光ファイバー(ひかりファイバー、中: 光導纖維、英: optical fiber)とは、離れた場所に光を伝える伝送路である。optical fiberを逐語訳して光学繊維(こうがくせんい)とも呼ばれる[1]。
※JIS での表記は光ファイバ 電磁気の影響を受けずに極細の信号線で高速信号が長距離に伝送できるため、デジタル通信を中心に多くの通信用途に使用されている。2023年現在、1本の光ファイバーにおいて、1.7 Pbpsの通信容量をもつ結合型19コアファイバが開発されている[2]。無中継での伝送では100 km間隔[3]のものが実用化されている[4]。 光ファイバーはコア(core)と呼ばれる芯とその外側のクラッド(clad)[注 1]と呼ばれる部分、そしてそれらを覆う被覆の3重構造になっていて、クラッドよりもコアの屈折率を高くすることで、全反射や屈折によりできるだけ光を中心部のコアにだけ伝播させる構造になっている。コアとクラッドはともに光に対して透過率が非常に高い石英ガラスまたはプラスチックでできている[5][4]。 また、被覆がないコアとクラッドのみの状態を単に「光ファイバー」と呼び、光ファイバーの表面をシリコーン樹脂で被覆したものを「光ファイバー素線」、光ファイバー素線をナイロン繊維で被覆したものを「光ファイバー心線」、光ファイバー心線を高抗張力繊維と外皮で被覆したものを「光ファイバーコード」とする呼びかたもある。複数の光ファイバー心線に保護用のシースと呼ばれる被覆をしたものを光ファイバー・ケーブルと呼ぶこともある。 一般的な石英ガラスを使った光ファイバーのコアとクラッドの屈折率の差は、わずかに0.2ないし0.3パーセント程度である。石英ガラスの屈折率はおよそ1.5なので、1秒間に地球を5周程度回る速度(約20万 km/s)(1kmあたり約5μs)で光信号が伝わってゆく(物質中の光の伝播速度は、光速を屈折率で割ったものになる)。 光ファイバーの中で失われる光の量(伝送損失)は1 kmあたり数パーセント程度(値にして0.2ないし0.4 dB/km[6])である[注 2]。光ファイバー中の光の減衰は以下の多くの要素が関係している。低損失で長距離伝送が可能な光ファイバーの製造にはこれらの影響を小さくすることが求められる。したがって光ファイバーに使われる材料は特に高純度なものを所定の屈折率になるよう微量の添加物を入れたものを、組織の歪みができないよう注意して製造される。 17世紀に、波動の屈折の法則が、ヴィレブロルト・スネルによって定式化された。 1820年に、ガラス板の中に光が閉じ込められる条件が、オーギュスタン・ジャン・フレネルによって定式化された。 1840年ごろ、反射による光の誘導の公開実験が、Daniel Colladonとジャック・バビネによってパリで行われた。 1870年、ジョン・ティンダルが光の全反射の条件を記し、水流で光を曲げる実験をロンドンで行なった。 1880年、音声を可視光線の信号に乗せ通信を行うフォトフォンの実験が、アレクサンダー・グラハム・ベルによって行われた。 1888年ごろ、初期のテレビ画像伝送の試みとして、曲がったガラスパイプやガラスロッドに光を通す方法がウィーンやフランスで考案された。 このころから、テレビの画像通信や潜望鏡、胃カメラなどにさまざまな光の導波路を用いる試みがなされた。 1910年、光の閉じ込めをガラス繊維に拡張した条件が、ホンドロス(D. Hondros)とピーター・デバイによって定式化された。 1925年、空洞のパイプやガラス・プラスチックロッドをつなげた光の伝導路で画像を伝送する方法の特許が、ジョン・ロジー・ベアードによって出願された。 1930年、ドイツのハインリッヒ・ラム 1936年、逓信省研究所の関壮夫と根岸博(清宮博)が、ガラスロッドの湾曲部にプリズム・レンズを用いて、全反射によって光線信号を伝送する光線導管による光通信を考案し、特許を出願した[7]。
特徴
構造
特性
屈折率と透過率
損失
素材固有要因
吸収損失
紫外吸収
赤外吸収
散乱損失
線形散乱(レイリー散乱、屈折率、密度変動)
非線形散乱(ブリルアン散乱、ラマン散乱、格子振動との結合)
外的要因
吸収損失
遷移金属イオンによる吸収
ヒドロキシ基による吸収
散乱損失
構造不完全性による散乱
結晶などの異物による散乱
放射損失
光ファイバーの曲がり(曲げによる放射損失、マイクロベンディング・ロス)
接続損失
光ファイバの接続面からの反射(フレネル損失)
光ファイバの接続時のずれ
発光素子、受光素子の結合損失
歴史
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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