裳着以降は、小袖は白を、袴は緋を着た(現代に見られる巫女装束に似る)。鉄漿親は一族の目上の女性(伯叔母など)や親しい年配の女性が執り行ったが、年代が下るにつれ結婚と同時の儀式となったため、仲人が鉄漿親を兼ねることも多かった。 江戸時代以降は、衣装の変化により着物を着る事が多くなり、振袖を留袖にする袖留めの儀式も多くなった。また、制度的にも女子も元服と称されるようになり、武家と庶民において女性の成人儀礼となった。 実施年齢は階級により幅があり、武家の女子は13歳または初潮後に髪結いの儀式を行った。一方、その他の階級では18 - 20歳頃に引き上げられる事が多くなり、殆どが結婚と同時に執り行われた。あるいは未婚でも18 - 20歳くらいで行った。なお、庶民の間では、おませな幼い女子が引眉の真似事をする事も流行した。 女性で元服という場合は、地味な着物を着て、日本髪の髪形を丸髷、両輪、又は先笄に替え、元服前より更に厚化粧になり、鉄漿親(かねおや)によりお歯黒を付けてもらい、引眉する。 お歯黒を付けるが引眉しない場合は半元服と呼ばれた。半元服の習慣は現在でも祇園の舞妓、嶋原の太夫等、一部の花街に残る。 これに対して、(結婚後)初懐妊あるいは初産の後に、お歯黒と引眉をして執り行うものは本元服と呼ばれた。 飛鳥時代に大宝律令で21歳以上60歳以下を正丁としたが、これは元服の年齢に直接影響するものではない。 元服に相当する近代以降の概念は成人、成年であるが、近代法の整備に伴い明治9年布告、明治29年民法で成年は満20歳とされた。また、明治6年徴兵令により男子は満20歳で徴兵検査が行われるようになりこれも成人の区切りとされた面は大きい。 公的な制度としての成年がこのように整備され明治以降、現代まで続いている一方で、実質的な「成人」の概念、いわゆる大人の仲間入り、つまり子ども扱いされなくなる年齢は15 - 20歳と幅があり、これも都市や農村、漁村などによってまちまちであった。 なお、成年は令和4年施行の改正民法で満18歳以上となった。
江戸時代以降
現代に存続・再現されている元服儀式
岐阜県旧徳山村住民が集団移転した本巣市文殊集落では、中学3年生を対象に毎年1月に元服式が行われる。
滋賀県近江八幡市の祭り「左義長」では、17歳の男子を「元服若衆」と呼び、左義長に火をつける役目を命じられるが、火のついた藁苞を持った元服若衆が左義長に近づくのを他の若衆が邪魔をすることで至難を与え、左義長に火がつくまで続けられる[17]。
武蔵御嶽神社(東京都青梅市)では中学校を卒業する男女を対象に、武家の古式を再現した元服式を2017年3月に行い、2018年にも予定している[18]。
青森県、栃木県、石川県、愛媛県、宮崎県、熊本県や、その他一部の地域にある中学校は中学2年または3年になると学校行事として「立志式」(りっししき)、「立春式」(りっしゅんしき)、「少年式」(しょうねんしき)、「元服式」(げんぷくしき)を行なっている。
その他
脚注[脚注の使い方]^ 平凡社編『新版 日本史モノ事典』平凡社、2017年6月21日、158頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784582124293。
^ 浜口誠至『在京大名細川京兆家の政治史的研究』(思文閣出版、2014年) ISBN 978-4-7842-1732-8 P96-97
^ 豊臣秀頼のように、元服前に叙爵・昇殿等を行う場合は元服前に諱をつけることもある(遠藤珠紀
^ a b 森茂暁 2003, p. 1457.
^ 高橋照美
^ 長坂良宏 2009, p. 61-62.
^ 澤田裕子 2012, p. 18-21.
^ 澤田裕子 2012, p. 23-24.
^ 澤田裕子 2012, p. 24-25.
^ 古谷紋子 1998, p. 101-102.
^ 森茂暁 2003, p. 1460-1464.
^ 森茂暁 2003, p. 1468.
^ 堀新 1998, p. 181-182.
^ 吉田昌彦 2016, p. 21.
^ 吉田昌彦 2016, p. 23.
^ 男子の烏帽子親に相当する。なお、「鉄漿」は「おはぐろ」とも読み、お歯黒の別名でもある。歯を染めるために使った鉄の溶液、またはそれを付ける行為を指す。
^ ⇒近江八幡市 湖国に春を呼ぶ?火祭り行事左義長 - 一般財団法人地域創造「地域文化資産ポータル」
^ 御岳登山鉄道 武蔵御嶽神社の元服式、参加募る『毎日新聞』朝刊2018年2月11日(東京面)
参考文献
『【新制版】日本史事典』(数研出版)
『旺文社日本史事典』(旺文社)
「現代民俗の形成と批判―「成人式」問題をめぐる一考察―」室井康成(2018), 専修人間科学論集社会学篇Vol.8 No.2
澤田裕子「平安中期の叙爵と元服前叙爵の成立」『歴史文化社会論講座紀要 / 京都大学大学院人間・環境学研究科歴史文化社会論講座 編』第9巻、京都大学大学院人間・環境学研究科歴史文化社会論講座、2012年、ISSN 13492292、NAID 40019251922。
古谷紋子「平安時代の童殿上 - 小舎人・蔭孫・殿上簡 -」『駒澤史学』第51巻、駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会、1998年、ISSN 04506928、NAID 110007002362。
森茂暁「足利将軍の元服 : 足利義満より同義教に至る」『福岡大学人文論叢』第35巻第3号、福岡大学研究推進部、2003年、ISSN 02852764、NAID 110000327666。
堀新「史料紹介 岡山藩官位関係史料(二)」『早稲田大学図書館紀要』第45巻、早稲田大学図書館、1998年、ISSN 02892502、NAID 120006349598。
長坂良宏「近世朝廷における太政大臣補任の契機とその意義」『近世の天皇・朝廷研究大会成果報告集 / 朝幕研究会 編』第2巻、学習院大学人文科学研究所、2009年、ISSN 18834302、NAID 40016752985。