光緒帝
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西太后が皇帝に任命した溥儀が自伝の『わが半生』で唱える。かつて戊戌変法で光緒帝を裏切った袁世凱にとって、西太后が死去して光緒帝が復権することは、自身への報復を意味していた。「西太后の死期が近いという情報を知った袁世凱が、宦官を利用し、先手を打って光緒帝を暗殺した、という論理である[9]
李蓮英犯人説
西太后の寵臣であった徳齢の『瀛台泣血記』が唱える。長年西太后に仕えていた宦官の李蓮英が毒殺したという説。西太后の死去で自らの後ろ盾を失い、報復されるのを恐れて暗殺したという論理である。西太后に仕えていた徳齢が、西太后の威を借り横暴を究めていた李蓮英が、光緒帝の復権により報復を受けることを恐れて光緒帝を殺害したとしている。
その他毒殺説
『逸経』等にある、侍医が毒殺したという説など。
后妃

皇后が1人、側室が2人いたが、いずれの女性の間にも子供は生まれなかった。

孝定景皇后(hiyoo?ungga toktonggo ambalingg? h?wangheo)(同治7年(1868年) - 民国2年(1913年))。西太后の弟桂祥(グイシャン)の娘で、西太后の姪にあたる。選秀女に参加して入選し、1889年に光緒帝の皇后に立てられる。西太后と光緒帝が対立したため、光緒帝に疎まれ夫婦仲はよくなかったという。溥儀が宣統帝として即位すると嫡母となり、隆裕皇太后(wesihun elgiyen h?wang taiheo)と徽号される。辛亥革命では清朝内部で主戦派と和平派の論争が起きるが、最終的には隆裕皇太后が和平派に傾き、皇帝退位の決断をした。そのため民国時代には、古代に禅譲した帝王にたとえられ、「女の中の堯舜」と呼ばれた。1913年2月に死去した際には民国政府から国葬級の待遇を受け、大規模な国民哀悼会が開催された。また、棺を西陵に埋葬する際には、多くの民国政府の官僚が西陵まで参列した。諡号は孝定景皇后。西陵の崇陵に光緒帝とともに葬られている。隆裕の本名については西太后#西太后の名前についてを参照

温靖皇貴妃(同治13年(1874年) - 民国13年(1924年)):タタラ(Tatala、他他拉)氏の長叙の娘。妹とともに選秀女に参加して入選。瑾嬪となり後に瑾妃(gincihiyangga fei)に進む。妹珍妃が西太后の怒りにふれたため、一時期貴人に落とされるが、後に瑾妃に復帰。溥儀が即位すると皇考瑾貴妃と尊称された。民国年間には端康皇貴妃の徽号が送られた。いわゆる四太妃の1人。隆裕皇太后の死後は、実家が袁世凱に賄賂を贈ったために四太妃のなかで主導的地位につき、紫禁城の奥向きを取り仕切った。溥儀の『わが半生』によると、少年時代の溥儀の生活に干渉したため煙たい存在だったようだ。1924年死去。諡は温靖皇貴妃。

恪順皇貴妃(光緒2年(1876年) - 26年(1900年)):タタラ氏の長叙の娘で瑾妃の異母妹。姉とともに選秀女に参加して入選。珍嬪となり後に珍妃(ujengge fei)に進む。光緒帝に最も寵愛された。西太后の不満を買い、貴人に落とされるが、後に珍妃に復帰。戊戌政変では光緒帝に賛同し励ました為に再び西太后の不興を買い、紫禁城内の一室に幽閉される。義和団の乱で8ヶ国連合軍が北京を占領した際、西太后の命令に因り井戸に突き落とされて殺害された。翌年西太后らが北京に戻るとようやく井戸から引き上げられて葬儀が行われ、恪順皇貴妃の諡号が送られた。清朝の公式発表では、8ヶ国連合軍が迫り節を守るために自殺したとされている。瑾妃、珍妃姉妹の墓は西陵の崇陵の妃園寝にある。

脚注^ 並木、P232 - P235、加藤、P176 - P178、P182 - P199、岡本、P118 - P156。
^ 並木、P235 - P242、P253 - P258、加藤、P204 - P232、岡本、P171 - P193。
^ 『完訳 紫禁城の黄昏 上』中山理訳、渡部昇一監修、祥伝社〈祥伝社黄金文庫〉、2008年10月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-396-31468-2。https://www.sun.s-book.net/slib/slib_detail?isbn=9784396314682。 ,p.83。
^ 並木、P298 - P302、P314 - P317、加藤、P232 - P267、岡本、P193 - P201。
^ 加藤、P264 - P265。
^ “最新科学で100年の謎を解明!清朝11代皇帝光緒帝の死因はヒ素による毒殺か?―香港誌”. レコードチャイナ. (2007年12月5日). https://www.recordchina.co.jp/b13391-s0-c70-d0000.html 2011年2月14日閲覧。 
^ “犯人は西太后か?光緒帝の突然死、ヒ素中毒と確定―中国”. レコードチャイナ. (2008年11月4日). https://www.recordchina.co.jp/b25475-s0-c70-d0000.html 2011年2月14日閲覧。 
^清朝末期の光緒帝、死因はヒ素中毒…中国各紙伝える 読売新聞(2008年11月3日)
^ 溥儀『我的前半生』群衆出版社、1964年、20?21頁。邦訳は小野忍ほか訳、『わが半生:「満州国」皇帝の自伝』筑摩書房、1977年。

参考文献

並木頼寿井上裕正『世界の歴史19 中華帝国の危機』中央公論社、1997年。のち中公文庫

加藤徹『西太后 大清帝国最後の光芒』中公新書、2005年。

岡本隆司『李鴻章 東アジアの近代』岩波新書、2011年。

登場作品
映画


『真説 西太后
』(中国、1987年)演:李棟

『李蓮英 清朝最後の宦官』(中国・香港、1990年)演:田少軍

テレビドラマ

『西太后の紫禁城』(中国、1998年)演:邱心志(チウ・シンジー)

蒼穹の昴』(日本・中国、2010年)演:張博

月に咲く花の如く』(中国、2017年)演:周瑞

関連項目

中南海(瀛台)


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