八百長
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

2019年テニス選手八百長事件[12]

後日になって八百長を持ちかけられていたと告白した例

1973年10月20日中日対阪神戦(セ・リーグペナントレース)
[† 6][13][14]

1987年世界卓球選手権女子シングルス準決勝 何智麗対管建華戦(何智麗事件[15][16]

2006 FIFAワールドカップ一次リーグ チェコガーナ[17]

大相撲

前提として日本相撲協会は、八百長の概念を認めておらず、2011年の大相撲八百長問題においても「故意による無気力相撲」という表現を用いるにとどまっている。故意による無気力相撲の定義は「怪我や病気をしたままで場所に出ること」としている(週刊現代との訴訟における、当時の北の湖理事長の発言による)。
主な疑惑
1958年1月場所14日目:鏡里 - 千代の山
鏡里はこの場所「10番勝てなければ引退」と発言したが、13日目に6敗となり、10勝を挙げることは不可能となった。鏡里は翌日の千代の山戦に勝ち、勝ち越しを決め、千秋楽も勝って9勝6敗とした(結局引退した。)。しかし、鏡里は千代の山にもろ差しになられながらも寄り切りで勝ったが、千代の山が有利な体勢なのに負けたのは「八百長ではないか」という疑惑が生じた。
1963年9月場所千秋楽:大鵬 - 柏戸
ともに全勝の横綱同士の対戦。前場所まで4場所連続休場だった柏戸が勝って優勝を決めたが、場所後石原慎太郎が9月26日付の日刊スポーツ紙上に手記を寄せこの一番を八百長として糾弾。協会の告訴にまで発展したがのちに和解。
1970年1月場所千秋楽:北の富士-玉乃島
ともに優勝と横綱昇進をかけた大関同士の対戦。前場所優勝しこの場所も1敗で優勝争いの先頭を行く北の富士はすでに横綱昇進決定的と報じられたが、2敗で追う玉乃島は本割で勝たないと「話にならない」[18]。本割では玉乃島が一方的な相撲で北の富士を吊り出したが、優勝決定戦では北の富士が立ち合いで右上手を素早くとると一気に寄り立て、こらえた玉乃島を外掛けで下した[19]。場所後の横綱審議委員会で2人の横綱推薦が決まったが、委員長の舟橋聖一がこの取組を念頭に「疑惑を招くような相撲を絶滅して欲しい」と協会に強く申し入れた[20]
1971年7月場所11日目:大麒麟-琴櫻
全勝の玉の海を1敗で追う好調の大麒麟に対し、この場所角番の琴櫻はここまで5勝5敗。大関同士の対戦はあっけない相撲で琴櫻が勝ったが、取組後に「八百長ではないか」とファンから非難が集中し、翌日記者クラブからの質問に協会理事長の武蔵川(元幕内・出羽ノ花)は「ファンの疑惑を招いたことは申訳ない」と遺憾の意を表明し、武蔵川の意向を受けた審判部は緊急審判部会を開き、両力士に対し「今後このようなことがないよう」厳重に警告した[21]
1972年の相撲競技監察委員会発足後
1971年12月4日に協会は臨時理事会を開き、「無気力相撲」を防止するための対策のひとつとして「故意による無気力相撲懲罰規定」を制定し、1972年1月場所より施行することとした。規定に基づき設置された相撲競技監察委員会は、無気力相撲がなかったか確認するとされているが、実際に無気力相撲を認定した例は極めて少ない。「相撲競技監察委員会#実際に処分された者」も参照
1980年-1999年週刊ポストによる八百長報道(角界浄化キャンペーン)
1980年、元十両四季の花範雄によって現役時代に金銭の絡む八百長の仲介者として働かされたことが暴露された。この証言に対して賛同するように、元前頭禊鳳英二、元十両八竜信定、元幕下谷ノ海太一が八百長を証言した。その後、元立行司木村庄之助 (26代)、元序二段大ノ花、元序二段戸山、元三段目富士昇(元大関北天佑の弟)が八百長を証言した。1988年、元横綱双羽黒光司の元付け人上山進によって現役時代に金銭の絡む八百長の仲介者として働かされたことが暴露された。1996年、元関脇高鐵山孝之進によって現役時代における金銭の絡む八百長が暴露された。1996年、元小結板井圭介の元付け人(匿名)によって現役時代に金銭の絡む八百長の仲介者として働かされたことが暴露された。1997年、当時の現役横綱曙太郎の元付け人高見旺によって現役時代に八百長の仲介者として働かされたことが暴露された。1999年、「千代大海の大関昇進の裏に九重親方の八百長工作があった」と報じられ[22]、「引退のかかった若乃花琴錦が800万円で持ち掛けたが断られた」と報じられた[23]
1988年3月場所-11月場所:千代の富士貢の53連勝による八百長疑惑
板井圭介と師匠である当時の大鳴戸親方がそのうち約6割を八百長であると告発。「実力があってガチンコで戦っても勝ち目が無いと相手に思わせられたからこそ、相手の力士も礼金が貰える八百長に応じたということ」「ガチンコで唯一かなわないと思ったのは大将(千代の富士)だけ」であるとした(詳細は千代の富士貢参照)。
1988年文藝春秋による八百長報道
相撲ライターの三宅充が『文藝春秋』1988年10月号で「数字が暴く大相撲千秋楽」と題して、力士A[24]が「ここ2年のうち、6回、7勝7敗で千秋楽を迎えているが、6回ともすべて勝ち、勝ち越しを決めた。勝った取組は全部が全部ではないにしても、八百長ではないか」という趣旨の記事を書いた。三宅によれば「勝つ確率を五割(2分の1)として、6回すべて勝つ確率は、2分の1の6乗で、64分の1、率にして1.56%、64分の63、98.44%起こり得ない”奇跡”を力士Aは起こした」ということになる。
1995年11月場所千秋楽の八百長疑惑
11月場所は実の兄弟である横綱・貴乃花と大関・若乃花が他の力士に星2つの差をつけ千秋楽へ突入。優勝決定戦で若貴対決が観られるのではないかと思われた[25][26]。本割において両者ともに敗れたため史上初の兄弟力士での優勝決定戦になった。前場所まで4連覇中だった横綱・貴乃花が四つに組んだ後これといった攻めもなく下手ひねりに敗れる。この取り組みは社会的な注目を集めたが、弟である貴乃花に対しては、八百長とはいわないまでもやはり勝負に徹しきれない心理もあったのではないかという見方は当時から強かったため問題視されることはなかった。しかし、貴乃花が引退後にこれをふりかえって「やりにくかった」と発言、八百長を認めたとの誤解を招いて問題化した。この後、一部報道では決定戦の前夜、両者の師匠であり実父である二子山親方が宿舎の貴乃花の自室を訪ね、「光司、明日は分かっているだろうな」と、暗に優勝を譲ることを求めたとされた。また本割で若乃花が敗れたため、貴乃花-武蔵丸戦を前に二子山親方が再度「分かっているだろうな」と念を入れ、兄弟対決をアシストさせたとも報じた[27]。横綱に昇進し、順調に優勝を重ねる貴乃花に対し、初優勝から2年半以上遠ざかっていた兄である若乃花に実父である二子山が特別な感情を持っていたであろうということは、多くの関係者が証言している。これが兄弟不仲の始まりとなった説も存在する[28]
2000年1月21日、日本外国特派員協会での講演:板井圭介
小結・板井圭介が現役時代の八百長を認め、八百長にかかわった横綱・曙太郎以下20名の力士の実名を公表した。協会は板井に謝罪を求める書面を送付したが、最終的に「板井発言に信憑性はなく、八百長は存在しない。しかし板井氏を告訴もしない」という形でこの問題を決着させた。
2005年-2007年朝青龍明徳の連続優勝に関して
2007年1月発売の『週刊現代』「横綱・朝青龍の八百長を告発する」という記事において、朝青龍が白星を80万円で買っていたのではないかという疑惑が浮上。15回の優勝のうち、実に11回分の優勝は朝青龍が金で買ったものだとした。この報道に対し朝青龍は疑惑を完全否定。日本相撲協会は、八百長にかかわったとされる力士全員に事情聴取をしたが、全員が否定した。2007年2月8日に相撲協会は、週刊現代発行元の講談社と記事のライターである武田頼政に対して民事訴訟を起こした。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef