オリンピック憲章では近代オリンピックの開会宣言は、開催国の国家元首によっておこなわれるものと規定されている[26]。
日本で開かれた近代オリンピック(1964年東京・1972年札幌・1998年長野、2021年東京)では、いずれも今上天皇が開会宣言を行っている[21]。
一個人としての国家元首がいないとされるスイスでは2回のオリンピック(1928年サンモリッツと1948年サンモリッツ)でいずれもその年の連邦大統領が開会宣言を行っている。
1980年にソビエト連邦で開かれた1980年モスクワオリンピックでは最高会議幹部会議長レオニード・ブレジネフが開会宣言を行っている。
英連邦王国においては、1976年モントリオールオリンピックではエリザベス2世がカナダ女王として開会宣言を行っている。その後、1988年カルガリーオリンピックでカナダ総督ジャンヌ・ソーヴェが開会を宣言して以降、2000年シドニーオリンピックではオーストラリア総督ウィリアム・ディーンが、2010年バンクーバーオリンピックではカナダ総督ミカエル・ジャンが開会を宣言している。
ただし、憲章ができる前には閣僚や有力者が、国家元首が出席できない場合は国家元首に準ずる人物(王配や副大統領など)が、開会宣言を行ったことがある。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
その他
国家元首が宗教の首長を兼ねる例
出典検索?: "元首"
現在の事例として、次のようなものがある。
ローマ教皇 - バチカン市国元首とカトリック教会の首長を兼ねる
イギリス国王 - イギリス国王とイングランド国教会の地上における唯一最高の首長を兼ねる
デンマーク国王 ‐ デンマーク国教会(ルター派)首長
ノルウェー国王 ‐ ノルウェー国教会(ルター派)首長
かつての事例(近代以降)。 日本では「外国の元首」が関連する法規定として以下のものがある。
中国の皇帝は天命を受け天子として天を祭る祭政の総攬者であった。
オスマン帝国のスルタンはイスラームの首長であるカリフの称号を持ち、オスマン帝国の崩壊後はヒジャーズ王がカリフを名乗った。
モンテネグロでは中世以来ツェティニェの主教が「主教公」として支配しており、16世紀以降ペトロヴィチ=ニェゴス家がその地位を保持した。
ネパール王国の君主は、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌの化身とされた。
チベットでは1959年までダライ・ラマ が国家元首とチベット仏教の法王を兼ねていた。1959年に発足したチベット亡命政府でもダライ・ラマは元首とチベット仏教の最高指導者を兼ねていた。しかし、2011年5月28日に亡命チベット人憲章が改訂され、ダライ・ラマは政治的権限を亡命政府主席大臣に委譲し、同大臣がチベット亡命政府の国家元首となった。ダライ・ラマは「チベットとチベット人の守護者であり象徴」となった。
日本の天皇は、明治から第二次世界大戦終結までは国家神道(神社神道)の頂点に立ち、現人神と呼ばれた。現在は皇室神道は神社神道から分離しており、天皇は神社本庁の長ではない。ただ、現在でも伝統的に皇室は大嘗祭等をはじめとした多くの神道の祭祀を執り行い、伊勢神宮や勅祭社に定期的に勅使を派遣している。
日本における「外国の元首」が関連する法規定
特別永住者を外国の元首に対する犯罪行為で禁錮以上の刑に処せられた上に日本国の外交上の重大な利益が害されたと法務大臣が認定して退去強制させる規定(入管特例法第9条第1項第3号)
日本国内における外国政府と個人における労働契約終了効力に関する訴えであって、当該外国元首によって当該訴えに係る裁判手続が当該外国等の安全保障上の利益を害するおそれがあるとされた場合は裁判権から免除される規定(対外国等民事裁判権法第9条第2項)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 委任契約の命令的性格については議論があり、全権委任と解する立場も可能である(独裁政)。現代では憲法に基づく命令委任と解することが多い。国会議員についてはむしろ純粋代表と解釈し、命令的委任
^ リヒテンシュタイン家は、ハプスブルク家の重臣として家産を蓄積した。つまり、公国とは無関係なので、「国民の財産を取り返す」というようなことができない。また、第二次世界大戦時、大権によって選挙を停止し、ナチズムの台頭を阻止した。そのため、今でも大権の行使が正当化されている。このような経緯で、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、ヨーロッパ最後の絶対君主制と言われる。
^ 米国では教書、韓国では議案提出権の形で立法素案が提示される。