元服
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お歯黒を付けるが引眉しない場合は半元服と呼ばれた。半元服の習慣は現在でも祇園舞妓嶋原太夫等、一部の花街に残る。

これに対して、(結婚後)初懐妊あるいは初産の後に、お歯黒と引眉をして執り行うものは本元服と呼ばれた。
現代に存続・再現されている元服儀式

岐阜県旧徳山村住民が集団移転した本巣市文殊集落では、中学3年生を対象に毎年1月に元服式が行われる。

滋賀県近江八幡市の祭り「左義長」では、17歳の男子を「元服若衆」と呼び、左義長に火をつける役目を命じられるが、火のついた藁苞を持った元服若衆が左義長に近づくのを他の若衆が邪魔をすることで至難を与え、左義長に火がつくまで続けられる[17]

武蔵御嶽神社(東京都青梅市)では中学校を卒業する男女を対象に、武家の古式を再現した元服式を2017年3月に行い、2018年にも予定している[18]

青森県栃木県石川県愛媛県宮崎県熊本県や、その他一部の地域にある中学校は中学2年または3年になると学校行事として「立志式」(りっししき)、「立春式」(りっしゅんしき)、「少年式」(しょうねんしき)、「元服式」(げんぷくしき)を行なっている。

その他

飛鳥時代大宝律令で21歳以上60歳以下を正丁としたが、これは元服の年齢に直接影響するものではない。

元服に相当する近代以降の概念は成人、成年であるが、近代法の整備に伴い明治9年布告、明治29年民法で成年は満20歳とされた。また、明治6年徴兵令により男子は満20歳で徴兵検査が行われるようになりこれも成人の区切りとされた面は大きい。

公的な制度としての成年がこのように整備され明治以降、現代まで続いている一方で、実質的な「成人」の概念、いわゆる大人の仲間入り、つまり子ども扱いされなくなる年齢は15 - 20歳と幅があり、これも都市や農村、漁村などによってまちまちであった。

なお、成年は令和4年施行の改正民法で満18歳以上となった。
脚注[脚注の使い方]^ 平凡社編『新版 日本史モノ事典』平凡社、2017年6月21日、158頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784582124293。 
^ 浜口誠至『在京大名細川京兆家の政治史的研究』(思文閣出版、2014年) ISBN 978-4-7842-1732-8 P96-97
^ 豊臣秀頼のように、元服前に叙爵・昇殿等を行う場合は元服前に諱をつけることもある(遠藤珠紀「豊臣秀吉の唐冠と子息秀頼」『國學院雑誌』第122巻、國學院大學、2021年、81頁。 )
^ a b 森茂暁 2003, p. 1457.
^ 高橋照美「『大鏡』の構成 : 列伝構成における太政大臣中心主義をめぐって」『論究日本文学』第62巻、立命館大学日本文学会、1995年、20頁、doi:10.34382/00017114、ISSN 02869489、NAID 110006487664。 
^ 長坂良宏 2009, p. 61-62.
^ 澤田裕子 2012, p. 18-21.
^ 澤田裕子 2012, p. 23-24.
^ 澤田裕子 2012, p. 24-25.
^ 古谷紋子 1998, p. 101-102.
^ 森茂暁 2003, p. 1460-1464.
^ 森茂暁 2003, p. 1468.
^ 堀新 1998, p. 181-182.
^ 吉田昌彦 2016, p. 21.
^ 吉田昌彦 2016, p. 23.
^ 男子の烏帽子親に相当する。なお、「鉄漿」は「おはぐろ」とも読み、お歯黒の別名でもある。歯を染めるために使った鉄の溶液、またはそれを付ける行為を指す。


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