第2回以降は欠員補充のため下位当選の何人かが半期(任期3年)議員となっている(背景ピンクの候補者)。なお第3回参院選で当選した楠見義男は1954年10月の栃木県佐野市での再選挙の結果落選。次点だった平林剛が半期議員として当選した。また第4回参院選で当選した小西英雄は1959年2月に東京高裁の当選無効判決[2]について最高裁で上告が棄却され判決が確定し議員を退職[3]。次点だった上条愛一が半期議員として当選した。 全国区上位落選者一覧回年次点落選者次々点落選者3番目落選者4番目落選者5番目落選者
全国区上位落選者
11947年宮東孝行
21950年増田俊明14万3330門屋盛一14万3201小西聖夫14万2765松平康東14万1033林了13万9701
31953年平林剛15万9381前野与三吉15万8472大須賀貞夫15万7632寺田甚吉15万3788椿繁夫15万3259
41956年上条愛一24万0617岡田修一23万5062北畠教真23万2849竹中治22万9433児玉マツエ22万7549
51959年後藤俊男26万6059鈴木市蔵26万3485柴谷要25万6140林塩25万6031豊田雅孝25万4761
61962年山高しげり37万5172安田善一郎37万4843常岡一郎36万7828平林剛35万6273片山巌35万5844
71965年石谷憲男43万2644阿具根登41万8500中野源次郎41万7596北川義行41万4701豊瀬禎一40万9457
81968年塩崎潤45万2823石本茂44万8409佐藤新次郎43万3878満岡文太郎42万9903佐藤三蔵42万9517
91971年黒住忠行40万8045野末陳平40万0359横山フク38万8171山本忠義36万1408小林章35万7399
101974年山下春江56万6309村上正邦55万2854田中忠雄55万0689田沢智治54万2119坂健51万6159
111977年佐藤敬夫55万9318加藤進55万8685近藤忠孝53万7604春日正一53万0785望月優子52万8228
121980年秦豊62万7272安永英雄62万3252渡辺武62万1135内藤功61万7768命苫孝英60万5410
背景青の候補者は、後に繰り上げ当選した候補者。第3回参院選で次点だった平林剛は1954年10月の再選挙で当選。第4回参院選で次点だった上条愛一は小西英雄の当選無効判決の確定により当選[4]。 全国行脚による選挙活動で疲労し切って選挙戦中又は当選確定直後に倒れて死亡した候補者が実際にいたため、全国区ならぬ「残酷区(ざんこくく)」と揶揄されていた。また、全国を飛び回る交通費も膨大であったため「銭酷区(ぜにこくく)」とも呼ばれていた。以下にその実例を示す。 参議院全国区立候補者で当選後に死去した例参院選候補者死去
呼称
年月日選挙氏名所属政党年月日年齢
1962年7月1日第6回参院選松村秀逸自民党1962年9月7日62歳
1971年6月27日第9回参院選山本伊三郎社会党1971年7月8日65歳
村上孝太郎自民党1971年9月8日55歳
1980年6月22日第12回参院選向井長年民社党1980年6月23日[注釈 1]69歳
江藤智自民党1980年6月26日75歳
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 当選直後の翌日・6月23日に急逝し、次点の秦豊が即時繰り上げ当選となる事態になった。
出典^ 地方自治研究資料センター「戦後自治史V(参議院議員選挙法の制定)」(文生書院)