光華寮訴訟
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1982年(昭和57年)4月14日:控訴審(大阪高裁)[6]は、台湾勝訴。

判決は、政府承認の有無と当事者能力とは別の問題であるとして、原告の当事者能力を肯定したうえで、中華民国から中華人民共和国への承継は「不完全承継」にあたり、しかも光華寮は国家機能に直接かかわる財産ではないから、政府承認の切り替えによって中華民国が取得した光華寮の所有権が消滅することはないとして、原判決を破棄、第1審に差し戻した。


1986年(昭和61年)2月4日:差戻し後第1審(京都地裁)[7]は、台湾勝訴。

判決は、原告の当事者適格を認めたうえで、新政府が成立した後もなお旧政府が領土の一部を実効支配しており、財産所在国が政府承認を切り替えた場合、旧政府が所有する外交にかかわる財産や国家の権力を行使するための財産は新政府に引き継がれるが、外交や国家権力の行使と無関係な財産については、旧政府が引き続き所有権を維持するとして、原告(中華民国)の請求を認容した。


1987年(昭和62年)2月26日:差戻し後控訴審(大阪高裁)[8]は、台湾勝訴。

判決は、原告の当事者適格を認めたうえで、おおむね原判決を踏襲し、光華寮は新政府に引き継がれるべき性質をもたない財産であるとして、控訴棄却。なお、大阪高裁は、この判決を出すにあたり、職権で、原告の表記を「台湾(本訴提起時 中華民国)」と改めた。

この頃、柳谷謙介外務事務次官が、ケ小平中央軍事委員会主席について「雲の上の人」と評したことで辞任。

中国人寮生側は上告し、上告代理人は200頁以上に上る上告趣意書を最高裁に提出。その後、約20年間審理がストップした。


2007年(平成19年)1月22日:最高裁判所は突如として「訴訟の原告である中国を代表する権限を持つ政府は、中華人民共和国と中華民国のどちらであるか」について上告人(被告・中国人寮生側)と被上告人(原告・中華民国側)の双方に意見を求め、意見書の提出期限を同年3月9日と定めた。これに対し、被上告人(台湾側)が期間が短すぎるとして期限の延長を要請したが、最高裁は拒否。結局、双方とも期限までに意見書を提出した。

寮生側の回答 - 「台湾は大陸をも含む中国の代表として提訴したものの、日中共同声明によって、日本が承認する中国の政府は中華民国政府から中華人民共和国政府になったので、中国を代表する地位を失った台湾は訴訟の当事者となることはできない」

中華民国(台湾)側の回答 - 「本件は、1952年に中華民国政府が日本において取得した不動産「光華寮」の事件である。当時、中華民国政府がすでに台湾を実効的に支配し、その事実は現在も全く変更がない。その不動産に関する訴訟追行権者が中華民国政府であることは当然であり、代表者(中華民国国有財産局局長)についても疑問の余地はない」「日本国政府は1972年に中華人民共和国政府と外交関係を樹立したが、それだからといって、台湾における中華民国の存在を否定できないし、中華人民共和国政府はいまだかつて台湾を支配した事実もなく、中華民国が取得した財産が中華人民共和国の所有となり、同国が訴訟追行権者となることは法理上あり得ないことである」

2007年(平成19年)1月25日:中華人民共和国の外務省報道官が定例会見で「光華寮問題は一般の民事訴訟ではなく、中国政府の合法的権益と、中日関係の基本原則に関わる政治案件だ。中国政府はこれに高度な関心を寄せている。日本側が、中日共同声明の原則に照らし、問題を適切に処理することを希望する。」との見解を発表[9]

2007年(平成19年)3月9日:中華民国(台湾)外交部が、「本案は中国方面から日本へ恫喝や圧力があったとしても、日本の司法は独立しており、日本の最高裁判所が最終的に公平で公正な判決を下すことを深く信じている」との声明を発表[10]


2007年(平成19年)3月27日:上告審判決(最高裁第三小法廷、藤田宙靖裁判長)[11]は、台湾の事実上の敗訴。

判決は、本件訴訟の原告は「国家としての中国(中国国家)」であるとした上で、日本政府が日中共同声明により「中国国家」の政府として中華人民共和国政府を承認したことなどから、中華民国はもはや本件訴訟の原告当事者ではなく、中華民国駐日本国特命全権大使は「中国国家」の代表権を失っていると指摘。政府承認切り替え時点(第1審審理中)で訴訟手続は中断しており、その後の下級審の審理・判決は中断事由を看過してなされたものであるとして、(中華人民共和国に)訴訟承継させてから審理をやり直すべきであるとして、原判決(差戻し後控訴審判決)を破棄、第1審(京都地裁)に差し戻した。光華寮の所有権の帰属については、何ら判断を示さなかった。なお、最高裁は、本判決を出すにあたって、職権で、被上告人の表示につき「旧中華民国 現中華人民共和国」という肩書きを添えて「被上告人 中国」と記載した。

この最高裁判決は「台湾の事実上の敗訴」として大きく報道されたため、一般には、最高裁が中華民国(台湾)の訴訟当事者としての資格を否定したものと受け止められているようである。しかし、実際には、訴訟当事者としての資格が否定されたのは、あくまで1967年に提起された本件訴訟に限ってのことであり、中華民国(台湾)が日本の裁判所において訴訟当事者となることが一切許されないという趣旨の判例ではない(つまり、民事訴訟法上の当事者適格が否定されたのであって当事者能力までもが否定されたわけではない)、というのが法学者の一般的理解である。

本判決に対する判例評釈

和田吉弘・法学セミナー633号117頁

横溝大・判例時報1987号194頁

小原将照・法学研究(慶應義塾大学法学研究会)81巻1号118頁

安藤仁介・民商法雑誌137巻6号550頁

安達栄司・法の支配2008年1月号74頁

齋藤洋・東洋法学・50巻1・2号(2007年3月)185頁

岡田幸宏・TKCローライブラリー速報判例解説(民事訴訟法No.9)2007.12.28

村上正子・平成19年度重要判例解説(ジュリスト増刊1354号)138頁

植木俊哉・平成19年度重要判例解説(ジュリスト増刊1354号)306頁

小田滋「光華寮訴訟顛末記--平成 19.3.27 の最高裁 第 3 小法廷判決について」国際法外交雑誌 107 巻 3 号397 頁〔2008 年 11 月〕



小田滋(元国際司法裁判所判事、日本学士院会員、東北大名誉教授)は朝日新聞で「国際法の本質にもふれるこれほど重要な問題で最高裁が上告以来20年も放置してきたこの事件を、大法廷で審議することもなく、小法廷が 一人の少数意見もなく、全員一致の判決を出したということは驚くべきことでした。しかも中国首相の訪日にあわせるかのように充分な審理もつくさずに判決を出したことに、私は最高裁の節操を疑いました」と批判した。[12]

2007年(平成19年)4月2日:中華民国(台湾)の黄志芳外交部長は、日本の対台湾窓口機関、財団法人交流協会台北事務所の池田維代表を呼び、最高裁判決について「台湾としてまったく受け入れられず、極めて遺憾だ」と抗議した。

2007年(平成19年)4月3日:被上告人(原告・台湾)代理人弁護団(小田滋・畑口紘・庭山正一郎・金子憲康)[注釈 1]が都内で記者会見を開き、「国際法上の知識及び歴史上の事実認識への理解を全く欠如した内容に、驚きを禁じえない」などとする反論声明を発表した[13]。元国際司法裁判所裁判官の小田滋弁護士は、「きわめて残念であり、司法のためにも誠に遺憾である」と表明、意見書提出期限の延期を最高裁に拒否されたことに関連して「(上告から)20年近く放置された事件について、なぜこのように急ぐのか」「何らかの政治的配慮があったのではないかと、邪推もしたくなる」と痛烈に批判した[注釈 2]

台湾(中華民国)代理人弁護団の反論声明[14]の要旨


「中国」は一つの「文明圏」であることは疑いないが、「国家」としては清国、中華民国、中華人民共和国しか存在せず、「中国」という国家は未だかつて存在したことがない。中華民国や中華人民共和国が中国を統治下においていると主張している事実は、「中国」という国家が存在することの根拠とならない。

日本政府も、日華平和条約について適用範囲を事実上、台湾及び周辺諸島としていたし、日中共同声明では中華人民共和国の主張を尊重するにとどめたのであって、中国という国家が現実に存在するとの認識を示していない。

最高裁判決のいう「中国国家」は、いかなる範囲の領土、住民を指しているのか全く理解できない。この判決は、国際法上の国家概念(領土・住民・政府)についても反する「国家としての中国(中国国家)」なる虚像を創出した誤りを犯している。

本判決は、提訴後40年、上告から20年も経過したにもかかわらず、本件不動産の所有権の帰属について何ら具体的な判断を示さないままに形式的な処理をするにとどまり、事案の真の解決に何ら益するところがないものであって、司法の最高機関がその本来の役割を果たしたとは到底いえず、遺憾の極みである。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ なお、最高裁判決文には、「弁護士張有忠ら6名」が被上告人訴訟代理人として訴訟行為を行ってきたとの記載があるが、声明は小田滋弁護士ら4名の名前で発出されている。提訴以来、40年間にわたり光華寮事件に携わってきた張有忠弁護士は、この判決からまもなく(2007年8月29日)、大阪市内で92歳で死去した。[https://web.archive.org/web/20111218130428/http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007090401000614.html / 共同通信2007年9月4日
^ 小田は、学士会会報895号(平成19年7月号)に寄稿した文章の中でも、この最高裁判決を強く批判している。

出典^ a b c d e 廃墟、元留学生寮の内部に 京都、「二つの中国」問題象徴京都新聞 2018年04月19日掲載
^ 光華寮訴訟とは京都新聞 2018年04月19日掲載
^ a b 中塩路良平、山本旭洋、宇都寿「京都の元留学生寮「光華寮」が解体 台湾は不満表明、中国は沈黙貫く 訴訟の行方は?」『京都新聞』、2023年8月30日。2023年9月27日閲覧。
^ 呂伊萱「「兩個中國製造的廢墟」京都光華寮拆除 謝長廷:別再留給後代一個50年訴訟」『自由時報』、2023年7月7日。2023年9月27日閲覧。
^ 日中共同声明
^ 昭和52年(ネ)第1622号土地家屋明渡請求事件 大阪高等裁判所昭和57年4月14日
^ 昭和57年(ワ)第1382号土地建物明渡請求事件 ⇒京都地方裁判所 昭和61年2月4日
^ 昭和61年(ネ)第335号土地建物明渡請求控訴事件 ⇒大阪高等裁判所 昭和62年2月26日

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