全身麻酔の歴史
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中国語でも同様に「麻醉」と記載される[17]が、日本での初出より前には用例が確認されておらず、「麻酔」が中国で日本より先に造語された可能性は低いとされる[16]。「麻酔#語源」も参照
anesthesia

『ヒポクラテス全集(英語版)』『ティマイオス』などの古代ギリシア語文献には、?ναισθησ??(anaisth?si?、無感覚)という用語があり、?ν- (an-、「無し」)と α?σθησι? (aisth?sis、「感覚」)に由来する[18][19]

1679年、オランダの医師ステファン・ブランカールトがラテン語のanaisthesiaを用いたギリシャ・ラテン語医学辞典(Lexicon medicum graeco-latinum)を出版した。1684年、「身体の辞書(A Physical Dictionary)」という題名で英訳が出版され、anaisthesiaは「麻痺患者や泥酔者のような感覚の欠如」と定義された。その後、この言葉やanasthesiaのような綴りの変化は、医学文献で「無感覚」を意味するようになった[18]

1846年、アメリカの作家・医学者のオリバー・ウェンデル・ホームズ・シニアは書簡の中で、ある薬剤によって誘発される状態をanesthesia、薬剤そのものをanestheticという用語として提案した。ホームズは、医学文献におけるanesthesiaの以前の用法が、特に「触れるもの」に対する「無感覚」を意味するものであったことから、このように考えたのである[18][20][21]
古代

全身麻酔の最初の試みは、おそらく先史時代に投与された薬草療法であろう。アルコールは最も古くから知られている鎮静剤で、数千年前の古代メソポタミアで用いられていた[1]
オリエントケシ(Papaver somniferum)somniferumは、ラテン語で眠りをもたらすの意[22]

シュメール人は、紀元前3400年頃にはメソポタミア下流でケシを栽培し、アヘンを収穫していたと言われている[23][24]。アヘンの有効成分はモルヒネであり、現在でもオピオイド鎮痛薬として用いられている[25]。ケシの種は、スイスにある新石器時代の遺跡からも見つかっている[26]

現在までに発見されているケシに関する最も古い証言は、紀元前3千年紀の終わりに小さな白い粘土板に楔形文字で刻まれたものである。この石版は1954年、ニップルでの発掘調査で発見され、現在ペンシルベニア大学考古学人類学博物館に保管されている。サミュエル・ノア・クレイマー(英語版)とマーティン・リーヴによって解読され、現存する最古の薬局方とされている[27][28]。この時代のシュメール語の石版には"hul gil"という表意文字が刻まれており、「喜びの植物」と訳されて、アヘンを意味するという説がある[29][30]。gilという言葉は、世界のある地域では今でもアヘンに用いられている[31]。シュメールの女神ニダバ(英語版)は、しばしば肩からケシが生えている姿で描かれている。紀元前2225年頃、シュメール領域はバビロニア帝国の一部となった。アヘンとその多幸感に関する知識と用い方はバビロニア人に伝わり、バビロニア人は帝国を東のペルシャ、西のエジプトへと拡大した。これにより、アヘンに関する知見はこれらの文明にまで広がっている[31]

古代シュメール人、バビロニア人がアヘンを実際に用いていたかどうかには異論もあり、確実に文献での記載が確認できているのは遙かに後代であるとする説もある[32]。イギリスの考古学者で楔形文字学者のレジナルド・キャンベル・トンプソン(英語版)は、アヘンがアッシリア人に知られていたのは紀元前7世紀としている[33]。紀元前650年頃のアッシリアの石版に刻まれた「アッシリアの草本誌(Herbal)(英語版)」の中に、"Arat Pa Pa"という言葉が出てくる。トンプソンによれば、この用語はケシの汁のアッシリア語名であり、ラテン語のケシ属(papaver)の語源である可能性があるという[29]
古代エジプトマンドラゴラとケシの実が描かれた古代エジプトの壁画。エジプト博物館(ベルリン

古代エジプト人は、おそらくマンドラゴラの果実から抽出したエキスを含む、原始的な鎮痛剤と鎮静剤だけでなく[34]、外科器具[35][36]もいくつか持っていた。


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