八巻正治
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」とも述べている[21]

また八巻は聖書の『ルカによる福音書』19章の中の「ザアカイの回心」を引用し次のように述べている。「心身に機能的な制限を有するがために、様々な側面でハンディキャップを甘受せざるを得ない人がいます。そして、そうした人たちのなかで『自分は体が不自由だから幸せになれないのだ!』などと叫んでいるような人は、何よりも神様から自分自身が<赦され、愛され、そして受けいられている存在である>との<まなざし>が欠落しているのです。だからザアカイ[22]のごとくに表面的・物質的な部分での保有をめざしたり、あるいは他者を恨み、攻撃することによって自分の慰めとしているのです。しかしこれでは何ら根本的な解決にはなりません。そうした破壊的な人の末路は、ついにはその刃を自己へと向けざるを得ないのです。すなわち自己破壊(破滅)しか残された道はないのです。[23]」と、このように恐ろしいまでの預言を福祉の専門的な教会、ラブリー・チャペルの牧師として行っている。

過酷な牧師生活を八巻は「妻は大学の通信教育で学び、私は大学での仕事を抱えながらの牧会活動です。加えて弟の養育です。『今日は何をしようか?』などといったゆとりは一日たりともないような生活です。しかし何とも言えないような充実感があるのです。喜びがあるのです。[24]」と述べている。

札幌キリスト福音館牧師の三橋萬利は「著者自らが牧会している『ラブリー・チャペル』は、その豊富な経験と、鋭い学究の論理と信仰の行動に基づくものであって、特異なキリスト教会として我が国キリスト教会の中で、その存在は大きいと思うのです。」とラブリー・チャペルのありようについて高く評価している[25]
教会及び牧師批判

八巻は個人的に「直接体験」したこととして「大教会といわれる教会の牧師や大衆伝道者と称される人は多少のカリスマ性を有し、喜怒哀楽的でオーバーアクション的なメッセージは得意であったにせよ、個々人が有しているところのごく日常的な細かな問題に対して関わることは苦手で、しかも実に高慢な人をしばしば見かけます。実に悲しむべき事態です。[26]」と指摘している。また八巻が「神様からの召命を受けて開拓伝道を開始して伝道者たちとの交わりに入ると、とたんに、あなたはどの神学校を出たのか、受洗者が何人与えられたか、開拓伝道を開始して何年でどれだけのメンバーが集められ、独立会堂が与えられたか、などといった話題で囲まれてしまいした。そして聖会へ行っても、実に悲しむべきことに、多くのメンバーを有している教会や多少名の知られている牧師先生たちが細々とした雑用をしている姿にあまりお目にかかったことがありません。[27]」「また『自分は何年でこれだけのメンバーを有する教会を形成した』との教会成長論をしばしば聞きますが、まことにもって情けないかぎりです。[28]」と述べ、「表面的・形式的な価値観で振り回される生き方は、主イエス様がここで示しておられるところの『真のいのち』を得るための生き方とはかけ離れているのではないかと私には強く思えるのです。[27]」「あるいはまた教条主義的・自己満足的なセミナーが実に多く存在しております。かのルターの宗教改革(恵みのみ・信仰のみ・聖書のみ)は、まさしくこうしたところから生まれた筈なのですが、多くの教会の姿は今日もなお新たなるルターが必要とされるかのようです。」[29]と教会や牧師に対する率直な心境を吐露した。このように八巻は主イエスの御心のみに沿う教会形成を切望する『ラブリー・チャペル』の牧師として、従来のきわめて形式的かつ表面的で数や量のみを重要視するような教会や牧師のありように対し恐れることなく著しい義憤を表明している。
安保法制についての考え

「今回の大規模デモや議論での、目をつり上げて激高した人びとの表情や、政府関係者たちに浴びせかけた罵詈雑言の数々を映像でみたり、文章を読んだりするたびに悲しみをおぼえました。美しい日本語を用いつつ、お互いを理解し合おうとするまなざしは、どこに消え去ったのでしょうか?」[30]。「ここしばらく『安保関連法案に反対せよ!』といったメールが、私が関係する、いくつかの組織体や個人から飛び込んできましたが、難民受け入れ問題に関しては、なにゆえか沈黙状態です。こうした点でも、やはり違和感がぬぐえないのです。」と反対派を手厳しく批判している。また「自衛隊、そして自衛官たちは、私たちの誇りです!」と自衛隊を賛美・称賛している。(前掲サイト)
セクハラ問題についての考え

現在は削除されているが以前の八巻ブログの中で「次回は介助方法の学習です。しかし抱きかかえのデモンストレーションをしなくてはならないのに、相手が女性ですから、たとえ授業とはいえ、ボクが実際に抱きかかえるわけにもゆかず困っていました。余談ですが、ボクが普段、研究室のドアを開けたままにしているのも、こうした配慮からです。だから、いわゆる『セクハラ』なんて、ボクには無縁の世界です。だって、丸見えなんだから! サービス業ゆえ、『商品には手を触れない』のでありますヨ!」と当時、50歳を過ぎた大学教授にしてはハイテンションかつふざけた口調で記していた[31][32]。また学生へのメッセージ(教育方針等)の中で「一人一人の学習者に対して限りなき尊敬と信頼の念を持ちつつ、丁寧に接するように努力する。むろんセクシャルハラスメント的な言動については、さらに慎重な配慮に心がける。」と記していた[33]
センスについての考え

八巻は自著[34]の中で「だれでも『センス』は磨けるのです。しかしそのためには、人間理解を深める<まなざし>を養うための厳しい修練が必要なのです。プロとはみな、そうした厳しい修練を積んでいるのです。音楽家が日々のレッスンを欠かさないように、教師も『人間理解を深めるレッスン』を怠ってはなりません。」と述べ「年齢や経験、そして今までの人生背景等は関係ありません。『私は、この道、何年で……』などという教師に、センスの良い教師はいないのです。」と、教師に対して求道者のような生き方を求め、センスのない教師を批判している。
著書

『さわやかな風のように ―福祉のまなざしを求めて―』八巻正治著、キリスト新聞社、1990年
[35][36]

『いのちを燃やす教育―養護学校の教師をめざして』 八巻正治著 黎明書房、1991年[37]

『聖書とハンディキャップ』 八巻正治 一粒社、1991年[38][37]

『君は麦畑の風の中を―さわやか福祉へのまなざし』 八巻正治、八巻益恵共著、樹心社、1992年、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784795224438[39]

『羊の国で学んだこと ―ニュージーランドの特別教育と福祉―』八巻正治著、学苑社、1995年、ISBN 4761495049[40]

『アオテアロア/ニュージーランドの福祉 ―インクルージョンのまなざし』八巻正治著、学苑社、2001年[37]

参考文献

八巻正治「ニュージーランドにおけるインクルージョン研究 : 権利擁護機関としての「SES」
」『日本ニュージーランド学会誌』第5巻、日本ニュージーランド学会、1999年、90-101頁、doi:10.20598/jsnzs.5.0_90、ISSN 1883-9304、NAID 110003988243。 

野口伐名「あとがき」『社会福祉学研究』第3号、弘前学院大学大学院社会福祉学研究科、2008年3月、 57頁。[41]

八巻正治「<研究論文>インクルーシヴ福祉支援実践論研究[U] : アオテアロア/ニュージーランドにおける施設解体閉鎖について」『社会福祉学研究』第3号、弘前学院大学大学院社会福祉学研究科、2008年3月、29-46頁、CRID 1050001337444690432。 

八巻正治「 ⇒人間のための福祉支援実践論研究--インクルーシヴ支援論への転換をめざして」『弘前学院大学大学院社会福祉学研究科社会福祉学研究』第4号、弘前学院大学大学院社会福祉学研究科、2009年3月、41-54頁、NAID 120006464883。 

発達障がい者に対する障害者自立支援法に基づくサービスのニーズ把握に関する調査平成20年度厚生労働省障害者保健福祉推進事業[42]

誕生日ありがとう運動本部・NPO法人 啓発紙『運動のしおり』月刊 執筆者 八巻正治[43]

論文著者 八巻正治 梅花女子大学文学部[44]

脚注^ 梅花女子大時代の「八巻正治ブログ」
^ 「弘学時代の八巻正治先生@」A弘前学院大学に勤務中には八巻に対して、このような感想を抱く学生もいた。
^ 現在はなぜか削除されているが、以前の「八巻正治オフィシャルサイト」では「2000年03月27日 『米ニューポート大学』より 『教育学博士(Ed.D.)』の学位を取得」と記載されていた。
^ 現在はなぜか削除されているが、以前の「八巻正治オフィシャルサイト」では「1994年02月26日 『米セント・チャールズ大学(カリフォルニア神学大学院日本校:提携校)』より 『博士(宗教学)(Ph.D.)』 の学位を取得」と記載されていた。


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