光厳天皇
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注釈^ 建武政権期の後醍醐を重祚とした場合。深津睦夫によれば、光厳自身は、花園→後醍醐→光厳→後醍醐(重祚)→光明というように皇位継承が行われたと認識していた[2]。もっとも、後醍醐天皇は重祚の儀式を行わず、形式的には隠岐からの還幸であった[3]
^ 光厳を北朝初代とした場合(『皇統譜』など)、および後醍醐の重祚を便宜上一代とする場合(『本朝皇胤紹運録』など)。
^ 宮内庁による忌日の祭祀はグレゴリオ暦で行われる[16]
^ 明治時代まで一般的であった『本朝皇胤紹運録』による天皇代数では、光厳天皇は96代天皇[18]。詳細は北朝 (日本)#北朝天皇の代数表記を参照。
^ なお、在位期間は南北朝時代より前であるが(南北朝時代は後醍醐天皇が吉野に南朝を開いたユリウス暦1337年1月23日を始期とする)明治時代以降、北朝初代として歴代天皇からは除外されている。
^ コトバンク「光厳天皇」、『光厳天皇御集全釈』(岩佐 2000)、『図説歴代天皇紀』(水戸部他 1989)などでは光厳天皇を後伏見天皇の第一皇子とするが、『光厳天皇 : をさまらぬ世のための身ぞうれはしき』(深津 2014)に梶井宮尊胤法親王が光厳の異母兄と明記されているので[20]、ここでは『天皇皇族実録169.光厳天皇 巻1』(図書寮 1947)の記述に基づいて後伏見天皇の第三皇子とした。
^ 天皇・上皇がみずから書物などを編纂すること。ここでは、天皇・上皇の命令で書物を編纂するという意味での「勅撰」とは異なる。
^ 皇位継承問題解決策として注目されている旧宮家の宗家。
^ 従来はこの和談で両統迭立が明文化された、すなわち花園→後醍醐→邦良→量仁(光厳)といった皇位継承方針が定められたとされてきたが、近年は、これはあくまで結果論であり、単に議論がなされただけで合意には至っていないという説が有力である[40]
^花園天皇宸記』が、正和2年以降中断(記事自体が散逸しているという意味で)を挟むからである。
^ 持明院殿には、寝殿や東対代、北対、持仏堂、安楽光院、舟を浮かべられる巨大な池などがあった[41]。家族同士で、時折部屋の移動が行われていたという[41]
^ 量仁が初めて琵琶を演奏したのは、量仁7歳(満6歳)の元応元年(1319年)11月18日。後伏見より手ほどきを受けた。4年後の元亨3年(1323年)11月29日に今出川兼季を師として琵琶始を行い、正式に琵琶の鍛錬が始まった[46]
^ 量仁が初めて和歌を学んだのは、量仁11歳(満9歳)の元亨3年(1323年)5月7日[47]。和歌を学び始めた2年後には、3寸の蝋燭が燃焼する間に、7首詠じるほどの腕前にはなっていた[48]
^ この際朝廷は、文治の例に基づき油小路隆蔭(四条隆蔭)・三条実継・冷泉定親の3人に剣璽の検知をさせていた。すると、宝剣(天叢雲剣)の石突が落ちていたり、神璽(八尺瓊勾玉)の触穢や神璽の筥の縅緒が切ていたりなどの神器の破損が判明したが、「其の体相違無く、更に破損無し」ということであった[81]。なお、三種の神器のうち八咫鏡は、後醍醐天皇が持ち出さず、宮中においてあった[82]
^ (現代語訳)光厳天皇、春宮康仁親王、後伏見・花園上皇、宮様たち、一人としてしっかりしている方はいらっしゃらない。ふだん耳に聞くのは管絃の曲だけという御心には、異様なうす気味の悪いものなので、ただ呆然とされるだけだった。(中略)六波羅勢は残すことなくあらゆる手だてを使って防戦に努めたけれど、ついに陣(防塞)の一郭が破られて、今はこれまでと見えた。日ごろ天皇・上皇のおそばに仕える公卿・殿上人なども、今日が最後と思い定めたが、君がいらっしゃる限りは、どうして退散できよう。まして(足利高氏が)かねてからこのように企てているともご存知なく、つい昨日だったか、当代(光厳天皇)の(朝敵を討てとの)宣旨を賜った者(高氏)が、このように裏切ったのだから、(このような事態を)誰が思っただろうか。すべて上下の別なく一つに混乱し、あわてふためいたのだった[104]
^ 『太平記』による記述。日本中世史研究者の秦野裕介によれば、天皇というシステムが完成して以降、戦場で負傷した天皇は光厳一人であるという[108]
^太平記』含め、佐々木道誉がこれに直接関与したとする同時代史料はないが、足利尊氏と佐々木道誉との間に密約があり、また番場が佐々木道誉の所領だったと記す後世の佐々木氏関連史料から、佐々木道誉の関与を想定する森茂暁の意見がある[112]
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