これらは最も広い意味での「児童文学」もしくは「児童書」であり、児童文学という分野を限定的に考える場合には、実用的な教本や文章によらない絵本、さらには固有の創作者を持たない昔話や神話、娯楽を主体としたフィクションなどは除外されることもある。 児童文学そのものも大人の文学と対になる年齢によるカテゴリであるが、0歳から18歳まででは子どもの理解力や興味もさまざまであるため発達段階に応じて形態や内容も違ってくる。 こうした分類の基準は、児童文学そのものを定義する基準と同様に、曖昧で問題を含むものである。明確な違いの1つに幼い子ども向けの本はイラストレーションが添えられることが多いということが挙げられるが、絵を作品の不可分な一部として持つ絵本であってもこうしたジャンルや年齢層に収まらないものがある。ピーター・シスの『チベット――赤い箱を通して』は大人の読者に向けた絵本の1例である。
年齢層と発達段階
絵本は0-5歳程度の、まだ文字を(充分には)読めない「読者以前」の子どもたちにも向いている。
5-7歳頃の、読み書きを覚えたばかりの子どもに向けた本は、簡単な童話や昔話などを主題とし、子どもに読書力をつけるよう工夫されていることが多い。
7-12歳頃の子どもは発達に応じて、もう少し長い、章立てのある本(チャプターブック)も読めるようになり、児童文学の中核となっている。
ヤングアダルト小説(ジュブナイル)は概ね13歳以降のティーンエイジャー(ヤングアダルト)を読者に想定している。
内容ライマン・フランク・ボーム『オズの魔法使い』(1900)。W・W・デンズロー
子どもや若年者の成長への感化を念頭に置いた、教育的な意図、配慮がその根底にあるものが多く[9]、子どもの興味や発育に応じた平易な言葉で書かれる。しかし難しい内容を扱わないという訳ではなく、難しい内容でも子どもに必要と考え、わかりやすい例や言葉で表現する作家もいる。平易な表現で根源的なことを語っている場合があり、子どもに受け入れられる児童文学作品には大人の鑑賞にも堪えられる秀逸なものも多い。たとえば灰谷健次郎著の『兎の眼』やあさのあつこ著の『バッテリー』など一般の文庫本となって大人読者に広く流布する作品がある。児童文学は大人向けに書かれた「文学」の価値観が持ち込まれているという指摘がある[1]。
おおむね10代中・後半から20代初め頃の時期をヤングアダルトと呼ぶが、児童の年代を超えた年齢層にも児童文学的な内容が求められる事がある。J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)に見られるように、この世代特有の問題、例えば、恋愛、いじめ、薬物依存、自殺などを扱ったジャンルも登場し、「ヤングアダルト」という名称で呼ばれる事もある。日本では重松清(作品はナイフ・エイジなど)らがヤングアダルト世代向けの作品を手がけている。
創作童話と呼ばれる作品は文学性を有する場合が多い。創作童話は狭義の童話概念であるためヤングアダルト層は対象としないが、小学校高学年程度向けの作品も含まれる事がある。 ある児童書が成功を収めると、作者はその話に続編を書いたりシリーズを立ち上げたりしようとすることが多く、ライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』や那須正幹の『ズッコケ三人組』などがその例である。
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