全権委任法
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3月9日には最後まで抵抗したバイエルン州政府が総辞職し、国家代理官フランツ・フォン・エップが就任した[12]
採択への道

3月21日、国会議事堂が全焼したために現在のブランデンブルク州に位置するポツダムフリードリヒ大王の墓所のある衛戍教会で、ヒンデンブルク大統領が列席する盛大な国会開会式が行われた(ポツダムの日)。この日の午後、ナチ党はいわゆる全権委任法、「民族および国家の危難を除去するための法律案」を国家人民党と共同で提出した[13]

この法律は5条の法律案であるが、内容は議会から立法権を政府に移譲し、ナチ政府の制定した法律は国会・帝国参議院(ライヒスラート)や大統領権限を除けば憲法に背反しても有効とする法律案である。つまり、非常事態を理由にして、為政者の権力濫用を拘束し国民の人権を保証する憲法を骨抜きにし、ナチスに逆らう者に「公益を害する者」というレッテルを貼り、人権を剥奪して弾圧するようなナチ立法を(憲法に反していても)有効とし、選挙を経ていないナチ行政府公務員に立法権まで与える法律案であった。

実質的な憲法修正の内容を持つ本案は、本来は可決には総議員の2/3以上の出席を得た上で、出席議員の2/3以上の賛成を必要とした。ヒトラー与党は過半数の議席を得ていたが、2/3には足りなかった。そこでナチスは連立与党の国家人民党、鉄兜団などの協力で議院運営規則の修正法案を同時に提出していた。この修正案は、委員会や投票に参加しない議員の会議への出席を排除できた上に、排除された欠席議員は全て出席したもの(棄権扱いで、採決の分母から除外)と見なして計算することを可能とするものであった。既にドイツ共産党議員(81議席)は全員が「予防拘禁」、あるいは逃亡・亡命を余儀なくされ、一人も出席できない状態であった。あとは中央党の同意さえ取り付ければ、「円満な採択」が可能な状態となった。

3月22日の午後4時から、ヒトラーと中央党党首ルートヴィヒ・カースの会談がもたれた[14]。カースは執行段階での大統領関与の保証、監視委員会の設置、委任法からの除外項目の画定という三つの条件を提示した。これに対しヒトラーは大統領と自分が対立することはあり得ず、監視委員会は内閣の内に設けると回答し、さらに中央党の支持基盤である教会との関係や教育政策は対象とならないとした上で、州の権限に対する侵害は考えていないと回答した[14]。カースはこの意見を持ち帰り、翌3月23日の午後1時から中央党は法案への対処を決める会議を行った。この席でカースは、反対した場合に「党に対して不愉快な結果」が降りかかるおそれがあるとし、賛成しなくてもナチ党は法によらない手段でその権限を獲得するであろうと述べた[15]。他の議員もおおむね同じ考えであり[16]、党内で行われた事前投票でも、12人もしくは14人の反対者が出るに留まった[17]。中央党は多数決原理をとっていたため[17]、実際の投票では全員が賛成に投票することとなった[3]
採択議場となったクロル・オペラハウス

3月23日の昼過ぎ、臨時国会議事堂となったクロル・オペラハウスの周辺を突撃隊親衛隊が取り囲んだ。演壇の後ろにはハーケンクロイツ旗が掲揚されていた[15]。まず議院運営規則の改正案の審議が行われ、起立多数で採択された[18]。共産党議員の他、26人のドイツ社会民主党議員ならびにドイツ人民党と中央党所属の2議員も逮捕・逃亡・病気などで欠席を余儀なくされた。

ついで全権委任法の審議が始まり、ヒトラーが法案の趣旨説明を行った。ヒトラーは「真の民族共同体建設」のためには、「民族の意志と真の指導の権威が結びついた一つの憲法体制」を作ることが必要であり、全権委任法の制定はそのためであると説明した[15]。また政府の行為に国会の承認を得ることはしないが、必要である場合には同意を求めることもあるとした。さらに国会、帝国参議院の存在と、大統領の地位と権限を保証し、教会に対する政策も変化しないとした[19]。そして最後に「政府は諸君の拒否の表明と、それにともなう抵抗の宣言を受け入れる覚悟を固めるものである。今や戦うか、平和を選ぶかは諸君自らである」と、否決された場合の強行手段を暗示した[20]。これにより、最後まで逡巡していたドイツ国家党の5人も賛成に回ることを決めた[21]

このあと2時間の休憩が取られ、午後6時過ぎに再開された審議の冒頭、ドイツ社会民主党党首のオットー・ヴェルスがこの日唯一の反対演説を行った[21]

暴力による平和からは、いかなる繁栄も生まれない。真の民族共同体というものはそうしたものに基礎を置くことは出来ない。その第一の前提は平等の権利である。自由と生命を奪いとることはできても、名誉はそうはいかない(Freiheit und Leben kann man uns nehmen, die Ehre nicht.)。社会民主党が最近被った迫害にてらして言えば授権法への賛成を我々に要求したり期待することなど誰にも出来ないはずである。

3月5日の選挙の結果、政府与党は多数を獲得し、憲法の文言と目的に忠実に統治することが可能になったのではないか。こうした可能性が存するところでは、そうする義務も存在する。およそ批判とは有益なものであり、必要でもある。ドイツに国会が生まれて以来、民族の代表者が政治に関与し参画することが今日のように排除されたことはいまだかつてなかったことである。新たな授権法が成立すれば、こうした状況がさらに加速されるであろう。革命の続行のために国会を真先になくしてしまうこと、それが君達の要求なのだ。しかし、現に存在するものを破壊することが革命ではない。法というヴェールをかけたとしても、暴力による政治という現実を覆い隠すことは不可能である。いかなる授権法も永遠かつ不変の理念を抹殺することはできない。

社会主義者鎮圧法が社会民主主義を抹殺しえなかったように、新たな迫害の中からドイツ社会民主党は新たな力を汲み取るであろう[22]

ヒトラーは即興にしてはきわめて巧みに、ヴェルスの主張を逐一余裕たっぷりに粉砕していった[23]

遅れてやってきたものの、とにかくやってきたことは認めてやろう。

おまえは迫害という。しかしおまえたちの迫害を牢獄で償う必要が無かった者はわれわれの中でごく少数に過ぎなかったのだ。われわれのほとんどが、おまえたちの手によって何千回となく嫌がらせを受け、弾圧された経験を持っている。色が気に食わないという理由だけで、何年もの間われわれがシャツを引き裂かれたという事実をおまえたちはすっかり忘れてしまったのか。おまえたちの迫害の中からわれわれは生まれたのだ。

おまえは批判は有益だという。たしかにドイツを愛するものがわれわれを批判することは結構である。しかし国際主義に魂を売った者による批判を許すわけには行かない。われわれが野党の立場にあった時、おまえたちは批判の有益性とやらを認識すべきであったのだ。その当時われわれの新聞は繰り返し禁止され、集会も演説も同じであった。それなのに、今頃批判は有益だとはよくも言えたものだ。革命を続行するため国会の排除をわれわれが狙っているとおまえは言う。しかし、そのためであれば、われわれは選挙を行うことも、国会を召集することも、それに授権法を提案することも必要なかったはずではないか。

この瞬間われわれが議会に求めていることは、たとえ諸君の同意が無くとも、どっちみち奪い取ることのできたものに他ならない。我々があえて法律的な手続きを踏むのは、今日われわれと異なった立場に立つにせよドイツに対する信仰を共有する人々をいずれは手に入れたいためである。反対者を抹殺するのでもなく、彼らと和解するのでもなく、ただ挑発するという愚を私は避けたかったのである。永遠の戦いをおっぱじめるようなことだけはしたくない。それはわれわれの弱さの故にではなく、民族に対する愛からに他ならない。

おまえたちがこの法律に賛成しないのは、おまえたちの内奥のメンタリティが今日我々を鼓舞している意図を理解できないからに他ならない。私はお前達の票など欲しくない。ドイツは自由を手に入れる。しかし、それはおまえたちの手によってではないのだ[24]

その上で、「我々をブルジョアと誤解しないでくれたまえ。ドイツの星は昇りつつあるが、君たちの星は消えかかっている。君たちの弔鐘は鳴りわたったのだ」[25]とまくし立てた。

続いて立った中央党党首カースの演説は自己弁護に終始し、言葉とは裏腹に躊躇いを残したまま下した決定を自分自身に納得させようとする惨めなものに終わった[26]

あらゆる狭小な考慮が沈黙すべきこの時に、中央党が一切の党派的その他の躊躇いを捨てたのは、国民と国家に対する責任感である。我々がかつて敵であったもの含め全ての人々に手を差し伸べることにしたのは、差し迫った困難およびドイツの再建という巨大な課題にかんがみ、国民と国家の救済を確実にし、秩序ある国家と法の再建を促進し、無秩序な発展を阻止するためである。…

…ライヒ首相により与えられた約束が将来の立法活動の基礎となり指針となることを条件として、中央党は授権法に賛成する[27]

この後、バイエルン人民党、ドイツ国家党、キリスト教社会人民運動の賛成演説が続いた。最後に国会議長ゲーリングが「今や、ドイツの頂点に立つのは我々の指導者(Fuhrer)である。


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