皇后が1人、側室が2人いたが、いずれの女性の間にも子供は生まれなかった。
孝定景皇后(hiyoo?ungga toktonggo ambalingg? h?wangheo)(同治7年(1868年) - 民国2年(1913年))。西太后の弟桂祥(グイシャン)の娘で、西太后の姪にあたる。選秀女に参加して入選し、1889年に光緒帝の皇后に立てられる。西太后と光緒帝が対立したため、光緒帝に疎まれ夫婦仲はよくなかったという。溥儀が宣統帝として即位すると嫡母となり、隆裕皇太后(wesihun elgiyen h?wang taiheo)と徽号される。辛亥革命では清朝内部で主戦派と和平派の論争が起きるが、最終的には隆裕皇太后が和平派に傾き、皇帝退位の決断をした。そのため民国時代には、古代に禅譲した帝王にたとえられ、「女の中の堯舜」と呼ばれた。1913年2月に死去した際には民国政府から国葬級の待遇を受け、大規模な国民哀悼会が開催された。また、棺を西陵に埋葬する際には、多くの民国政府の官僚が西陵まで参列した。諡号は孝定景皇后。西陵の崇陵に光緒帝とともに葬られている。隆裕の本名については西太后#西太后の名前についてを参照
温靖皇貴妃(同治13年(1874年) - 民国13年(1924年)):タタラ(Tatala、他他拉)氏の長叙の娘。妹とともに選秀女に参加して入選。瑾嬪となり後に瑾妃(gincihiyangga fei)に進む。妹珍妃が西太后の怒りにふれたため、一時期貴人に落とされるが、後に瑾妃に復帰。溥儀が即位すると皇考瑾貴妃と尊称された。民国年間には端康皇貴妃の徽号が送られた。いわゆる四太妃
テレビドラマ
『西太后の紫禁城』(中国、1998年)演:邱心志(チウ・シンジー)
『蒼穹の昴』(日本・中国、2010年)演:張博
『月に咲く花の如く』(中国、2017年)演:周瑞
関連項目
中南海(瀛台)