資料〉古代の里と村[地域の歴史の見方 古代(第5回「まちづくり地域歴史遺産活用講座」試行プログラム(2011.9.18-19実施)テキスト)]」平成23年度特別研究プロジェクト 国公立大学フォーラム、神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター、2011年。 
^ 木村修二「〈参考資料〉神戸市域の江戸時代[地域の歴史の見方 近世(第5回「まちづくり地域歴史遺産活用講座」試行プログラム(2011.9.18-19実施)テキスト)]」平成23年度特別研究プロジェクト 国公立大学フォーラム、神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター、2011年。 
^ 元和古活字本 - 国立国会図書館デジタルコレクション 目次・巻号 の(3) (64)の39コマ目。
^ a b c d e f g h i 武庫郡誌 115-116頁
^ a b 『官報』第1343号「叙任及辞令」1887年12月19日。
^ 『官報』第1725号「辞令」1889年4月4日。
^ 『官報』第2863号「叙任及辞令」1893年1月17日。
^ a b 『官報』第3174号「叙任及辞令」1894年1月31日。


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